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第19話 戦場③

 牛久会長の執務室。


 あの日と同じ、街を見下ろす窓際のソファで、私たちは正式な契約書にサインを終えた。


「——素晴らしかった」


 会長は満足げに目を細め、書類をファイルに収めた。


「あのリハーサルを見た瞬間、私の判断は正しかったと確信したよ。君たちの『怪物』は、本物だった」


 隣で姫乃が小さく息を吐く。緊張が解けた音だった。


「それでね、園田さん」


 会長が身を乗り出した。その目が、商談モードに切り替わる。


「今年一年間——ホームゲームの試合前パフォーマンス、君たちに任せたい」


「……一年間、ですか」


「もちろん、全試合とは言わない。月に数回、スケジュールの合う範囲で構わない。報酬は別途、担当者と詰めてくれ」


 私は姫乃と目を合わせた。彼女は小さく頷く。


「——お受けします」


「よし。いい返事だ」


 会長は満足げに笑い、立ち上がって私たちに手を差し出した。


「期待しているよ。君たちの怪物に」


◇◇◇


 会長室を出て、エレベーターを待つ間。姫乃がふと口を開いた。


「そういえば先生、『怪物』ってどういうイメージだったんですか?」


「怪物?」


「最初に会長に売り込んだ時、先生『怪物です』って言ったじゃないですか。あれ、どういう意味だったのかなって」


 私は少し考えて、肩をすくめた。


「セイレーンみたいな感じかな」


「セイレーン?」


「ほら、歌う怪物っていうと、まずはセイレーンをイメージしない? 上半身は女性で、下半身は魚の」


「人魚じゃなくて?」


「人魚は歌わないでしょ。セイレーンは歌で船乗りを惑わせる怪物。……姫乃の歌も、聴いた人間の脳を支配するって意味では似てるかなって」


 姫乃が、複雑そうな顔をした。


「褒められてるのか、けなされてるのか、微妙ですね」


「褒めてるに決まってるでしょ」


 エレベーターが到着する。扉が開き、私たちは乗り込んだ。


「じゃあ、私たちって『チーム・セイレーン』ですか?」


 姫乃が冗談めかして言う。私は首を傾げた。


「怪物の名前は……なんか嫌かも」


「じゃあ、何かいいのないですか?」


 早智が、スマートグラスから顔を上げた。さっきからずっと何かを調べていたらしい。


「あれでよくないですか? セイレーンが持ってるやつ。ハープみたいなの」


「リラね」


 私は頷いた。ギリシャ神話に登場する竪琴。セイレーンの持ち物であり、音楽の象徴。


「ほら、やっぱり私たちって、怪物に使ってもらってなんぼじゃないですか」


 早智がにやりと笑う。


「怪物って?」


「そりゃ姫乃ちゃんのことですよ」


 姫乃が目を丸くした。私は思わず笑った。


「……違いない」


 エレベーターが一階に到着する。扉が開き、ロビーの滝の音が耳に届いた。


「——チーム・リラ」


 私は、その名前を口の中で転がした。悪くない響きだった。


◇◇◇


 五月。


 チーム・リラの活動が、本格的に始まった。


 月に四回、ホームゲームの試合前パフォーマンス。姫乃の歌と、私のAR演出。ぬかしーさんのアートワーク。早智のオペレーション。四人で回す、小さなチーム。


 最初は手探りだった。ドームという巨大な箱を、限られた時間で支配する。そのノウハウは、やりながら蓄積していくしかなかった。


 六月。


 気づけば、私たちのパフォーマンスは「名物」になっていた。

 SNSには、毎試合ごとに感想が溢れる。「今日のリラ最高だった」「AR演出がやばい」「姫乃ちゃんの新曲神」——そんな言葉が、タイムラインを埋め尽くす。


 同時に、批判の声も上がっていた。


「野球を見に来てるのに、なんで歌を聴かされるんだ」

「本末転倒。試合に集中させろ」

「話題作りのために野球を利用するな」


 賛否両論。けれど、それは想定の範囲内だった。


「炎上してますねー」


 早智が、スマートグラスに映るSNSの画面を眺めながら言った。その声に、悲壮感はない。


「会長は何て?」


「『これで球団のファンが増えるなら歓迎だ』だそうです。前向きですね」


 私は肩をすくめた。批判があるのは、注目されている証拠だ。無視されるよりはマシ。


 六月の終わり。同じリーグの強豪チームとの試合があった。


 相手チームのオーナーは、大手IT企業の社長。試合前のパフォーマンスを最前列で見ていた彼は、終了後、わざわざ私のところまで足を運んできた。


「園田さん、でしたね」


 五十代半ばの、精悍な顔つきの男だった。名刺を差し出しながら、単刀直入に切り出す。


「来季、うちにもスポンサーをやらせてもらえませんか」


「……スポンサー?」


「ええ。今日のパフォーマンスを見て確信しました。あなた方の技術は、エンターテインメントの未来を変える。——牛久さんのところだけに独占させておくのは、もったいない」


 私は少し考えてから、口を開いた。


「……ありがたいお話です。ただ、今は牛久会長との契約がありますので、即答は難しいですね」


「もちろん、今すぐとは言いません。来季以降の話です」


 社長は名刺を私の手に押し込むようにして、続けた。


「検討だけでも、していただけませんか。——条件面は、期待を裏切らないつもりです」


 私は名刺を受け取り、小さく頷いた。


「前向きに、考えさせてください」


「ありがとうございます。連絡、お待ちしています」


 社長は満足げに笑い、踵を返していった。


 帰りの車の中で、早智が興奮気味に言った。


「志保ちゃん、あれって……」


「ええ。スポンサーが増えるかもしれないってこと」


 私は窓の外を流れる景色を見ながら、ポケットの中の名刺を指先で確かめた。


 牛久会長の支援だけでも十分ありがたい。けれど、選択肢は多い方がいい。来季、もしこの話がまとまれば——チーム・リラの活動の幅は、さらに広がる。


「……来年が楽しみになってきたわね」


 隣で、姫乃が嬉しそうに笑った。


「先生、珍しく前向きなこと言いますね」


「たまにはね」


 私も、少しだけ口元を緩めた。


◇◇◇


 六月が終わる。


 梅雨の雨が街を洗い流し、気づけば空は夏の色に変わっていた。

 私は研究室の窓から、キャンパスを歩く学生たちを眺めていた。半袖のシャツ。日傘。アイスを片手に笑い合う姿。


 ——あっという間だったな。


 四月に姫乃と出会って、三ヶ月。カラオケボックスで彼女の歌を聴いて、暴言としか言えない言葉を言い放ったあの夜から、ここまで来た。


 チーム・リラは、確かに動き始めている。けれど——まだ、足りない。


 私が本当にやりたいことは、野球場の余興じゃない。もっと大きな舞台で、もっと多くの人間の脳を揺さぶりたい。izanagiが成し遂げられなかったことを、この手で実現したい。


 そのためには——。


「先生」


 背後から、姫乃の声がした。


 振り返ると、彼女は車椅子の上で、いつもの不敵な笑みを浮かべていた。


「夏、何か予定ありますか?」


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