二章 道標と名残
霧が晴れた先、開けた場所に――
石の像が、ひとつ座っていた。
台座は半ば崩れ、像は地面に直接置かれている。
肩は欠け、膝も割れ、腕には深い亀裂。
それでも、顔だけは残っていた。
人の形をしている。
目鼻口がはっきりと彫られ、
どこか穏やかな表情をしているのに――
その視線は、こちらを正確に捉えていた。
「……祀られていた、か」
叔母わらしが、低く呟く。
像の胸元から、無数の削り跡が走っている。
文字だったのだろう。
願いだったのだろう。
だが、もう読めるものは何一つ残っていない。
亜子が一歩前に出る。
「名は?」
石像は、ゆっくりと口を開いた。
石が擦れる音が、山に響く。
「――忘れた」
「ここより先は――」
像の目が、私を見る。
「名を残してから行け」
空気が、重く沈んだ。
石の像? 祀られた?
今までやけに、歩きやすい場所だったり、
歩かされていたと、思っていたが……。
人の手が入っているな……いや、入っていたんだろう。
遥か昔に。
叔母わらしは、像を見つめてから私に振り返る。
「門番だねぇ。本当の入り口さね」
ここからか。
私は拳を握る……。
それに気づいた亜子が言った。
「力や術は意味をなさんぞ、緑。
こやつは道標だ。迷わぬよう、ただここにおり、道を示す……
祀り人もなく、名を忘れてもなお、ずれた役目だけが残っておる」
「道が分からんとねぇ……進んでも登れないのさ。
古くさいねぇ、どれだけの時を過ごしたのやら」
叔母わらしは、どこか哀れむようだった……
人と深く関わる物とは、な……。
亜子が先に進もうと、像に語りかける。
「道を示せ。お前の役目だろう?」
門番の口が動いた……。
「名を残せ……」
「白夜の主、亜子だ」
亜子は像の横を通り過ぎた。
叔母わらしも続く。
「近藤山の主、座敷わらし……」
そう言って、通り過ぎた。
像は、私を正面に捉える。
「名を残せ……」
「……緑」
私は、像の横を通り過ぎようとして――踏み出せなかった。
身体が、動かない……。
亜子と叔母わらしは、何も言わずに目を細めた。
像は、繰り返す。
「名を残せ……」
字名では駄目だ。
私には、生まれ名が分からない……。
答えることが、出来ない。
……まさかな。
私は無言で、一歩踏み出した。
像の横を通り過ぎ……
亜子と叔母わらしの隣に辿り着いた……。
亜子が歩き出し、
叔母わらしと私は、それに続いた……。
考えても意味はないが――
元から、無かったのだろうか?
それとも、失くしてしまったのか?
今の私には、知る術はない……。
無言のまま歩き続ける。
覗く影が色濃く染まり、
ただ私達を見つめたまま……。
どれくらい歩いたのだろうか。
山の、広く開けた場所が見えた。
石垣や井戸の名残がある。
朽ち果ててはいるが、
集落や村が、この場所にあったのかもしれない……
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