夢は儚かろう
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静かなバーだった。
照明は落ち着いていて、
カウンターの木目が妙に艶やかだ。
ひかりさんは、カウンター席に座っていた。
グラスに口をつけるでもなく、
ただ、そこにいる。
「ここは……」
「夢の中です」
私はそう告げた。
「輪廻という物の怪に憑かれています」
「ここは、魅せられる夢の中です」
ひかりさんは、きょとんとした顔で周囲を見回した。
「でも……変な感じはしません」
「落ち着くし……」
「そう…魅せられています」
長く眠らせるために。
帰りたいと思わせないために。
さっきまで、誰もいなかった
カウンターの中で、マスターがグラスを磨いている。
白髪混じり、背筋の伸びた男だ。
「おかわりは?」
マスターは、こちらを見ずに言った。
ひかりさんは、戸惑いながらも
「夢の中なんですね」
「ええ」
「長くいると、出れなくなります」
ひかりさんは、視線を落とした。
「……ずっと一人でした」
「でも、嫌じゃなくて」
それが、輪廻の怖いとこだ
「居心地がいいでしょう」
マスターが、穏やかに言う。
「ここには、痛みも不安もない」
「目覚める必要なんて、ありません」
私は違和感に気づき、一歩前に出た。
「だから、輪廻だろう?」
マスターの手が止まる。
「夢と現実を、ぐるぐる回す」
「削れるのは、現実の方だからな」
カウンターの奥が、かすかに歪んだ。
磨かれたグラスに、光が滲む。
「……帰りたい、ですか?」
マスターが、ひかりさんに問う。
ひかりさんは、しばらく黙っていた。
そして――
「……帰ります」
はっきりと、そう言った。
次の瞬間。
マスターの姿が崩れた。
皮膚の下から、淡い光が溢れ出す。
「残念だ」
声が、重なった。男でも女でもない、
無数の響きが混ざった声。
輪廻は、形を持たない。
人を引き留める“場所”そのものだ。
「夢は、優しかろう」
光の塊が、膨れ上がる。私は、拳を握った。
「夢は、儚かろう」
踏み込む。揺れる、光に拳を突き出した、
突き抜ける感触が、確かにあった……
視界が弾け、辺りが白く染まった。
…「パリン」
どこからか、微かに鳴った。輪廻の光が、ひび割れる。
私は「帰ろう…」
そう呟く。
ひかりさんの身体が、浮かび上がる
バーの景色が、崩れていく。
カウンターも、酒瓶も、静けさも。
最後に、輪廻が囁いた。
「また……眠りたくなったら……」
そう言った瞬間――世界が反転した。
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気がつくと、ひかりさんは布団の上だった。
浅く、穏やかな呼吸。
私は、手を離す。
「……ひかり?」
母親の声に、私は頷いた
そんな二人に私は
「もう大丈夫です、戻れました」
夢は、終わりを迎えたから。




