廻る世界
「ジリリ、ジリリ」
「はい、緑屋です」
「あの……橘と申します」
「少々、お待ちください」
受話器の向こうの声を受け、事務所の奥からマッキーの元気な声が飛んでくる。
「緑さーん、お電話です!」
日向ぼっこで緩んでいた思考を切り替え、私は受話器を取った。
「はい、お電話代わりました。どうされましたか?」
「あの……娘の様子がおかしくて……」
「詳しくお聞きします。必要でしたら、こちらから伺いますが」
「……お願いします」
今日の依頼人は、橘 静香さん、四十五歳。
依頼内容は、娘の橘ひかりさん(二十歳)が、十日前から体調を崩し、ほとんど眠り続けているというものだった。
病院では検査を受けたが異常なし。
それでも起きない娘を前に、藁にもすがる思いで「緑屋」の噂を頼ったらしい。
私は住所を確認し、立ち上がる。
「行ってきます」
「「行ってらっしゃーい」」
---
指定された住所は、長屋造りの一軒家だった。
丁寧に手入れされた庭が、この家の暮らしぶりを物語っている。
玄関、庭、周囲――ざっと視る。
「……特に違和感はないか」
インターホンを押す。
「ピンポーン」
「はい……」
「お電話をいただいた、緑屋です」
「わざわざ、ありがとうございます……」
出てきたのは、少し疲れた表情の女性――橘静香さんだった。
私は気を引き締め、室内へと案内される。
「娘は、こちらです。一度眠ると、なかなか起きなくて……」
案内された部屋のベッドには、穏やかな寝息を立てる少女がいた。
可愛らしい顔で、まるで深い夢に包まれているかのようだ。
――視てみる…
違和感はないな…
「ひかり、ひかり……起きて……」
母親が肩を揺らしても、反応はない。
「……少し、触れても?」
「ええ……お願いします」
私は、ひかりさんの手にそっと触れた。
---
――意識が、引き込まれる。
次の瞬間、目の前に広がったのは、静かなバーのカウンター。
グラスを片手に座っているのは――
ひかりさん。
店内には、彼女と私しかいない。
……これは、危ない、まだ一瞬なら…、
私は頬を強く叩いた。
痛みと同時に、視界が反転する。
――戻った。
これは“輪廻"
夢と現実を行き来させ、少しずつ現実側を侵食する物の怪だ。
私は母親に向き直る。
「静香さん。私は、しばらく動けなくなります」
「……え?」
「ですが、必ず娘さんと一緒に戻ってきます」
一瞬の沈黙の後、彼女は深く頭を下げた。
「……お願いします」
---
再び、ひかりさんに触れる。
夢の中のバーへ――今度は、意識的に。
私は彼女の前に立ち、そっと触れる
驚いたように、彼女が顔を上げる。
「……あなたは?」
不安を与えぬよう、私は微笑んだ。
「こんにちは。便利屋の、緑といいます」
――彼女の夢に、入ることができた……




