第33話 最後なので、たくさん作ります
それからの日々は、驚くほど早く過ぎていった。
店の準備を進め、必要なものを買い足し、仕入れを確認する。空いた時間には、新しい部屋へ少しずつ荷物も運んだ。
エリアスも仕事が立て込んでいるらしく、朝早く屋敷を出て、帰るのは日和が眠ったあとという日が続いた。
同じ屋敷にいるのに、一度も顔を合わせない。
そんな日々を過ごしているうちに、気づけば屋敷を出る前日になっていた。
その日の午後、日和はいつもより早く厨房に入った。
「日和様、本当にお一人で作られるのですか?」
調理台いっぱいに並んだ食材を見て、オスカーが尋ねる。
「全部難しいものじゃないので、大丈夫です」
今日は、屋敷で働く人たちに料理を振る舞うことにしていた。
ここへ来てから約2か月。
突然現れた身元の分からない自分を受け入れて、生活を支えてくれた人たちへの、せめてものお礼だ。
何を作ろうか考えた結果、一つの豪華な料理ではなく、小さな料理をたくさん作ることにした。
土芋は茹でて潰し、刻んだ香草と酢を少し加えて和える。
火玉は薄く切ってじっくり焼き、甘みが出たところに塩を振った。
川魚は一口大にして粉を薄くまぶし、油で揚げる。熱いうちに酢と香草を合わせた汁に浸せば、さっぱりと食べられる。
茸は細かく刻んで卵と一緒に焼いた。
葉野菜はさっと火を通し、砕いた木の実と和える。
鶏肉は香草と塩を揉み込んで、皮がぱりっとするまで焼いた。
他にも、豆を柔らかく煮たものや、赤根を甘酸っぱく漬けたもの。
少しずつ。
いろいろ。
大皿に盛りつけて並べていく。
「ずいぶん種類がありますね」
「こういうの、好きなんです」
「作るのが、ですか?」
「食べるのもです。一つの料理をたくさん食べるのもいいですけど、ちょっとずついろいろあると楽しくないですか?」
オスカーが並んだ皿を見る。
「確かに、どれからいただくか迷いますね」
「それがいいんですよ」
日和は満足して頷いた。
食事の時間になると、屋敷で働く人たちが少しずつ集まってきた。
普段はそれぞれの仕事に合わせて食事を取ることも多いらしいが、今日はできるだけ時間を合わせてもらった。
「今日は、今までのお礼です」
日和は並んだ料理を示した。
「好きなものを好きなだけ取ってください」
最初は遠慮していた者たちも、一人が皿を手に取ると、次々に料理へ手を伸ばし始めた。
「これ、酸っぱいけどおいしい」
「魚も食べてみて」
「この芋、いつものと全然違うな」
あちこちから声が聞こえる。
誰かが取った料理を見て、別の誰かが同じものを取る。
気に入ったものをもう一度取りに来る人もいる。
その様子を見ながら、日和は空いた皿に料理を足していった。
「日和様は召し上がらないのですか?」
オスカーに言われる。
「あとで食べます」
「それでは店を始めても、ご自身の食事を忘れそうですね」
「……気をつけます」
否定できなかった。
やがて、料理はきれいになくなっていった。
たくさん作ったつもりだったのに、残ったのはほんの少しだ。
「ごちそうさまでした」
「日和様、おいしかったです」
「店、絶対行きますからね」
「ありがとうございます。ちゃんとお金持ってきてくださいね」
笑い声が上がった。
日和も笑う。
よかった。
喜んでもらえた。
それだけで、作った甲斐があったと思える。
「日和様」
振り返ると、オスカーが立っていた。
「本当にありがとうございました」
「それは私の台詞です」
「私どもは当然のことをしただけですよ」
「オスカーさん、侯爵様と同じこと言いますね」
「それは光栄です」
「褒めてないです」
オスカーはいつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
片づけを終える頃には、厨房も静かになった。
日和は一人、きれいになった調理台を見る。
明日には、ここを出る。
最初にこの厨房を見せてもらった日のことを思い出した。
知らない食材を見て。
森茸を見つけて。
ここなら何かできるかもしれないと思った。
あれから、まだ2か月も経っていない。
それなのに、ずいぶん長くいたような気がする。
「……侯爵様にも、食べてもらいたかったな」
今日も帰りは遅いと聞いている。
最近は本当に忙しいらしい。
仕方がない。
そう思いながら片づけていると、調理台の端に余った生地が目に入った。
最後に焼き菓子も出そうと思っていたのだが、料理が多かったので途中でやめたものだ。
「これくらいなら焼けるか」
明日には出ていくのだから、残しても仕方がない。
日和は生地を伸ばし、小さく切り分けた。
丸いもの。
四角いもの。
少し形が歪んだもの。
自分で食べるだけなので適当だ。
天板に並べて焼き始めると、しばらくして甘い香りが厨房に広がった。
この世界へ来て、初めて作るクッキーだった。
砂糖は高いので控えめ。
その代わり、少しだけ砕いた木の実を混ぜてある。
「お店でも出せるかな」
食後に一つか二つ。
お茶と一緒に出してもいいかもしれない。
そんなことを考えていると、焼き上がりを知らせる香りが一段と強くなった。
日和は天板を取り出す。
「いい感じ」
焼き色も悪くない。
一つ味見をしようか。
そう思って手を伸ばした、そのときだった。
厨房の外から、足音が聞こえた。
こんな時間に誰だろう。
日和が顔を上げる。
足音が止まり、厨房の扉が開いた。
「……侯爵様?」
そこに立っていたのは、エリアスだった。
いつもの灰色の髪に、青みがかった灰色の瞳。
このところずっと顔を合わせていなかったせいか、なんだか久しぶりに見る気がした。
「おかえりなさい」
「ああ」
エリアスは厨房に入ると、日和を見た。
「……いる気がした」
「私がですか?」
「ああ」
それから、甘い香りの漂う厨房を見回す。
日和は焼き上がったばかりのクッキーを見て、もう一度エリアスを見た。
侯爵様にも食べてもらいたかった。
ほんの少し前に、そう思ったばかりだった。




