第104話 また迷惑をかけてしまいました
目を開けたとき、最初に見えたのは見覚えのある天井だった。
ぼんやり眺めながら、ここがどこなのかを考える。侯爵邸。以前、私が使わせてもらっていた部屋だ。
「……なんで」
身体を起こそうとした瞬間、頭の奥が重く揺れた。思わず目を閉じていると扉が開き、聞き慣れた声がする。
「日和様?」
「オスカーさん……」
すぐにベッドのそばまで来たオスカーさんは、私の顔を見ると明らかにほっとした。その表情を見た瞬間、胸の奥が重くなる。
心配させた。
「ご気分はいかがですか?」
「少し頭が重いですけど……大丈夫です」
「そのお言葉は、今はあまり信用しないことにいたします」
「……すみません」
オスカーさんは苦笑しながら水を用意してくれた。ゆっくり飲んでいるうちに、昨日のことが戻ってくる。
店で仕込みをしていたこと。
突然、頭の中へ流れ込んできた昔の感覚。
頼られて、期待されて、それに応えなければと思っていたこと。
ちゃんとしなきゃ。
私がやらなきゃ。
迷惑をかけちゃいけない。
――大丈夫じゃ、なかった。
「日和様?」
「……私、倒れたんでしたっけ」
「はい。昨日のお昼頃ですので、丸1日ほどお休みになっておられました」
「1日……?」
そんなに。
オスカーさんによると、ガルドさんが私を受け止め、ミレイユさんを呼んでくれたらしい。そのあとガルドさんが侯爵邸まで知らせに来て、オスカーさんが私をここへ運んだという。
「お店については、お2人が戸締まりまでしてくださったそうですよ」
「そこまで……」
胸がさらに重くなる。
店を放り出して、運んでもらって、戸締まりまでしてもらった。
「お医者さんも?」
「昨夜、診ていただきました。身体に大きな異常はなく、疲れが出た可能性もあるとのことです」
「……すみません」
また、人に迷惑をかけた。
この世界へ来たばかりの頃とは違う。店を持って、自分で暮らして、ちゃんとやれていると思っていたのに。
結局、また誰かに助けてもらっている。
「私、何してるんだろう……」
「日和様」
「ちゃんとできてたと思ってたんです。店も、自分でやっていけてると思ってたのに」
昨日戻ってきた感覚が、また胸の奥に浮かぶ。
ちゃんとしなければ。
頼られる側でいなければ。
できることをやらなければ。
そうしていない自分に、何が残るんだろう。
「……情けないですね」
「日和様。ガルド殿もミレイユ殿も、迷惑だから動かれたのではございませんよ」
「分かってます。でも……」
分かっている。
自分だって、誰かが倒れたら助ける。迷惑だなんて思わない。
でも、自分のことになると同じようには考えられなかった。
「……難しいです」
「では、今すぐ納得なさらなくてもよろしいのではないでしょうか」
顔を上げる。
「ただ、先ほどからの謝罪は私がまとめてお預かりいたします。ガルド殿とミレイユ殿、それから医師の分まで」
「そんなまとめ方あります?」
「ございます。今、決めました」
少しだけ笑った。
でも、胸の重さはまだ消えない。
「……エリアス様は?」
「旦那様は公務で屋敷を離れておられます」
「そうなんですね」
ほっとした直後、そんな自分が嫌になった。
好きだと言ってもらったのに、心配をかけたくないから、いなくてよかったと思ってしまった。
「私が倒れたことは……」
「旦那様にはお伝えしております」
「……え」
心臓が沈む。
「とても心配されておりましたよ」
「……まただ」
「日和様?」
「また、エリアス様にも心配かけてる」
侯爵邸に来たときも、店を始めたときも、何度も助けてもらった。
それなのに、また。
「私、エリアス様にもずっと助けてもらってばかりですね」
「日和様」
「……すみません。今、ちょっとうまく考えられないみたいです」
昨日思い出したことは言えなかった。
自分でもまだ、何が起きているのか分からない。
オスカーさんは何も聞かず、少し待ってから口を開いた。
「では、旦那様がお戻りになられましたら、お食事を作って差し上げてはいかがでしょう」
「……ご飯を?」
「はい。旦那様は日和様のお料理がお好きですから」
何が食べたいかと聞いたときの言葉を思い出す。
――日和が俺に食べさせたいもの。
「お詫びではございませんよ。日和様が作りたいと思われたものを、旦那様に食べていただけばよろしいのです」
「私が作りたいもの……」
温かいものがいい。
公務から疲れて帰ってきたあの人が食べて、少しだけ肩の力を抜けるようなもの。
「……考えておきます」
「ええ。まずはしっかりお休みください」
「はい」
胸の奥はまだ重いし、昨日思い出したものも何ひとつ整理できていない。
それでも、エリアス様が帰ってきたら何を作ろう。
今はそれだけなら、考えてもいい気がした。




