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紡宵のエイカシア(ぼうしょうのエイカシア)  作者: 琴欐


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15/15

一つの羽ばたき


「なんだあれは……」


 生い茂る木々の隙間から見えた姿に、思わずルクノウの声が漏れる。


 ルクノウの視線の先には、見たこともない、聞いたこともない鳥が空を泳ぐ。


 その鳥はルクノウの背丈ほどの大きさをしており、羽ばたく度に――その身を七色に変色させていた。




 以前立ち寄った村から、ただ道なりに歩みを進めていたルクノウであったが、その鳥がわずかに逸れた方角へと飛んでいくのが見えたので、脇道の草木を掻き分けながら進むことにした。


 脇道にはところどころ大きく光がさすほどに木々がまばらであったため、あの鳥の動向が伺えた。




 鳥がルクノウの目に“点”ですら認識できなくなった頃、人のざわめく声が聞こえてきた。



「やだねえ」


「とうとうあの爺さんにも迎えがきたんじゃねえのか? しばらく目覚めていないらしいしな」


「縁起でもねえこと言うなよ。第一見間違えかもしれねえだろ?」


「いや、この目でちゃんと見たんだ。あの姿を見間違えるはずもねえ……」


 聞き耳を立てていたわけではないが、はっきりと届いた声の主たちが三人だということにルクノウが気づいたと同時に、向こうもまた、通りかかるルクノウに気づき、一斉に目が合う。


 歳は三人ともルクノウよりわずかに上に見える。


 そして、三人いたうちの一人の男性が、ルクノウに声をかける。



「なああんた、コクシドリを見たか?」



「ちょっと、やめなよ」


 隣に立つ女性が、男性の腕を掴んで止めに入るが、もう一人の男性が合図のように首を横に振って、その手を離させる。

 

「……コクシドリ?」


 一部始終を目にしたルクノウは、わずかにたじろぐが、初めて耳にする言葉にふと湧いた疑問を、ただ素直にぶつける。


「ほら、やっぱり聞いても意味ないじゃない」


「名前を知らないだけかもしれないだろ? なあ、七色に輝く鳥だよ。見たろ?」


 なぜこんなにも強く執拗に聞いてくるのか、ルクノウには不思議でならなかったが、先ほど見たあの鳥のことが何かわかるかもしれないという期待を寄せる。


「それならさっき見かけて、気になって追いかけてきたんですよ」


 ルクノウが“見た”ことに三者三様の反応を見せる。


 自分は嘘つきじゃなかったと証明されて喜ぶ者、本当のことだと知って嘆く者、まだ嘘であってほしいと願う者。


「な? 嘘じゃなかったんだ」


「そんな……おじいさま……」


「まだ……そうと決まったわけじゃないだろ?」


「でも誰かは……」



 “コクシドリがいる”――ただそれだけなのに――


(あの鳥は何を……)




「ただいま、おじいさま」


 先ほどの女性が、ベッドに横たわる一人の老人の手を、優しく撫でながらそう呟く。



「おじいさまはね、もう一年ほど目を覚ましていないの。だから、コクシドリが死を告げにきたのも……」


 ベッドに顔を埋めながら小刻みに震える肩を、ルクノウはただ見つめることしかできなかった。


 コクシドリ――それは、死を告げる者。


 そう言い伝えられていると、先ほどの三人からルクノウは聞いた。


 

 そして、なぜルクノウがこの場にいるのか。


 それは、ルクノウ自身が、コクシドリに死を告げられた対象かもしれないと、内の一人が考え、道端で生きた絶えられても後味が悪いというなんともな理由と、幼き日より祖父と二人で暮らす女性が心配だから見てやってほしいという理由で、コクシドリが村から羽ばたくその日まで、お世話になることになったのだ。


 そのように言い出したのは、最初にルクノウにコクシドリを見たのかと尋ねた男性だったのだが――



「まさかあの大きな鳥が、コクシドリとは……」


「そうよ、あそこの木に我が物顔で止まっている鳥こそ、コクシドリよ。死を告げると言われていることもそうだけど、飛んでいる時だけ七色に輝くなんて、不思議な鳥よね。」


 すっかり落ち着きを取り戻した女性と、テーブルを挟んで対面するルクノウは、淹れられた飲み物を口に運びながら、外を眺める。


 女性の言うように、鳥は木に止まっているのだが、ルクノウが目にした七色の輝きは見る影もなく、その名にふさわしい漆黒を纏う。



「僕はあの鳥のことを今まで聞いたこともなくて、今朝初めて見た時は“綺麗な鳥”としか思わなかったんですけど、この辺りでは珍しくないのですか?」


「“死を告げる”だなんて言われているから、そう滅多に見ることも嫌になるけど、なぜかこの近くを通ることが数年に一度あるのよ。でも、今回は初めてこの村に来たから、噂が本当なのかも実のところはわかっていないの」


「そう……なんですね」


「まあ、暗くなっても仕方ないわよね。さっさとあの鳥にはどこか遠くへ飛んでいってほしいものね」


 そう話す彼女の目は何を捉えていたのか、ルクノウにはわからなかった。


「君も、こんなことに付き合わせてごめんね? 今日はもう日が落ちてしまうだろうけど、明日になれば出て行ってくれてもいいからね?」


「いえ、僕も旅の中で出会いは大切にしていますし、少しでも力になれることがあるなら、いくらでもお手伝いしますよ」


「ありがとうね……あ、そういえば自己紹介がまだだったね。私はステラ。君は?」


「僕はルクノウです」


「よろしくね、ルクノウくん。じゃ、夕飯にでもしようかしら。ルクノウくんは食べれないものとかない?」


「はい、好き嫌いは特には。お手伝いします」




 数日、ルクノウはステラと共に過ごし、田畑の整備や村の雑用をこなしていた。


 依然として、コクシドリは木の上を離れようとはしなかった。


数日が過ぎた。


コクシドリが村へ現れたという噂は、少しずつ広がっていく。


「いつまで居座るつもりなんだ」


「やっぱりあの爺さんなんじゃないのか」


時にはそんな心ない声も聞こえてきた。


それでもルクノウは深く関わろうとはしなかった。


祖父の看病をするステラの代わりに畑を耕し、村の雑用を引き受ける。


今はただ、それだけでいいと思った。


不安になる理由を、一つでも増やしたくなかったからだ。


 ――その日は突然やってきた。



 予兆といえば、コクシドリが来たことだけだっただろうか。



「……おじいさま!」


 祖父の様子を見に行ったステラの声が、扉を隔てたルクノウの元へと届く。


「ステラさん! 大丈夫……そうですね」


 突然の大声に驚いたルクノウが、慌ててステラの元へと向かうも、予想を良い方へと裏切る形で目の前の光景は広がっていた。



 ステラの祖父が――目を覚ましたのだ。



 横たわっていたはずのその身を起こして、窓を眺める祖父と、そのことに気づいて駆け寄ったのであろうステラは瞳を少し潤ませていた。



「随分と長いこと眠りについていたようだね……ありがとうステラ」


「一年よ……本当に、おじいさまったら、お寝坊さんなんだから」


「ははは、なんだか子供のステラに戻ったみたいだ。私は寝ている間に、時を遡ったのかもしれないね」


「もう。でも、元気そうでよかった」


「……それで、その子は? 村中では無さそうだが、私が寝ている間に、とうとう相手を見つけてきたのかい?」


「あ、僕はルクノウ……」


 ルクノウが名を告げると同時に、食い気味にステラが言葉を被せる。


「違うわよ! ルクノウは旅人なんだけど、今は私の手伝いをしてくれていたの。その……」


 ルクノウがステラを手伝う理由――


「ああ、あの鳥だね」


 ステラの祖父は何かを悟ったように、体を起こした視線の先にある窓から見えた、一羽の大きな鳥――コクシドリを視界に収めていた。



「誰かの声がしたんだ。最初はステラかと思ったんだけどね、あの鳥だったんだね。そうかそうか」


 ただ優しく、澄んだ目でステラの祖父は頷く。


「え、どういうこと? もうおじいさまとあの鳥は関係ないんでしょ?」


 ステラも何かを察したのか、一転して表情が曇り始める。


「“死を告げる鳥”だったね。それはとんだ誤解だったよ」


「え?」


「あの鳥は私に、目覚めるように促していたのさ」


「コクシドリが……ですか?」


 思わずルクノウも会話に割って入る。


「ああ、そうだよ」


「ではあの鳥は、目覚めを告げにきたと?」


「それも何か違うような気がしてね」


「おじいさまは今元気に目覚めたじゃない。それで十分よ」


 初めて会った時のように、ステラは希望を込めて呟く。


「いいかいステラ。人はいずれあるべき場所へと帰るのさ。そして、不意に送りださねばならない日が来る。君の母や父の時のようにね」


「それは……そうだけど、“今”じゃないでしょ? 私……もう一人は嫌だよ?」


 しばしの沈黙が三人の間に流れる。


 先に沈黙を破ったのは――


「な、なに!?」


 それは、朝に鳴く鶏とも、赤子の鳴き声とも異なる、何かが弾けたような轟音が窓を揺らすほどの圧を伴って響く。



 ――コクシドリが“鳴いた”のだ。



「そう急かさなくても……君はもう何かに気づいたんじゃないかい? ステラとは違う“目”をしているね」


「ルクノウ……?」


「……あの鳥は、待っているのですね」


「やっぱりおじいさまを連れて行ってしまうの?」


「……待っているのは君だよ、ステラ」


「え?」


「あの鳥はね、“死を告げにきた”のではないのだよ。君が羽ばたけるように、その時を待っているんだ



「私が羽ばたく時?」


「そうさ、いつも残される者の気など知らずに残して行く残酷なこの世界に、時間をくれる優しい存在なのさ」


「おじいさまを連れて行くくせに、優しくなんてないよ」


「ステラ……」


「僕は、寝たきりの人を見送ったことがあります。その人は突然、居て当たり前という現実の前から姿を消した……でもおじいさんは、どれだけ時間があるかはわからないけど、こうしてまた話せる時がきたんだ。僕はそれがあるだけでも嬉しい」


「そうだよね……本当はわかっているの。きっとこれも、欲張っちゃダメだってことも」


 ステラの祖父の手が、ステラの頭を優しく撫でる。


 幼い頃に戻ったようで、二人は時の流れを感じさせなかった。

 



「じゃあ僕は、手伝いに行ってくるね、また夜になったら戻ってくるから」


 ルクノウはこれ以上二人の邪魔をしまいと、いつも通りの場所へと向かう。


「ありがとうルクノウくん。ステラ、もう少しこっちにきてくれるかい?」


「おじいさま……」



 それからの二人は何を話したのか、はたまた、何も言葉を介さなかったのか、ルクノウには知る由もない。


 知るべきではないと、心のどこかでは思っていたのかもしれない。



 ルクノウが家に戻った頃には、ステラの祖父はもう、旅立った後だった。


「おじいさまね、最後の最後までこの手を離さなかったの」


 痩せ細った老人の手であったが、一つも取りこぼさないようにしっかりと握られたその手に、涙が数粒落ちる。


「だからかな、ルクノウ……手、離せないよ……さっきお別れするって決めたばっかりなのにね」


「おじいさん、いい顔をしてるね」


「でしょ? ……手、離すの手伝ってくれる?」


 すっかり熱が冷めたその手は、どこか温かく心を灯す。


 二人の手からステラの祖父の手が離れた時、空が七色に輝く。


 ――コクシドリが羽ばたいたのだ。



 祖父がその背に乗って、遥か遠くの地へと運んでほしい。


 そう願うように目を伏せたステラの隣で、ルクノウは窓から空を眺める。


 まるで雨上がりの空に架かる虹のように、コクシドリの七色が反射して映る。


 やがて夜空にそっと溶けるように、輝く星が煌めいた。

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