夜に跳ねる飛沫
朝方街に着くと、水たまりの上を力いっぱいに跳ねる、一人の少年がいた。
(小さい時に同じようなことをしていたなあ)
五歳ほどだろうか、ルクノウは、その少年を見て自身の幼年期を重ねていた。
水たまりの上を跳ねるだけで日が暮れていた、あの頃を。
(宿は、たしか……)
ルクノウは、門兵に聞いた宿を探して、街中へと進む。
翌朝、宿を出て、なんてことはないが市場を物色しに向かう。
すると、昨日と同じく、水たまりの上を跳ねる男の子がいた。
「ほら、いい加減にしないと置いていくわよ」
少年の母親が呆れた顔をしていた。
「もうちょっとしたらそっちに行くから!」
怒っているわけでもなく、ただ元気にそう言い放った。
夜にまたそこを通ると、水たまりを跳ねる音が聞こえる。
しかし、水たまりには誰もいない。
水が跳ねて波紋が広がる。
悲しみを浮かべた表情の、少年を映して。
数人が水たまりの横を通っていくが、誰も不思議に思わない、気にも留めない。
(みんな……聞こえていない?)
そう思いながら、ルクノウは水たまりへとさらに近寄る。
そこで、音は消える。
水たまりには自分の顔だけが映っていた。
また翌朝になると、例の少年が水たまりを跳ねている。
昨晩のことも片隅にあったからか、ルクノウが目を凝らすと、水面に少年は映っておらず、水飛沫も上がっていなかった。
(ずっと、そうだったのか?)
いつからそうなのか、今となっては知るよしもないが、ルクノウは目に映る光景が、明らかに異常であることはわかった。
「変なことばっかり言わないの」
「変じゃないもん! もう少しで向こうに行けるんだ!」
水たまりを跳ねる少年は、どうやら“向こう側”に固執しているようだった。
母親は、その様子をおかしいな子だと言って、隣に立つ友人に笑いかける。
しかし、少年の様子が、ルクノウには本当に向こう側に渡ろうとしているように見えていた。
(夜の水たまりは……)
「暗くなる前に帰ってきなさいよ」
「うん。もう少しだけ」
そういって親子が別れる。
見計らって、向こうに渡りたいという子供にルクノウは話しかける。
「向こう側……行きたいの?」
「うん。ここから向こう側に行くんだ」
「向こう側には一人ぼっちになっちゃうよ」
「いいよ」
「お母さんにも、友達にだって、もう会えなくなるけどいいの?」
「別にいいもん、俺一人でもやっていけるし」
「一人になれたら……泣くことができるようになるのかい?」
ルクノウは昨夜の水たまりに映る少年の姿を思い出していた。
少年は、その一言で跳ねる足を止める。
「え……いや、泣くなんて弱いやつのすることだもん。俺、泣かないもん」
「それは違うよ。どれだけ強い人だって、涙することはあるんだ。嬉しい時も、悲しい時もね」
「でも、誰も聞いてくれないもん」
「気持ちがぶつかり合うと、うまく届かないこともあるんだ」
「なんだよそれ、難しいよ」
「うん、そうなんだ。難しいから、人を頼って支え合っていくんだよ」
小さい頃に、兄に諭されたことを思い出していた。
(ウィル兄さんも、こういう気持ちだったのかな)
「……わかった。ちゃんと話してみる」
「うん。また、話聞かせてよ」
翌朝、少年が駆け寄ってきた。
「話、聞いてもらえたよ!」
その笑顔に曇りはなく、影も色濃く映る。
「つまんないのー」
そう言いながら、あえて飛沫があがるよう力強く水たまりを通過する子どもたちがいた。
その水たまりは、昨日よりわずかに渇いているように見えた。




