安土普請の事
同年(天正四年)春、信長公は諸公に命じて城郭を近江国安土山に建てた。
七重の殿守を上げ、堀を深くして石垣を高くした。
殿守を初めて作ったのは信長公である。
諸勢は争うように造った。普請というものは争えば苦労するだけで功がないものだ。
この時、信孝は器量が人に勝れており、金の采配を持って音頭をとった。その様子は誠に美しかった。
当時の人々は伊勢神戸三七のことを今様の歌にして謡った。
信長公はこの城に移り近江侍を旗本にした。
岐阜城の方は秋田城介信忠に譲り、美濃侍を信忠に付けた。
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>七重の殿守を上げ
殿守
てんしゅは「天守」「天主」「殿守」など古い時代の文献においては表記が様々です。勢州軍記では「殿守」と記しているので、この現代語訳でも一応「殿守」としました。
そして「七重」とは何なのか。七重の「重」とは具体的に何の単位?
私、本当に無知なのでわからず困惑。それで研究者の方が書いた本で調べてみました。
天守の高さは外側から見える屋根の「重」数と内部の「階」数で言い表すのだそうです。
が、昔の史料では「重」と「階」が逆の意味で書かれていることが多かったのだとか。
つまり、この場合の「七重」とは七階(地上六階地下一階)を意味するのだそうです。安土城の天守は五重七階だったのです。
大きいですよね。安土城についてはルイス・フロイスも書き残しています。抜粋載せときます。
「1582年11月5日付 イエズス会総会長宛フロイス書簡
近江国の安土山と称し、都より十四レグワの所に甚だ驚くべきまた非常に立派なる城と宮殿とを建築した。この宮殿と七階を有する城の壮麗なることは、彼が大いに誇ったところである。」
>初めて作ったのは信長公である。
安土城以前にも、高層の建築物はすでに存在していたらしいのです。多聞山城や楽田城に高層の櫓がありました。これらを安土城よりも先に建てられた天守だとする話もありますが、大型の櫓であって御殿建築の天守とは違うものなんだとか。
では、いわゆる天守の始まりは何なのか。岐阜城にあったとされる四階建ての御殿が始まりだとする説や信長が義昭のために建てた二条城の天主が始まりだとする説があります。
諸説ありますが、勢州軍記をはじめ、江戸時代の文献では安土城が始まりだとする言説が多いです。それほど安土城の天守はインパクトが強かったということではないでしょうか。
>信孝は器量が人に勝れており、金の采配を持って音頭をとった
>人々は伊勢神戸三七のことを今様の歌にして謡った。
石や木を曳く作業をする時、木遣り歌を歌う文化がありました。
信孝が音頭をとって歌いながら作業をしたというのはこの文化を伝えるものだろうと思います。信孝の似たような話は総見記(織田軍記)にもあります。(抜粋は後に載せておきます)
総見記に「希代の見物」と書かれているのは、城づくりはお祭りのようなイベントでもあったのでしょう。
また、重たくてなかなか動かせないときにこのように木遣りの音頭をとり、より華やかにするのは芸能的呪術の意味があったという話もあります。音頭をとって囃し立てて木や石に宿る精霊に動いてもらうという考えが根底にあったのでしょう。
そうなると、音頭をとる人というのは、やはり皆に認められている人でないと。信孝は歴とした織田一門の男子の一人だと、周囲に認識されていたのでしょうね(勢州軍記の作者は神戸氏の人なので、信孝贔屓の可能性はありますが)
総見記
「ココニ津田御坊ヨリ蛇石ト云大石ヲ麓マデ寄ラレ候ヘドモ一切ニ上ラズ候惟住五郎左衛門瀧川左近羽柴筑前三人ヨリ合力セシメ一万余人の人数ヲ以テ昼夜三日ニ引上ラレ候大将家御功ヲ以テタヤスク御天守へ上サセラレ昼夜山谷モ動クバカリノ様体ナリ此御普請石引ノ次第希代ノ見物也神戸三七郎殿信孝自身金ノ幣ヲ持テ音頭ヲ上ゲ木遣謳テ引上ゲラルルト云々」
ここまで信孝と木遣歌の考察をつらつらと述べましたが、これが実際にあった話なのかはよくわかりません。
太田牛一の信長公記における安土城の大石の話に信孝は登場しないのです。
しかも、勢州軍記や総見記では華やかな様子が伝わっていますが、ルイスフロイスの日本史によると、大石を運ぶ際、人身事故があり150名以上が犠牲になったという話が伝わっています。
何が本当なのかはわかりませんが、勢州軍記における安土普請の記事は若き信孝の輝かしい姿を描き出しています。彼の悲しい最期を思うと、「神戸」の名を継いだ作者神戸良政の手によってこの話が書き残されたことは、せめてもの慰めになるかもしれません。
参考文献
杉村弘「善光寺木遣孝(二)」(1996)
小笠原恭子『かぶきの誕生』(1972)
北野隆『復元大系日本の城9』(1993)
川田忠『名古屋歴史散策:名古屋とその周辺』(1980)
三浦正幸『天守 芸術建築の本質と歴史』(2022)
小和田哲男「安土城の謎 築城をめぐる疑問?」(『織田信長七つの謎』より)(1989)




