国司使者の事
天正四年丙子春の正月、国司は鳥屋尾石見守とその甥・右近将監を使者とし、年頭の祝儀のために岐阜城に遣わした。
しかし、信長公は暫くこの二人に会おうとしなかった。
右近将監は怒って言った。
「信長公は私の主君ではない。無礼だ」
そう言うと石見守と一緒に帰ろうと促し、石見守も同心して帰った。
その時、信長公は使者をたてて石見守を呼び戻した。これは石見守一生の不覚だとか。
信長公は憤り、石見守からの進物を白砂の上に置かせた。そして信長公は縁側の上に立ち長刀を振るって見せると室内に入った。
信長公のこの態度を見て石見守は「信長は国司を殺そうとしている」と感じた。
信長公のこのような露骨な振る舞いは平和的な関係を保つ気がないということだろう。
文中の「国司」とは具教のことを指すのか具房のことを指すのか?
『伊勢記』を確認したら「前伊勢国司」と書いてあったので、具教のことだと思われます。しかし、その直後の記述では「大御所具教卿中御所具房朝臣」が石見守と右近将監を派遣したとしているので、先代と当代の国司がそれぞれの使者をセットで派遣したという話なのかもしれません。そういうことなら使者が二人なのも納得。
ただ、今回のこの話、本当にあったことなのか不明です。当時の史料にはありませんし。後の世に作られた話かもしれない……。とは言え、当時の北畠と織田の不穏な空気を伝えるものではあると思います。
さて、この後の二月、安土城の普請が始まることになります。次回は「安土普請の事」を訳す予定です。




