第6部分 君達生害の事について、訂正します
うわあ、ごめんなさい!
第6部分 君達生害の事において、ちょっと訳し方に自信のない部分がありました。
>一人は之に組み、一人は之を刺殺す。
私はこの部分を「二人は之に組み、一人は之を刺殺す」の誤りではないかと考えましたが……ごめんなさい!
私が間違ってます!
神戸能房(良政)著『伊勢記』を見ると
「同日朝殺大御所次男長野殿 同三男式部少輔殿 元東門院兒也 同婿坂内兵庫頭三人於田丸城
長野殿 式部殿 大河内殿 坂内殿 父子 時在田丸也 定相図鐘一時殺之 先信雄誘催今朝此人於田丸城 饗応各登城 使土方勘兵衛尉 立木久内 津川源三郎 日置大膳亮 足助十兵衛尉 森清十郎等定可一人組之一人刺殺之 聞鐘音各出座謂御時分吉三人衆悉勝出立座處各組之各羌殺之兼供奉者追出之云云」
とあります。
漢文がむずかしくて、正確には訳せないのですが……
土方や日置ら刺客は六人ですね。ターゲットは長野具藤ら三人の君達……。つまり、一人につき二人がかりで殺害すると決めていて鐘を合図にとりかかったということではないかと思います。
一人がターゲットと組打ちし、もう一人が隙をみて刺すという計画でしょう。うわぁ、悲惨……。
では、次に『勢陽雑記』を見てみましょう。
p259
「同日田丸にては、兼て饗応と称して相図を約し、具教卿の次男、長野次郎、三男式部少輔、又具教卿の聟坂内兵庫頭三人をば土方勘兵衛尉、立木宮内、津川源三郎、日置大膳亮、足助十兵衛尉、森清十郎六人を手分して、一人に二人宛の手当を定め、一人は是と組めば一人はさし殺し、何の子細もなく三人ともに殺害し奉ると云々(以下略)」
ということだそうです。
第6部分で私が書いたことは間違えてましたね。ごめんなさい!
勢州軍記の著者、神戸良政は紀州藩に仕官した後、「能房」に改名しています、『伊勢記』(蓬佐文庫所蔵)は能房の晩年に完成したのではないかと、勢田道生氏の論文に書いてありました。
『勢陽雑記』は江戸時代に山中為綱によって書かれた伊勢国の地誌です。