伊勢北畠は「国司」なの?「伊勢守護」なの?
伊勢北畠の小説を書こうと思ったら、この問題、けっこう重要な話じゃない? というわけで、ちょっと勉強してみました。
主な参考資料は『三重県史』と大薮海氏『室町幕府と地域権力』ですが、私の主観(感想)も交えたものになっていますので、そのことをふまえた上でお読みください。
南北朝にわかれていた時、伊勢北畠は南朝から「国司」に任じられました(初代は顕能であるというのが定説)。
では南北朝統一後はどうか?
かつては北畠は「伊勢守護」に任じられていたのであろうと考えられていたのですが、最近の研究ではどうやら違うということがわかってきたみたいです。
■文明2年以前は伊勢守護じゃなかった。
北畠は文明2年以前は「伊勢守護」には任じられておらず、土岐氏や仁木氏、一色氏が「伊勢守護」に任じられています。
雲出川の北を伊勢守護が、南を北畠が支配していました。雲出川は境界線だったのです。こう書くと、いつも何気なく見ている雲出川がカッコいい川に思えてくる。演歌のタイトルとかにありそう。
■「国司」は通称だった???
ええ。実は国司に任官されていないんです。でも、当時の史料(日記とか)では伊勢北畠のこと「伊勢国司」と書いているんですね。
任官されていないのに「国司」と呼ばれていた。通称だったんです。
大薮海氏によると、京都の朝廷や幕府の人たちにとっては「北畠」と言えば、いつも京都にいる「木造」家のことだったんです。で、区別するために伊勢の北畠のことを「国司」と言っていたのだと考えられるのだとか。ええ……、伊勢の北畠の方が本家なのにぃ(*´Д`*)
木造家と北畠家は祖は同じでも別の家という感覚だったのでしょうか。北畠vs木造の戦いもありましたし。
木造家がいち早く信長に通じたというのも、もともと両家はがっちり一心同体な仲だったわけではなかったのだから当然といえば当然の流れだったのかもしれませんね。
※wikipediaでは「国司と守護を兼任していた」と記述し三重県のサイトを出典にあげていますが、これはWikipediaの誤りでしょう。
出典サイトをよく読むと「兼任」とは一言も書いていないんですね。ただ、サイトの文章を「北畠は国司に任官されていた」という先入観を持った人が読むと「兼任だった?」と勘違いしてしまってもおかしくない文章ではあります。
■「守護」に任じられたけど……
文明2年、北畠は伊勢守護に任じられます。応仁の乱で東と西に分かれて争っていたころです。北畠を東軍側にひきこみたい幕府の思惑があったと考えられるそうです。
しかし、のちに北畠は守護職を辞退したがっていたのだとか。なぜ辞退したがっていたかはよくわからないそうなんですが……。うーん、なぜなんだろ??
まあ、守護に任官されたら余計な仕事押し付けられるかもしれんし、そもそも守護に任官されてもされなくてもやること変わんなさそうだよねえ。「実力」で在地の支配していかなきゃいけない時代だったもの。武威武威V('ω')V
北畠が守護職を辞めたがっていたのに幕府はなかなか認めてくれてなかったんですね。
それなのに、突然幕府は文明9年、一色氏を伊勢守護職に補任します。この補任は北畠の罷免をちゃんとしないまましちゃったらしく、これがもとで北畠VS一色の合戦があったみたいです。
なんやかんやあって、文明11年8月、正式に北畠政郷は罷免され、一色義春が伊勢守護職に補任されます。どうもこの頃、北畠と幕府の仲が悪かったみたいで、北畠は幕府と対立していた畠山義就の味方についたようです。
■伊勢守護に再補任された……んだけれども。
文明18年、畠山義就が幕府に赦されたときに北畠も一緒に赦されたらしく、再び伊勢守護職に補任されたようです。
で、それからまた幕府との関係は色々あって、北畠材親が将軍義材から「材」の一字をもらうほど幕府と良好な時期もあったのですが……
明応の変によって義材が将軍ではなくなりました。
で、代わって第11代将軍になった義澄と北畠は仲が好くなかったみたいなのです。(明応の変の時の北畠の動向は史料がなく不明ですが)
義澄は北畠ではなく、細川澄元を伊勢守護職に補任します。
北畠は守護職を失ってしまいました…。
ところが、新たに守護職についた細川澄元が「伊勢守護」として活動した記録が残っていないのです。ということは、この頃には伊勢国にとって「守護職」とは有名無実のものになっていたのだろうと考えられるのです。
永正5年、再び将軍になった義材によって北畠は伊勢守護に再補任されますが、「守護職」は有名無実化していたので、再補任されたからといって特に何か変化があったのでしょうか……。
これより後の時代の晴具や具教、具房の頃(←信長が生きていた時代)の「伊勢守護」はどうなっていたのか史料がなく不明です。
ただ、「伊勢守護職」がどうであれ、北畠は知行主として一志・飯高郡を支配し、この二郡にとどまらず神三郡や大和国にも手をのばしていきました。
■参考文献
『伊勢市史』
『三重県史』
大藪海『室町幕府と地域権力』
藤田達生編『伊勢国司北畠氏の研究』
今回私が書いたものは参考文献の一部分を参考にしています。もっと北畠について知りたい人はぜひ参考文献をお読みください。
次回は長嶋攻めの話を訳ししたいと思っています。この連載は本来、勢州軍記の現代語訳なんですよね、すみません(._.)次回からは現代語訳を進めていきます。