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長嶌一揆の事

今回は長島一向一揆のことです。とはいっても、高田派についての説明になっています。

元亀元年秋、摂州大坂の門跡の謀反により、一向宗の僧徒は諸国に出張した。そして北伊勢の長島近くの島々の海賊も一向宗に属しており、要害をおさえて一揆をおこした。

 男は退くべからざるの誓いを立て、女は嘆くべからずの誓いを立て、心を弥陀の本願に託し、命を失うことを惜しまなかった。

 征伐を恐れずに諸島の土地、財産を武力で奪い反逆者となった。

 そのため瀧川一益は常に彼らと戦ったが、彼らの士気は高く、なかなか滅ぼすことができなかった。

 伊勢の国において一向宗の本寺はあったが、彼ら反逆者の仲間ではなかった。安濃郡、一身田いしんでん専修寺せんじゅじである。元は下野国高田山専修寺であった。大坂の本願寺よりも正統である。

 この寺は親鸞上人十世後の真慧しんね上人が寛正の頃に創設した。真慧上人の次の應眞上人は飛鳥井の子息を養子にした。この養子が堯慧ぎょうえ僧正である。堯慧僧正は乙部兵庫頭藤政の婿となった。

 その次の堯眞ぎょうじん僧正は信長卿の姉婿である犬山鉄斎の婿となった。

>反逆者の仲間ではなかった

専修寺様のサイトによると、天文十六年七月、伊勢北畠氏は「専修寺門徒は本願寺門徒と各別である旨」を承認したそうです。


>下野国高田

栃木県芳賀郡二宮町高田 親鸞の創設


>飛鳥井家の子息

飛鳥井権大納言従一位藤原雅通の息子


>乙部兵庫頭藤政の婿

安濃の有力者の渋見城主乙部藤政。詳しくは「船江打出の事」のあとがきをご覧ください。

専修寺様のサイトによると、天文十三年に藤政の娘は堯慧上人のもとへ輿入れしたそうです。

また、津市に真宗高田派乙部山潮山寺があります。潮山寺様のサイトによると、開基は真慧上人の隨弟、浄幸坊で、本尊は元は乙部藤政の守護仏だったそうです。

乙部藤政は専修寺と深いつながりがあったのでしょう。そして南伊勢の船江衆とも縁戚関係がありました。あまり史料が残っていない人ですが、気になる人物です。



 高田専修寺派は本願寺派とは同じ浄土真宗であっても同一視されないようにしていたみたいです。

両派は長年対立関係にあって、高田派は守護富樫政親や朝倉氏と共に加賀一向一揆(本願寺門徒)と戦っています。(参考 平松令三「高田専修寺真慧と本願寺蓮如」)

 伊勢国ではどうだったんでしょうか?

 長島一向一揆と高田派が直接対決したという史料はないみたいですが、おそらく高田派は織田側だったと思われます。


 高田派無量寿寺(専修寺)の教線は鈴鹿・河曲郡から三重郡に伸びていたそうですが、本願寺派の教線が南下しつつあり、両派の教線は接しつつあったようです。そして、隣接地帯付近の「日永」は千部経供養が行われるなど高田派にとって重要な拠点でした。(稲本紀昭氏「織田信長と長島一揆」参考)このような伊勢国の情勢を考えると敵の敵は味方、高田派は織田に親和的だったのではないでしょうか?

 天正元年十月、信長は無量寿寺(専修寺)宛に禁制札を出しています。

 また天正三年、高田専修寺堯恵僧正宛ての滝川一益の寄進状があります。日永の興正寺周辺の土地を寄進したようです。一向一揆相手にずっと戦っていた一益が桑名、長嶋に近い日永の土地を専修寺に寄進したというのは、高田派は長島一向一揆(本願寺派)と対立しており、織田に親和的だったということでしょう。

▲追記(2025年10月20日)

『三重県安濃郡誌』(大正13年)によると、永禄11年に織田勢が一身田を攻め、細野氏が助けたという話があります。おそらく細野氏の家譜を参考にしていると思われます。

また一身田の大僧正から細野藤敦宛の書状(たぶん、写しかな?)も伝わっています。(水野智之氏「伊勢長野氏家譜・伊勢長野九族略系にみる中世文書」『ふびと』64号より)

詳細がわからずこの話がどこまで事実だったのか判断できませんが、「織田に親和的だった」という私の仮説は考えを改めなければいけませんね……

史料などと併せて想像すると……

織田軍と専修時の間で何かしら揉め事があったが和解し、天正元年の信長の禁制札が出された、ということなのかもしれません。わかんないけど。



参考文献

平松令三「伊勢地方における室町時代の高田派教団について」「高田専修寺真慧と本願寺蓮如」

高田本山専修寺様のサイト

真宗高田派乙部山潮音寺様のサイト

稲本紀昭「織田信長と長島一揆」

水野智之「伊勢長野氏家譜・伊勢長野九族略系にみる中世文書」『ふびと』64号

『三重県安濃郡誌』

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