坂内萬輔の事
前回の「大河内家の事」は少し改稿しました。「大河内御所」を「大河内教通」として現代語訳しましたが、やはり気になったので……詳しくは前回の後書きに書きました。
さて、今回は坂内御所殺害に関する記述です。
坂内萬輔とは北畠の一族、坂内具信のことです。
ウィキペディア三瀬の変では「具房」になっていますが「具信」です。
この人は田丸城で殺害された坂内具義のお父さんです。
坂内大御所刑部大輔入道萬輔を討つ命令をうけたのは、池尻平九衛門尉、天野佐左衛門尉である。※二人とも信雄の付け人
池尻、天野は家来たちを率いて萬輔のいる田丸の宿所を取り囲んだ。
坂内家の者たちはこの騒動を聞き、当初は防戦をしようとしたのだが……しかし、池尻、天野ら織田方の使者と通じ寝返ってしまった。
坂内衆は義を捨てて自分たちの命を守るため、主君(坂内大御所)の首を斬り織田方に差し出したのである。
このため、「坂内衆は大豆年貢」と笑われた。
主君を討ってその首を差し出したことを、大豆を打って年貢として出すことにたとえられたのだ。
北畠御所討死法名ではなぜか「具房」という表記になっているのですが、系図等では「具信」です。幕末の学者・斉藤拙堂(伊勢国司記略の著者)も「北畠御所討死法名」の誤りを指摘しています。
が、ネットなどで見ると現在は坂内具信の別名が「具房」だと理解されているようです。(本当に別名だったかもしれないけど)
みんな名前が似ているのでややこしいですね(^_^;)
ウィキペディアは坂内具信と北畠具房(信雄の養父)が混同しているようで、北畠具房の戒名のところに坂内具信の戒名が記されています。圓徳院通山満浦大居士は坂内具信の戒名だよ―!
追記
浄眼寺系図を見たら、左中将具房の戒名に「圓徳院通山満浦大居士」という文字がありました!
どうなってるの?
二人とも同じ戒名なの?!
あ、ウィキペディアの編集者様、ごめんなさい。