信雄祝言の事
長嶋一揆の事はちょっと飛ばして訳します。
今回は「信雄祝言の事」。
茶筅丸が北畠の姫と結婚します。
信雄祝言の事
御本所具房は茶筅丸を養子と言い、三年間船江の薬師寺に住まわせた。
元亀二年夏の頃、御本所は具教卿の娘である自分の妹を養子にし、茶筅丸の正室(北の方)に定めた。
船江城において結婚の儀を終え、その後、茶筅丸を大河内城に移した。
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『勢州軍記』において信雄の妻、北畠具教の娘に関する記述はこれだけです。
年齢も本名もわかりません。
「北畠御所討死法名」「多芸録」には「千代御前」、
地元には「雪姫」と伝わっています。
実は私が北畠について色々調べるようになったのは
雪姫(千代御前)がきっかけなんです。雪姫について知りたくて色々調べてブログまで始めちゃったし。(現在お休み中)
「北畠御所討死法名」「多芸録」では雪姫は三瀬の変で死んだとありますが、他の史料では生きて織田秀雄、小姫を生み、最期は信雄の隠遁先である伊予で亡くなっています。
最後まで夫・信雄についていったということですよね。
もう、ドラマですよ!彼女の人生は!
ところで、私がブログに載せたもの以外にもおそらく雪姫に関することであろう史料があることを最近知りました。
小林郁氏「戦国時代の伊勢御師ーその性格と特質ー」によると、
外宮御師の家に伝わっていた文書の中に、おそらく雪姫のことであろう女性が出てくるそうです。
雪姫のことは史料がほとんどありませんから、これは貴重!
文書の内容は、
「濃州」に行く「御姫様」に同行する予定の北畠家臣がその路賃を貸してほしいと御師に頼んでいるお手紙
なんだそうです。
濃州に用事がある北畠のお姫様といったら、信雄の妻、雪姫ですよね!
小林氏は「織田信雄に嫁いだとされる、北畠具教の娘である可能性は極めて高いものと考えられる」としています。
これで私はテンション爆上がりで妄想がはかどりました。
何年に書かれたものか不明の手紙ですが、日付が年末のものなので夫婦そろって正月の挨拶のために信長のところへ行ったのかも…?