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信長参宮の事

更新遅くなって申し訳ありません。


訳よりも後書きに時間かかりました…

その後、信長は分国のすべての関所を停止させ、その次に伊勢両宮に参宮を遂げた。宿泊所は堤大夫の館であった。福井大夫はそのことを恨んで、内宮に参宮した時は信長の家中にいる自分の檀那に密かに頼んで帰りは自分のところへ宿泊させた。

 堤大夫は福井大夫のこの謀略を訴えた。

 そのため、福井の館は攻められ、福井はしばらく山田を出て謹慎したという。

 そんなことがあった後、信長は岐阜城に帰ることになった。例の船江の溢れ者どもは、三渡(松阪市六軒町三渡)にて待ちかまえ、信長の先鋒隊に向かって鉄砲を数発撃ったという。


>すべての関所を停止


 『信長公記』にも関所のことについて信長が触れている記述があります。


『信長公記』より一部引用(国立国会図書館デジタルコレクションより)

「然間田丸の城を初として国中城々破却之御奉行萬方へ被仰付其上當国の諸関取分往還旅人之悩たる間於末代御免除之上向後関銭不可召置の旨堅被仰付

十月五日 信長公山田に至て御参宮堤源介所御寄宿六日に内宮外宮淺間山被成御参詣翌日御下向(以下略)」


『信長公記』では関銭を今後徴収するなと「お言いつけになった」と書いていますが、「実施した」とは書いていませんね。

 『多聞院日記』によると、和睦後すぐではなく翌年の正月から関所が停止されたらしいです。



■信長は伊勢に革新をもたらしたのか?


『勢州軍記』や『信長公記』のこの記述をみると、信長が伊勢国の関所を廃止し、伊勢国に革新をもたらしたのだ、という印象をうけてしまうかもしれませんが……


信長が伊勢に来る前にも関所の停止はあったのです。


天文七年、北畠晴具が参宮者のために諸関を撤しています。(大西源一『参宮の今昔』より)

また、同十一年の内宮仮殿遷宮のとき、参宮街道の関所が開放されています(北畠氏、長野氏、関氏、雲林院氏が協力して実現しました)。

そして、同二十二年、晴具が病気本復の立願のために諸街道の諸関を解放しています。

永禄六年、外宮の式年遷宮のとき、遷宮に関係して伊勢を訪れる人々のために伊勢・近江両国の諸関は三十日間にわたって開放されたということもあったらしいです(『伊勢市史 第二巻 中世編』p559~p564,p573参考)

ですから、伊勢における「関所の停止」というのは何も信長の画期的なアイデアだったわけでもなく、信長が初めて実施させたというわけでもないのです。




■なぜ、信長は「関所をやめろ」と言ったのか?


 関所のことは神宮の神官たちの悩みの種。私の妄想ですけど、彼らの心証をよくしたい信長のパフォーマンスだったと考えられないでしょうか?


 参宮街道を掌握した北畠氏は過去に参宮者や勅使(伊勢神宮の神事のために遣わされる使者)を足止めして伊勢神宮を困らせたこともあったので、そのへんの事情をふまえて信長は北畠に勝った事をアピールしたかったからかもしれません。

 

▲追記(2021年6月19日)

神戸能房(良政)の『伊勢記』に

「當国者諸国人参宮地也然而国司分領構城郭百廿■所其所々皆有関唯被残肝要城郭及関所自餘城関被破却■和睦可仕云云」

とありました。「伊勢は諸国から伊勢神宮に参る人がやって来るところだ。それなのに城郭が百二十か所もありそこには関所もある。関所と城を破却するなら和睦しましょう」と織田側から提案があったとの記述です。

『伊勢記』は江戸時代に書かれたものですし、どこまで信じていいものかはわかりませんが、著者の中で「伊勢における信長の関所政策と伊勢神宮は関連している」という認識があったのでしょう。


 ……信長が敬神家であり関所の停止も伊勢神宮に関係があるというのは昭和期の三重県の郷土史関係の本に当然のように書かれているんですよね。 戦前の皇国史観では信長は敬神家として評価されていたのでその流れもあるのでしょうが;


▲さらに追記(2021年7月2日)

大藪海氏『室町幕府と地域権力』に北畠氏と参宮路の関所について書いてありました。北畠氏は参宮路に関所を設置し、幕府に咎められつつも長年にわたって関所を設置し続け、それは他国の参宮路の関所にまで支配が及ぶようになっていたのだとか。ここからは私の妄想ですが、信長が関所を停止するように言ったのは北畠氏が参宮路に設置した関所に限った話だったのかなあ、と。



>堤大夫

 堤大夫は伊勢御師です。『信長公記』では「堤源介」という名で登場しています。

『度会人物誌』をみると「源助」という別称をもつ堤家の人が何人かいます。もしかしたら堤家で代々受け継いでいた名なのかもしれません。



 そして、堤大夫の檀那は北畠です。

 檀那(道者とも)とは、信仰によって個人的に御師と結びついた人です。この関係は師檀関係といいます。

 檀那が伊勢にお参りに来たときは御師が宿泊所を提供していました。

 また檀那は御師を通じて伊勢神宮への祈祷や神楽執行のお願いについて依頼し、その見返りとして御師に金品を渡していました。

 この師檀関係はめったなことでは解消されるものではなかったのだそうです。

(『伊勢市史 第二巻 中世編』p646参考)


 織田と師檀関係にあったのは上部氏です。上部氏の宿に泊まるのではなく、北畠を檀那にもつ堤氏の宿に泊まったのはなぜなのか?

第46部分「信長はなぜ堤源助の宿に泊まったのだろう」にて考察しましたので、ぜひお読みください。


>堤大夫は福井大夫のこの謀略を訴えた。そのため、福井の館は攻められ、

 

 永禄十二年のこの事件について私なりに調べたのですが、不明です。

 ただ、『伊勢市史 第二巻 中世編』p503によると、永禄元年に堤家と福井家がささいなことで仲違いし、双方の同勢数十人が入り乱れて福井家のある所を中心に戦い、堤方が近辺を燃やしてしまった事件があったそうです。この時は外宮長官と北畠家老鳥屋尾石見守の二人が仲介して和睦させたとのこと。(この事件の記録は『常基雑事言』にあります)

 もしかしたら、この永禄元年の事件の話が「永禄十二年の信長参宮の時のことだ」と誤って伝わり『勢州軍記』に記されたのかもしれません。


★戦国大名と伊勢御師について

 蒙古襲来をきっかけに伊勢神宮の神格は皇祖神より国主神(国家神)という性格が強まり、室町時代以降は伊勢御師(宇治山田の神役人層の人々が中心)が全国各地に行って伊勢信仰を広めました。

 戦国大名や武士は、戦勝悲願や武運長久、子孫繁昌といった利益を伊勢神宮に求めていました。(『伊勢市史 第二巻 中世編』p659参考)

 伊勢御師たちはそういった戦国大名と師檀関係を結びました。徳川、今川、朝倉、毛利、大内、長宗我部、そして九州の大友、島津……

 御師は軍事的な協力もして、ときには従軍することも。そして彼らのなかには甲斐武田氏や越後上杉氏の家臣になった者もいたのです。

 ただ、この師檀関係。めったなことでは解消されないと言いましたが、御師が不忠をはたらいた場合や他の御師の方が忠節が良いと判断された場合は解消され、他の御師に乗り換えられるということもあったそうです。(P661~662参考)


★織田と師檀関係を結んでいた上部うわべ氏について

 信長と師檀関係を結んでいた御師は上部貞永です。いつごろからなのかはハッキリとはわかりませんが、貞永の父・永元の代から師檀関係にあったかもしれないとのこと。(『伊勢市史 第二巻 中世編』p679参考)

 上部貞永は信長の家臣としても活躍し、なんと秀吉とも師檀関係を結んでいました。

 


 戦国時代の伊勢御師、面白いですよね。 

 伊勢御師の視点で戦国時代を眺めれば今までとは違う風景が見えてくるような気がしませんか?


 NHK様、ぜひ大河ドラマに上部貞永を出しましょう!




※伊勢御師についてもっと詳しく正確に知りたいという方は『伊勢市史 第二巻 中世編』や研究者の方々の論文等をお読みください。




>例の船江の溢れ者どもは、三渡(松阪市六軒町三渡)にて待ちかまえ、信長の先鋒隊に向かって鉄砲を数発撃ったという。


 斎藤拙堂『伊勢国司記略』によれば

「例の船江の城兵共三渡に出迎ひて、鉄砲をうち掛け先手を驚かせり。織田殿いたく怒らせ給ひ、やがて船江の城を破却することを命ぜらる。」

と記しています。拙堂は城の破却命令の理由は船江衆が信長を怒らせたためだとしているようです。


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