諸木野弓の事
ある時、信長の本陣桂瀬山にて、ある人が松の大木のそばに立ち大河内城に向かって言った。
「大腹御所の餅喰い!」
大河内城の者たちはこれに腹を立て、精鋭の兵に射させることにした。
この当時、大和国の秋山家の侍に弓の名手が三人いた。
諸木野弥三郎、秋山萬助、秋山志摩介だ。
その中から、諸木野を選び、松の大木のそばに立つ者を射るように命じた。
弥三郎はつつしんで承り、桂瀬山の方へ向かって立ち、大きな弓に大きな矢を番え射った。
敵味方、皆はこれを見物した。
矢は正確に四、五町余を飛んで行き、松の大木ごと例の人を射抜いた。
信長は感心して、その矢を抜いて大河内城に送ったという。
敵も味方も大いに喜んだのであった。
>諸木野弥三郎
北畠家臣帳、伊勢国司諸侍役付には「諸木」という名の人物はいますが「諸木野」はいません。
伊勢国司諸侍役付には「諸木伝助」という人物がいて
「弓大将大河内合戦ニ大弓ヲ引五人張十五来敵ノ大軍ヲ射殺無比類ノ手柄 伊賀名張郡諸木」
と記されています。この人物は弥三郎と同一人物なのでしょうか?
同一人物かどうかはともかく、北畠家臣には弓の名手が多かったんじゃないのかなぁと思います。近畿地方は良い竹がとれるから弓の名手が多いという話を『図説戦国時代武器・防具・戦術百科』(トマス・D・コンラン著)で読んだことがあります。
映画にもなった小説『忍びの国』に登場する日置大膳亮も弓の名手という設定でしたね。(日置大膳亮が弓の名手だという文献は私が知る限りでは見つかりません)
『忍びの国』の日置大膳亮は、大宮大之丞と諸木野弥三郎、日置大膳亮の3人を組み合わせて創作したキャラクターなのではないかと私は思っています。(和田竜先生、違ったらごめんなさい)
>四、五町余
地図で見たら、五町以上あるような気が;
大河内城と桂瀬山は約2kmは離れています。
ホンマにこんな距離を矢が届いたんか? と疑問に思ってググったら、素晴らしいサイトを見つけました↓
ttp://www.iinan.net/
(畏れ多いことに、参考サイトとして私のなろうのページのURLを貼ってくださっています。)
大河内城に近い只越山に矢を放ったのであろうと考察しておられます。
※真偽不明ですが、他サイトのURLを貼ると小説家になろうの運営様に怒られるという話を見たことがあります。怒られたら消しますね。




