搦手夜討の事
九月下旬、信長は戦法を変えることにし、南方にいる軍に命令した。
命令を受けて池田勝三郎信輝、丹羽五郎左衛門尉長秀、稲葉伊予入道一徹らは搦手(城の裏門)に攻め入り、夜討ちをしようとした。
織田勢の三大将(池田、丹羽、稲葉)の諸侍たちは闇夜にまぎれて秘かに龍蔵庵口に侵入し朝日孫八郎(信長の武将)の陣所から二の丸に忍び入って鬨の声をあげた。
この時、鬨の声をあげたのは織田勢のミスである。おそらく、本丸に入ったと思って鬨の声をあげたのだろう。
国司勢はこの声を聞いて本丸から投松明を出し、弓鉄砲を次々に撃った。的になった織田勢はことごとく打倒されて、その死体は山のようであった。
その後、国司勢は門を開け、日置大膳亮、安保大蔵少輔、家木主水佑、長野左京亮以下の諸侍は槍をひっさげ太刀を振って討ち出てそれぞれ功名をたてた。
敵味方入り乱れ、しばらく黒煙が立った。数刻を経て、両軍は引き分けた。
この時、信長の侍大将朝日孫八郎以下十三人、その他屈強の諸侍多数が討死したという。
その夜、城中いた策略家の空圓入道は敵方の情勢を見て、門を開いてこう言った。
「老兵は駆け引きが遅い。若武者たちだけで早く攻めかかり早く引き上げなさい」
諸侍が打って出た後、門を閉め(敵が侵入しないようにするため)、また頃合を見計らって諸侍は引きあげた。
引きあげた諸侍を門に入れる前に、味方同士であるか確認をするために合言葉を使った。「立勝、居勝」を用いて敵が城内に入り込むのを防いだのである。
国司はこの事に感心したという。
>侍大将朝日孫八郎
この人は『信長公記』にも「御馬廻」として登場します。
>投松明
三ツ村氏の脚注では「焼討ちの時、敵陣に投げ込むたいまつ、ここでは照明に用いたか」とあります。私はこの松明を織田勢に向かって投げ込んだんじゃないかと思っています。二の丸に飛び込んだ織田勢に火を放ち的を明るくして弓鉄砲を撃ちまくったのでは……?
>安保大蔵少輔
「大輔」としている資料もあります。また『伊勢国司諸侍役付』では「太夫 一本少輔」となっています。
この安保さん、永禄五年の秋山謀反の際に奮戦し超カッコいいエピソードがあるのですが、私の現代語訳では飛ばしちゃったんですよねー。ごめんなさい! いつか訳します。
>空圓入道
この人物は何者なのか、不明です。
ネット検索したら、真偽不明ですが松永久秀の弟だという僧侶が「空圓」と名乗っていた話を見つけました。時代的には合っています。もしかして、同一人物……?
と一瞬思いましたが、「空圓」という名はよくありそうですよね。本気で調べたら全国に同じ名のお坊さんがたくさん見つかるんじゃないかな;
松永久秀の弟と大河内城にいた空圓が同じ名であるのは単なる偶然でしょう。でも、創作意欲がかきたてられますね。信長に対抗するために久秀は自分の弟を北畠に秘かに送り込んでいた、という小説がひとつ書けそう。
>「立勝、居勝」
合言葉によって立ったり座ったりすること。
たとえば、「川」と言ったら座ることをあらかじめ味方同士で決めておきます。
「川!」
と言われたら、味方は一斉に座りますが、紛れ込んでいた敵は合言葉を知らないから一人だけ立ったままなのでバレてしまうというわけです。