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国司生害の事

今回は残酷表現があります。



 まず三瀬御所(具教)の討ち手は藤方刑部少輔ふじかたぎょうぶしょうゆう奥山常陸介おくやまひたちのすけ、瀧川三郎兵衛尉、長野左京亮ながのさきょうのすけが任された。

 ただし、藤方は名代として家臣の長であるかる左京進さきょうのしんを加えた。以上四人。彼らは北畠一族を討つ褒賞として領地の朱印状を受け取っている。また誓紙を書いた。

 北畠家に代々仕え恩をうけてきた者たちだ。欲に負けて義を失うということは、言うまでもないが、愚かなことだ。


 しかし中には、心変わりをし、途中の道で仮病を使い涙を押さえて三瀬に行くのを止めた者もいた。奥山常陸介である。

 その他の三人は天正四年、丙子ひのえね冬十一月二十五日の朝、三瀬御所にやってきた。


 これから記すことは痛ましい出来事だ。


 その朝、具教卿は寝巻のまま炬燵こたつにあたっていた。三歳の息子と一歳の息子もそばにいて具教卿は可愛がっていた。


 その時、近習の佐々木四郎左衛門尉がやって来て「瀧川たち三人が参りました」と伝えた。具教卿は息子二人を乳母に預け三人に対面した。

 

 長野左京亮は立ち上がり、槍を突き立てた。兵法の名人である具教卿はその槍をうけて太刀を抜こうとしたが、できなかった。


 佐々木四郎左衛門尉があらかじめ太刀に細工をしておいたのだ!(近習の佐々木も裏切っていた)


 刀を抜くことができなかった具教卿は長野を見てこう言った。


「お前が裏切るであろうことはわかっていた!」


その時、瀧川、軽が刀を抜き具教卿を討った。具教卿は怒り死んだ。四十九歳だった。


それだけではない。


三歳の息子は乳母が抱いて裏庭に逃げたのだが、追いかけられて殺されてしまった。また、一歳の息子は別の乳母が抱いて便所に隠れていたのだが見つかってしまい殺されてしまった……。


具教卿の妻・北の方、乳母、女房たちは走り逃げ、泣き叫んだ。


聞く人、見る人、みな涙を流したそうだ。




幼い命が奪われる話というのは何百年前の話であっても悲しいですね。

勢州軍記の中で一番悲しい場面だと私は思います。

乳母がなんとか逃げのびて幼い子を守り抜くことはできなかったのだろうかと、読むたびに思います。


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