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大河内城の事

今回、短いです。

北畠家が大河内城に移った経緯や理由が書かれています。また、その頃の北部の状況も説明しています。



 永禄の末頃、伊勢国司北畠中納言具教卿は織田の侵攻を防ごうと飯高郡 細頸ほそくびに御殿を建てた。後に城郭を同じく飯高郡の大河内おかわちに建てて嫡男の具房に譲った。具房は大河内御本所と呼ばれた。


 そして具教は隠居して入道、法名を不智ふちとした。このとき、大河内家は多気郡 大淀おいず(明和町大淀字城山)にうつった。


 ところが、工藤家が反乱をおこした。そのため、今徳こんとく城主・奥山常陸守、小森上野の藤方慶由は織田掃部助と合戦をしたのである。彼ら国司勢はたびたび北部にまで出て戦った。


>飯高郡 細頸ほそくびに御殿を建て


これは後に信雄が松が島城という名に改めました。


>具教は隠居して入道、法名を不智ふちとした

勢州軍記では永禄の末頃に具教は出家したとしていますが、公卿補任では元亀元年5月に出家しています。


>大河内家は多気郡 大淀おいず(明和町大淀字城山)にうつった。


大河内家が遷ったのはイオン明和の近くでしょうか? イオンから23号線走って行ったら大淀ですよね。港も近いでしょうし、対織田ということを考えると軍事的に重要な位置だったのかな……?

寛永諸家系図によると大河内家は大淀に領地をもっていたようです。


長年、北畠は多気たげ(多芸とも書く)を本拠地にしていましたが、大河内に移りました。対織田戦を見据えてのことなのか伊勢湾の海上交通を重視したためなのか、はっきりとした理由はわかりません。

『勢陽雑記』(江戸時代の書物)によると、大河内城に移った時、細川藤敦(細野の誤りか)がこんな歌を国司に贈っています。

「秋山や沢に木の葉の散り果てて多気の御庭に鹿や住むらん」

国司の返歌は

「垣がはねやぶれ果てたる家所細野の草生荒れ果にけり」

これらの歌はどんな意味が込められているのかよくわかりませんが……

具藤派だった(と思われる)細野藤敦が反乱の可能性がある沢、秋山に気をつけろ……というメッセージを北畠に送っていたのかも?

藤敦の歌では鹿が登場しています。同時代の史料『年代和歌抄』でも多気の北畠の館に庭で鹿を飼っていた記述があります。また『伊勢記』でも「園中飼鹿」と記しています。




★大淀城について★

 江戸時代に書かれた『大淀名勝誌』に大淀城について書かれています。おそらく未翻刻で残念ながら私は直接見ることができません。

ですから三県郷土資料叢書第19集『大淀郷土史』(中野イツ著)からの孫引きではありますが、内容を紹介したいと思います。

『大淀名勝誌』が書かれた当時、二町(約二ヘクタール)ほどの広さの城址で門や溝壕石岸の形跡があったそうです。『大淀名勝誌』の著者村井昌宏は測量学者なので、なんとなく信憑性が高い気がしますね。

 また周辺の具教ゆかりの寺社、地名についても書かれています。

 大淀城址の近くには大堀川という川がありますが、これは具教がこの天然の川を利用してお城の濠にしたことが由来なんだとか。水位が浅かったために深く掘って濠にしたと伝わります。

 大淀城は永禄年間、具教の隠居城であったそうです。(ただし斎藤拙堂は「諸書に徴なくしてうけがたし」と疑っています。)

 大淀城に住んでそこで政治もしていてその「政所」址もあったそうですが…うーん、史料がないので、どこまで本当のことかはわかりません。ですが、海岸近くの城に具教がいたというのは対織田を意識していたからではないでしょうか?

 一部のネットでは(本当にごく一部だけど)、北畠は名門の名の上にあぐらをかき信長のことをあなどって山間部に引きこもっていたという認識があるみたいですが、北畠はちゃんと織田を意識してたんじゃないんですかね??? 

 まあ、史料がないんで、はっきり言えないんですけどね。素人の与太話だと思ってください(;^ω^)

 さて、永禄十二年。大淀城は海から上陸した九鬼軍に攻められますが、北畠軍は九鬼軍を撃ち返します。が、後に織田軍に寝返った者に周辺民家に火をつけられ、それによって焼け落ちてしまったと『大淀名勝誌』は伝えます。(焼け落ちた時期は永禄十二年なのか天正四年なのか判然としません)

 立派なお城だったようですが、大淀城の遺構は天保十二年の津波で消失してしまいました。現在は石碑があるのみです。

 ※大淀城と九鬼嘉隆についてはまた後日詳しく書く予定です。




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