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蒲生賢秀の事

ちょっと話を飛ばします。


 今回は蒲生氏郷に関する記事です。

 信長は観音寺城を落とし、六角家を滅ぼしました。六角家の家臣、蒲生家にも滅亡の危機が……

そこで勢州軍記著者・神戸良政の御先祖神戸蔵人が――

 この時、信長は近江の国蒲生家を許そうとした。しかし、蒲生家は六角家への義を守り応じなかった。

 

 蒲生下野の入道 快幹かいかん(蒲生定秀のこと)、息子の賢秀は日野城に立て籠もった。


 神戸蔵人はわざわざ日野に出向き蒲生父子を説得し、信長に降らせた。


 そして、賢秀の息子、十三歳の鶴千世丸を人質として差し出すことになったのである。鶴千世丸は信長に挨拶をするため観音寺城に出向いた。


 鶴千世丸を見た信長はこう言った。


「この子の目はただものではない! 必ず武芸に秀でた者になるであろう! うちの婿にしたい!」


その言葉通り、翌年、九歳の冬姫と鶴千世丸は結婚。元服し、のちに蒲生忠三郎氏郷と名乗った。

 榊原千鶴氏によると神戸家と蒲生家は縁戚関係にあったそうです。蒲生定秀の娘が神戸蔵人の妻です。そういった関係から、蔵人(友盛)は蒲生家滅亡を回避する行動をとったのではないかと。

 また、江戸前期に記された『蒲生氏郷記』に『勢州軍記』の著者・神戸先生が関わっていたらしいです。『改定史籍集覧』に収められているそれには神戸先生らしき人物が加筆したという文言が!

「其後勢州神戸道門居士加筆之云々」 (榊原千鶴氏「牢人神戸良政の著述活動―近世初期にみる『平家物語』享受の背景―」より)


 神戸先生は先祖の事を書き残しておきたい気持ちが強かったのでしょう。

 

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