瀧川出身の事
瀧川一益甲賀出身説の根拠になってるらしい記述があります。甲賀出身て本当なのかな? 私にはよくわからないです。
瀧川左近将監一益は、景行天皇の後胤の伴四郎傔仗資兼の末孫である。
幕の紋は木香の二引両だ。
もともとは近江国甲賀郡大原の人であったが、悪さをして追い出され流浪の身になった。
そして尾張国に入って信長に仕え、軍事に優れていて、とびぬけて忠勤であった。
そのため蠏江の城と尾濃西南長嶋などをもらっている。
この一益が勢州攻めの先鋒を任されたのだ。
尾張境の長嶋、桑名の辺り、美濃境の大藪(岐阜県安八郡輪之内町大藪)、多度の辺りに出て北伊勢の諸侍と対峙した。
武力を使って攻めたり、あるいは和議を結んで、桑名郡、員弁郡の諸侍、木股、茂福、上木、白瀬、濱田、高松などは織田家の幕下に属すことになった。
伊勢攻めのさきがけを任された瀧川一益。北勢のいくつかの家を織田家の支配下におくことに成功したようですね。
次回はついに信長直々に勢州に攻め込みますよ!
……地名がたくさん出てきてわけわかんないですよね。地元出身の私ですら混乱するので、東海地方以外の読者様にとってはもっとわかりにくいかも。ごめんなさい!
それと、「北伊勢の諸侍」というのもちょっと意味不明かもしれません。
伊勢国は一枚岩ではなくてですね。とくに北勢部はいろんな家が群雄割拠してて、ちょっとややこしいのです。
※北伊勢についてはいずれ書き直して全面改稿する予定です。




