信長出世の事
更新遅くなってごめんなさい!
今回から信長の伊勢攻めの部分を訳していきます。
六角家、神戸家、北畠家、長野家のゴタゴタは今はすっ飛ばします。
時は正親町院の御世――、永禄の末である。
美濃国織田上総守平信長は、伊勢国を手に入れたいと企てた。そこで瀧川左近将監大伴宿祢一益を大将として、勢州に向かわせたのだ。
かの信長は平清盛の子孫で、尾張国織田備後守の嫡男である。幕の紋は瓜だ。
織田氏は元は越前国にいた。この平氏の子孫は織田明神の神主となったのである。その後、斯波武衛家に仕え、尾張に移り、その地で子孫は繁栄したという。
そして斯波家が滅んだ後、信長の武力は強大なものになった。
まず、同族の尾張守護代・織田広信を滅ぼし尾張国を手に入れた。次に駿河国今川上総介源義元を討ち、そして自然に参州・遠江の両国を取った。
それから美濃国斉藤右兵衛の大夫藤原龍興を滅ぼして美濃国をわがものにした。
こうして尾州清州城から濃州稲葉山に移り、そこを岐阜城と名付けた。
恥ずかしながら、わたくし、織田信長のこと詳しくなくて……
ウィキペディア先生をチラ見しつつ訳しました。そういうわけで、この現代語訳におかしな部分があるかもしれませんが、あたたかい目で見ていただきたく……
>自然に参州・遠江の両国を取った
ここの部分の訳し方、自分でもモヤッとします。
原文は「其後自然執参州遠江両国」となっています。
「自然」を古語辞典でひいてみたら
一、(名・形動ナリ)物の本来の性質
二、(名・副)万一。もしも。
とあり、どう訳せば自然な文章になるの……?




