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具教陰謀の事
前回から時代がだいぶ飛びます。
織田との講和条件として茶筅丸(信雄)を具房(具教の嫡男)の養子に迎えました。
しかし、織田に完全に服従していたわけではありません。具教は密かに武田と通じていたようです。
具教陰謀の事
元亀四年の正月、甲斐国の武田信玄は東国で強大な力があった。そして天下をとろうとして遠州の三方が原にも攻め上った。
三瀬御所(北畠具教)は密かに武田信玄の味方になりたいと思っていた。そこで鳥屋尾石見守を遣わして信玄に伝えたのである。
その年の三月に信玄が上洛する際には北畠が迎えの船を出すという話になった。
しかし、信玄の運は尽きて彼は道半ばで病死してしまう。信玄は上洛を果たせなかったのである。
誤訳があったらごめんなさい。