10
「あんまりその辺パシャパシャ撮るんじゃないぞ」
飯、の一言で外に出たハジメに、男は続けて告げる。斜めに下げたカメラを抱えて頷くと、返答もないまま戸を閉めた。
勿論、鍵はかけていない。
「食事かあ」
ハジメの隣で蟹が暢気に呟く。
「蕎麦がいい」
「お前には奢らん」
鼻を鳴らして男は先を行く。その後をハジメと蟹は追いかけた。頃合いとしては昼飯時なのだろう。不思議と男の行動は、時計も無いのに規則正しい。
「まだ金は残っているか」
「はい」
「いくらだ」
小銭入れを開けて、一つずつ数える。道端で立ち止まるハジメに数歩歩いて気付いたのか、男は引き返してきた。
「穴が開いてるの三枚と」
「もしかして地上は金が無いのかね」
「……ピッてする」
「なるほど、なるほど?」
ハジメと共に立ち止まっていた蟹はゆっくりと鋏を開閉する。慌てて弁解をした。
「でも、コゼニとオサツがあるのは知ってるよ」
「そうか……では、おさらいだ。甲の上に一枚ずつ出してみてくれ」
「落ちない?」
「問題ない」
ぺちぺちと硬貨を置いていく少女と蟹を、すれ違う人々は横目で見る。
「一番軽くて白いのが一円」
「四枚」
「次が十円」
「茶色いの?」
「そうそう」
「さっさと歩いてくれ」
文句を言う男を蟹は無視する。申し訳なさそうに少女が男と蟹を交互に見ると、男は舌打ちをした。
特にそれ以上の文句が出ることもなく、男は蟹の傍で待つ。
計算の結果を覚えて、二人と一匹はやっと歩き出した。男が言うには今日は蕎麦屋へ行くらしい。ルートを覚えるべくハジメは周りの景色に目を凝らす。
うろ覚えの通路を通り、開けたホームに出る。かつては「電車」という乗り物が停まっていた場所に、いつぞやの蕎麦の屋台があった。
「あらあ、また来てくれはったん?」
暖簾の影からこっそりと白い顔が覗く。細められた目に頭を下げると、促すように店主は暖簾を引き上げた。
「怪我増えとるけど……」
「鳩に絡まれただけだ」
「さっきの騒ぎ?よう生きてられたわあ」
店主はしげしげとハジメを見つめる。それから男を一瞥した。
「素寒貧の匂いがするわ」
「今日はツケで」
「お嬢さんも?」
「……」
手にした小物入れを見せると、ぷっと頭上で吹き出した。
「あんたはんよりしっかり」
そう言って屋台の裏へ向かった。男はというと特に気にもかけていないように席につく。
「ほら」
丸椅子の座面を軽く叩く。その様子に少し安心して、ハジメはよじ登った。斜めにかけたカメラを背中に回して手は膝の上に乗せる。
「私も」
「蟹はんの席は……これでええんちゃう」
裏から持ってきた折り畳み式の脚立を広げ、ハジメの隣に置く。器用に横這いで蟹は駆け上がり、天辺に落ち着いた。カウンターをつぶらな目がきょろきょろとうかがう。
「ご注文は」
「もり蕎麦」
「鴨南蛮」
即座に注文する男と蟹に挟まれ、ハジメはメニューを探す。屋台の骨から下がる紙切れを見つけたが、何が書いてあるのかはわからなかった。
「もり蕎麦にしとけ」
「鴨南蛮が良い、美味しいぞ」
「お二方、この子の有様見えてるん?今日はねえ、いーい脚が入っとるんよ」
店主の言葉に「アシ」と返す。
「そ、アシ。割いてお粥に混ぜる……その方が食べやすいんとちゃう?」
「ありがとうございます」
「待て」
ずいと男は身を乗り出す。
「人間ではないな」
「共食いなんてさせへんよ」
「ならいいか」
不穏な会話の後呆気なく引き下がる。店主の作業を目で追いつつ、こっそり蟹に尋ねてみた。
「ニンゲンも、食べられるの?」
「人間同士でやるのは勧められんな」
「……だから、きけん?」
「そういうことだ」
いつか学校でも、そんな話をしていたような気がする。同級生は「あんなのオドシだ」と話して先生に怒られていたが、本当だったとは。
「だから、地図は大事にしろよ」
耳をそば立てていたのか、男が呟く。
「はい」
「地図?もしかして作ったん?」
ふふ、と蒸気に紛れるように店主が笑う。慌てて付け足すように蟹が告げた。
「もっとも、人を好んで食べるのはごく一部だ。暗黙の了解というやつで、店売り以外は食べてはいけないことになっているし」
「誰にも見つからずに拐うなりして食えば問題ないのも暗黙の了解だ」
紫煙が漂った。いつの間にか紙巻きタバコに火をつけ、男は一服する。
「お前は特に、死んでも誰もわからないだろうからな。気をつけろ」
頷く。蟹が肩をすくめるように、小さく甲羅を震わせた。
「そういえば蟹、こいつの縁は見たか」
思い出したように呟く男に、店主と蟹の視線がそれとなく向いた。
「興味深い、とだけ」
どこか歯切れ悪く蟹は返す。
「なんだ、はっきりとはわからなかったのか」
「こういう人間は初めてだ。いや人間はおろか、物や神霊でもあり得ないことだろう」
「……そうか」
笠の縁から煙が洩れる。
「この間の見立てと変わらんみたいね」
蕎麦を丼に盛りながら店主が言う。途端、蟹はカウンターの縁に鋏を乗せ身を乗り上げた。
「む、ウエズ殿の娘にも見せたのか」
「ああ」
一瞬憤ったように見えた蟹は、すぐに沈黙する。そうして右の鋏を掲げ、しょきんと閉じた。
「蟹はん、今何切ったん」
冷たく言い放たれた言葉に気圧されたのか、蟹は甲羅を屈めるようにカウンターの影に隠れた。
「ウエズ殿の娘との縁を」
「お客様とのご縁を勝手に、はあ」
「今この一食分だけだ」
「んもー、いくら馬が合わんからって」
不機嫌になった店主は、それでも丁寧に蟹の前に丼を置いた。赤身の肉が並んだ蕎麦をハジメもつい目で追う。
「馬がどうこうではないのだ。あの娘とは、あわない」
そう呟いた後、蟹は器用に箸を使い、肉を一切れつまんだ。
「ではお先にいただこうか」
肉片が蟹の機械のように入り組んだ口の中に消える。
「はい、お待ちどう」
今度はハジメの番だ。「アシ」のほぐし身が散りばめられた粥を前にして、ぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございます」
「たんとおあがり」
丼を少し引き寄せ、アシを眺める。繊維を何処かで見たような気がして少し記憶を辿る。
「あ」
「なんだ」
「きのう、食べてた……」
男に丼の中身を見せる。ふん、と傘の下から鼻を鳴らす音が聞こえた。
「きのうのは亀で、これは鰐だ」
せいろに盛られた蕎麦が派手な音を立ててカウンターに乗る。
「うふふ」
店主が笑う。
「不機嫌になるぐらいなら出すな」
「不機嫌なんて、嫌やわ」
「良いじゃないか、下水道産でも安全だし美味しいのは確かなのだから」
「蟹はん」
些かきつく店主は蟹を呼んだ。ん、と小さく言葉を切り蟹は蕎麦を啜る。
静かになった屋台で、少女の「いただきます」という声だけがか細く響く。ありがたいことに箸ではなくレンゲが丼に刺さっていた。
まずはアシから。肉をすくうと思いの外大きな一片が現れた。繊維質の肉をひとちぎり飲み込む。
男の言う通り、昨日の肉とは違った。
がつがつと粥を頬張る。少し目減りしたところで一旦休憩、温かいお茶を飲む。
「で、そんなに縁を見せて何か気になることでも」
「いや……」
「まさか、何か企みでも」
「違う。約束だ」
食事に集中するハジメを挟んで、男と蟹は言葉を交わす。その意味を理解することもなくハジメは再び粥を口に運ぶ。以前食べた粥よりも硬めの仕上がりなのは、店主の気遣いなのだろうか。
「蕎麦湯」
既に器を空にした男の一声で、店主は湯呑みと急須を出す。負けじと言うわけではないが、レンゲを運ぶ速度を上げる。
「やっぱりお腹空いてたんねえ」
じっとりとした声音で呟く店主に、男は弁解するように「三食あげてる」と告げた。
「お夕飯もここは?」
「子供には多様な食事を与えた方が良いのではないか」
「ずぅーっとお粥だし、今度は……ああ、炊き込みご飯なんてどうやろ。ひつまぶしとかお茶漬けも、ちと簡素やけど今の体にはええんとちゃう?」
一応レパートリーはある、とでも言いたげな店主にどう答えるべきか悩む。隣の男をちらりと見上げると、我関せずとばかりに蕎麦湯を啜っていた。
「ちゃーんと片手でも食べられるん用意しとくわ」
もう一度男を見上げ、おずおずと問う。
「お夕飯も、ここでいいですか」
「好きにしろ」
即座に帰ってきた返答に、少しだけほっとする。
「あの、夜もきます」
「おおきにぃ」
店主は心底嬉しそうな声音でそう告げた。それを聞いてから男が小さく鼻を鳴らしたのも、ハジメは聞き逃さなかった。不機嫌か、と問われればいつもとそう変わらない。だからきっと怒られることはないのだろう。
「夜も出歩くのか」
蟹が箸を置く。
「一人で大丈夫かね、私もついて行こうか」
「あんまり構うな」
「そんなこと言って、ショウケンはん何も出来ておらへんでしょ?」
言葉に詰まったのか男は再び蕎麦湯を啜る。なおも店主は朗らかに笑って、ハジメの顔を覗き込んだ。
「ここに慣れるまでは蟹はんとか色んなモノを頼った方がええよ」
「はい」
頷いた後、少し考え込む。
「あの、まだ道を覚えてないので、夜お願いします」
「承った」
「ちゃんと覚えるようにします、一人で歩けるようにします。だから、次は大丈夫です」
ハジメなりの誠意を告げると、蟹はぶくぶくと泡を吹いた。
「……えらい!」
一声蟹は告げた。暫しきょとんとした顔でハジメは甲殻類を見つめる。
褒められるのは久しぶりだ。
「あ、ありがとうございます?」
「自立心があるのは良いことだ」
「でも、ちゃんと身を守る術も備わってないとねえ」
蟹はどこか嬉しそうだが、店主は不安げに小首を傾げている。
「なら、今晩は蟹に任せた」
男は杯を置く。
「そういえば薬は」
「あ、あります」
「あら、骨接の」
お金と一緒に小物入れに詰めていた包みを出す。示し合わせたように、店主は白湯を満たしたお猪口を出してくれた。薬をさらさらと舌にまぶして白湯を飲む。眉間に皺が寄るほど苦かった。
残った粥を一息に頬張る。
「ごちそうさま」
蟹に習った小銭の数え方で、さっそく会計をする。一枚ずつ小銭を出していくのを、店主は急かすこともなく待ってくれた。
「おおきに」
会計を終えて椅子から飛び降りる。男を見上げると、紫煙を燻らせたまま微動だにしない。
「ショウケン、どうせ一服するまで待てとか言うのだろう?私が先にハジメくんを連れて帰ろうか」
「気が利くな、蟹」
「そういうわけだから、寄り道しつつ帰ろうか」
「はい」
蟹は信頼に足る蟹であることは、男と店主、そしてすれ違う地下の住人の様子を見るに確かであろう。提案に不満はない。
「その前に、私の勘定だな」
ちゃきちゃきと鋏を開閉する。
「店主」
「さっきはお客の縁も切ったし、ねえ」
「悪かった」
「……悪縁をさっぱり、頼むわ」
「心得た」
先程よりも鮮烈に、刃の触れ合う音が響く。
店主は暫し目を伏せ、不意ににこりと微笑んだ。
「うん、おおきに」
「それでは、ごちそうさま」
硬質な着地音と共に蟹は台から降りる。
「行こうか」
「はい」
素直に蟹についていく。その様子を見ていたのか、背後で店主はくつくつと笑った。
「蟹はんのほうに懐いとるわあ」
特に男は返さなかったようだ。
蟹と共に構内を歩く。
「先程ショウケンが言っていた、金を稼ぐ方法だが」
行き先を聞こうとして、先に蟹が喋り出す。
「ここでは働く子供も少なくはない。おそらくごく最近……いや地上では子供が働くというのは一般的ではなかったと思うが、ここではそうもいかない」
途端、ハジメは不安になる。無意識にカメラのストラップを握ると、蟹は慌てたように鋏を振った。
「そんなショウケンのようなことは言わないぞ。仕事探しに私も付き合おう」
蟹とハジメは水路沿いの道に出る。思わず白衣の姿が無いか探して、蟹に宥められた。
「大丈夫、今は遠くを彷徨いているようだ」
ちろちろとせせらぎの音が響く。
「幸い、此処には通貨に頓着するモノもあまりいない。物々交換でも構わないのだ。先程のように権能の対価として食事をしたりも出来る。それで問題はない」
ん、と小さく声を上げて蟹は立ち止まった。
「先程の、写真機」
「はい」
「かつてはあれを生業にしていたものもいたと聞く。ショウケンはすぐに興味をなくしていたようだが、どうかね」
どうかね、と言われても。
カメラは宝物だけど、使い方をよく知っているわけでは無い。写真を仕事にするというのも、あまりぴんとは来なかった。
一先ずハジメはカメラのメーターを見る。まだまだ枚数は残っている。
「……写真、見る?ショウケンさんのおうちにある」
「おお、そうだったのか」
「あと、練習もしてみます」
「おお、おお、そうか」
嬉しげに蟹は相槌を打つ。
「そうさな、まずは練習をしてみようか。案内ついでに」
「はい」
早速ハジメはカメラを構える。震える腕を見て、蟹は慌てて声を上げた。
「そんなに重いのかね」
「重い」
「……腕が治ってからの方が良いか。いや、何か安定出来るものがあれば」
しょきんと鋏が音を立てる。
「ガラクタ屋に行ってみるか。あそこの店主なら適当なものを見繕えるはずだ」
馴染みの店の名前が出て、ハジメは目を輝かせる。
「一回なおしてもらった」
「そうか、なら写真機にも明るいのだなきっと」
水路沿いを歩く。丹色の橋が前方にぼんやりと見えてきた。欄干に腰掛ける鳥脅しに会釈をする。
「や」
鳥脅しが手を振る。
「今日は蟹とお散歩?」
「ん、既に会っていたか」
蟹はハジメと鳥脅しを見比べるように忙しなく脚を動かす。笑う鳥脅しは欄干の上から飛び降り、手摺りにもたれ掛かる。
「根を上げて蟹に預けたんだ」
「滅多なことを言うでないよ」
「分担は吉と出てる」
「権能にそんなものあったか?」
軍手の指が水路の先を示す。
「ガラクタ屋でしょ」
「はい」
「今日は何しに?」
「あの、カメラ撮りやすくするために……ささえるのを」
「あー、なるほど。三脚ってやつね」
サンキャク、とハジメは復唱する。ほぼ同時に蟹も呟いた。
「それがあれば便利なのか」
「こうね、カメラを支えるための道具があるんだよ。ちゃんとね」
「ほお」
「ガラクタ屋なら何本か埋もれてるはずだよ。店主は喜んで探し出すだろうし」
蟹と目を合わせる。今まさに求めているものだ。
「買えるかな」
「高いものじゃないと思うよ」
ずい、と鳥脅しが顔を近づける。
「ところで、そのカメラちゃんと写るの?」
「うん、いもうとの写真もゲンゾウしてもらいました」
「あー……」
鳥脅しは口籠る。蛍光灯のちらつく天井を見上げ、何か決心したように頷いた。
「試しに、僕も撮ってみてよ」
「気になるかね?」
「うん」
願ってもない申し出に頷き、カメラを構える。ファインダーを覗き込んで鳥脅しを収める。
「支えよう」
蟹が鋏を掲げる。有り難くカメラを載せて、再び鳥脅しにレンズを向ける。
「撮った?」
「まだです」
「そういえば一時間ぐらいかかるってホント?」
「この写真機は違うらしいぞ」
パチリとシャッターを切る。
「うお」
小さく鳥脅しは肩をすくめ、恐る恐るといった様子で尋ねる。
「撮れたのかな」
目盛りを確認して頷く。鳥脅しは何かが気になるのか、顎に手を当て考え込むような素振りを見せた。
「気になるなあ。写ってるのかなあ」
「現像を待とう」
語らう蟹と鳥脅しを他所に、他の被写体を探す。一先ず欄干の擬宝珠を撮ってみた。次に橋の下を流れる川。震えるファインダーに写る水面に、ぷかりと丸いものが浮かび出でる。思わずシャッターボタンを押すと、浮かび上がったモノは水音と共に沈んでいった。
「あ、今誰かいた?」
「スナドリかね」
カメラを下ろし水面を眺める。目を下流へと向けると、再び丸いものが浮上した。
潜水ヘルメットだ。
「こんにちは……」
挨拶をする。何度か出会ったことのある潜水服は会釈を返し、ヘルメットを出したまま近付いてきた。
「おお、アレには会ったかな」
「はい」
「一度引き合わせてくれたよね」
蟹が鋏を振ると、潜水服は片腕を水上に出した。ハジメに対しても挨拶を返してくれるし、蟹の反応を見るに「いいヒト」なのだろう。
「君も写ってみるか?」
蟹の誘いに潜水服から何も返事は無い。ただぷかぷかとヘルメットが浮いているだけだ。
「よし、ということだろう」
再び蟹が鋏を掲げる。
念のためカメラを前に出してみる。やはり反応は無かった。
「じゃあ、撮ります」
鋏に支えられシャッターを切る。
たっぷり数拍たった後、潜水ヘルメットは水に沈んだ。
次の瞬間、跳ねる。
「わあっ」
ハジメはおろか鳥脅しも驚きの声を上げる。水路に着地した潜水服は、フィンをぺたぺたと打ち鳴らしながら歩いてきた。
暫くハジメの目の前で気を付けの姿勢を取る。
「……成る程、全身像か」
合点がいった蟹が告げると、潜水服は頷いた。促されるまま直立する潜水服を写す。
続いて潜水服は片膝をつき、腰に提げていた魚籠を差し出す。滑り輝く中身の写真を一枚。次に魚籠から引き摺り出したウナギの写真を一枚。地べたに並べたその他釣果の写真も何枚か。おおよそハジメの知る「魚」とはかけ離れた生き物が、次から次へと並べられる。途中、ひっくり返した麺類のような何かが奇声をあげて走り出したのを、素早く潜水服が捕らえて打ちつけた。ぐったりと動かなくなった麺類の写真も一枚。
「これ高く売れそう」
大きな二枚貝を鳥脅しが指さした途端、潜水服は獲物を再び魚籠に納める。すっくと立ち上がり、ヘルメットを傾けて会釈をした。
用は済んだとばかりに背を向け、フィンの足跡を散らしながら離れていく。
「自慢したかったようだ」
蟹の囁きは水を打つ音に掻き消される。水路を眺めても、水に溶けてしまったように潜水服の姿は既に見当たらなかった。




