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エデンの果実  作者: つばき
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1話 選択を間違える


――女性の体が腹部から真っ二つに切断されていた。


 その光景とグロテスクな音はいっそのこと清々しく、けれどどこまでいっても惨たらしいモノで、とても直視ができる瞬間ではなかった。

 そもそも、人間が切断されている時点で現実離れしていると言っていい。

 夜。

 東京都三多摩地区にある広大な面積を有する霊園だった。三つの市を合わせて広がっている巨大な墓地で 『ソレ』は起きていた。

 『ソレ』が人間社会において最もタブーなことくらい小学生でもわかるが、『ソレ』を堂々と破り捨てた存在は、我を忘れたように荒い呼吸をしながら立っている。

 高校生だろうか? 広大な墓地の一画で複数人の少年少女の身体だったモノがあちこちに散らばっている。頭、首、胴体、腕、手、足……。更には臓物に至るまで、『バラバラ』の死体が無造作に落ちている。

そして、その死体たちの中心に立っているのは黒い  影。

 『ソレ』――殺人を完了させた存在は、この場に漂う死臭を嗅ぎながら、まるで己の罪に溺れるみたいに慟哭していた。


♢♢♢♢



 罪を犯した人間は法の下で正しく裁かれる。

 これは法治国家である日本なら当然のことで、どんなに些細な悪事でも罪の大小拘わらず、罪人は正義の鉄槌を受けなければならない。


 例えば、窃盗。

 例えば、傷害。

 例えば、恐喝。

 例えば、詐欺。

 例えば、強姦。

 例えば、殺人。 罪の重さによって犯罪者に下される判決は確かに変わるが、根本的な『罪の代償を支払う』という結果はなにも変わらない。だからこそ、世界的に見ても治安がいい日本では罪を破る人は少ない。

 では、どうして人は罪を犯すのだろうか? 犯罪を犯したところで自分に最終的なメリットなんてない。むしろデメリットの方があり、その先の人生に損を被ることになるのは火を見るより明らかだ。

 ……だからこれは仮定の話。もし仮に、人間の本能に『罪を犯す』という原点があると

したら、それには逆らえないんじゃないか?


「……お、お前らがいけないんだからな」


 二○二三年、五月十日。

 午後九時。

 三つの市を囲うように作られた巨大な霊園の中。しん、と静かな墓所で「歪な形」をした少年が熱い吐息をこぼしながら呟いていた。

 背丈は一六五センチかそこら。黒い髪の毛にパーカーとジーパンの服装。平凡な顔立ちだが、右腕だけやけにデカい。違う。腕じゃない。肩から手の先にかけてまるまる『ハサミの刃』に変わっているのだ。


「お前らが、ボクをバカにするからいけないんだ……」

 震えた声で言うが、声色には全くの後悔がない。ハサミの少年は自分を中心にして広がっている光景に目を向ける。

 死体。

 それもハサミか何かで切断されたようにバラバラ死体があちこちに散らばっている。

 殺人。

 これより上なんて存在しない人間の禁忌にして最大の罪。

 大分ショッキングな光景だが、とてもこんな気弱そうな少年が犯したとは思えない。が、彼の腕はこの殺人の証拠とばかりに「巨大なハサミ」としてある。


「ボクはなにも悪くない、悪くないぞ……」


 もはや自分が起こした殺人を否定する雰囲気はどこにもない。

 どうしてこんなことになったのか、高校生くらいのハサミの少年は分からなかった。

 ハサミの少年は大した特技も特徴もない、ただの男の子だ。しかし、ある時から少年の価値観と世界が変わってしまう。

 ――赤い果実と蛇が出てくる夢。

 その夢を見て、その夢の中で蛇に言われたのだ。


『――罪の味を知りたくはないかい?』


 理解なんてしていない。深くなんて考えてもいない。ただ、蛇の言う通りに赤い果実を食べて、夢から醒めた瞬間には『バラバラ』にしたいという本能が少年の中で産声を上げていた。

 生き物は本能に従って生きるものだ。それはなにもおかしなことじゃないし、理性を働かせるのは人間くらいだろう。

 だからなにもおかしくない。

 だって、『バラバラ』にしたい本能に従っただけなのだから。例え、バラバラにした相手が全くの他人で自分を見てバカにするように笑っただけだったとしても。


「――だから平気な顔してバラバラにするんだ、ふーん。アンタって王様か何か?」


 と、殺人を無理やり肯定するような思考に溺れていたハサミの少年の耳に、女の子の声が入ってきた。ビクンと肩を揺らして顔を上げる。視線の先、立っていたのは黒色の髪の毛を肩まで伸ばし、黒のセーラー服を着ている少女だった。彼女はなぜか右手に日本刀を持っている。


「別にアンタがどんな「罪」を背負っていようがいまいがどうでもいいんだけど……バラバラにする必要あったわけ? 正直グロいわ、グロすぎ」


「……誰だ、君は」


 音もなく忽然と現れた少女が馴れ馴れしく話しかけてくる。しかも自分の行為を否定する言い方だ。……気分が悪い。

「呆れた。すっかり自分の「罪」に呑まれてるじゃない。少しくらい根性見せてたらまだ救いようがあったところを……。意志の弱さが露呈してるわね、失格」


「ワケのわからないことを言わないでくれよ。ボクは自分の本能に従ったまでだ。それに、コイツらはボクを見て笑ったんだ。それは重罪だ、万死に値する」


「うわっ。なにアンタ、裁判長気取りですか? 自分だけは特別だから何でも許されるって本気で思ってるタイプ?」 


「……なにが言いたいんだよ」


  少女は不敵に笑んだ。


「アンタなんて所詮、村人ってことよ」


 心底嘲弄されているのは分かった。ハサミの少年が迷いなくバラバラにしてやろうと決定した瞬間、それよりも早く黒髪セーラー服の少女が動いた。彼女はいつの間にか持っていた「赤い果実」をシャクリと一口齧って――直後、リンゴの花弁が彼女の周りをキレイに漂い始め、手に持つ日本刀が輝いた。

 見覚えのある光景に少年は目を剥く。

 これは。

 いいや、それは……。


「君もあの夢を見たのか――!」


「私は勇者のパーティだけどね」


 ペロッと舌を出して、お茶目に少年をバカにする少女。それがさらに少年の神経を逆なでして、確実にバラバラにしたいという本能――「罪」が彼の中で吠えた。

 左手を水平に振り、それに応じて虚空に「赤い果実」が現れる。掴む。齧る。二秒後、少年の周りにもリンゴの花弁が漂い始め、右手のハサミが輝いた。

 が。

 それだけじゃ終わらなかった。溢れた殺意が、本能が、バラバラにしたい欲求が喝采する。

 少年の全身が泡のようにボコボコと膨れ上がり、姿形を変えていく。そうして、人間を辞めた姿は赤黒い異形だった。鬼のような面と巨躯に、頭の上には天使の輪っかのような『ウロボロス』に似た蛇。筋肉質な胸部には、蛇に巻き付かれているリンゴのマーク。周囲には黒いリンゴの花弁が漂い、両手は巨大なハサミに変化している。


「ウウウウウううううう……!」


「断罪化……。自分の罪に呑まれた者の末路、か」


「ォォォォォン!」


「いま楽にしてあげるわ、大馬鹿野郎」


 スッと、少女が黒い瞳を細めて呟いた。彼女の言葉には表面通りの鋭さを感じるが、しかしどこか化け物に変わってしまった少年に慈悲を与えようとしているように見えた。

 勝負、と表現していいのか否か。

 ともあれ、二人の衝突は一瞬だった。

 キン……ッという、簡素だけど甲高い音が夜の墓所に響き渡った。銀色の閃きが迸った。

 黒髪の少女が美しい様で振り抜いた日本刀が作り出した刃の道筋。それが、一切の躊躇いもなくハサミの怪物と化した少年を縦に引き裂いた。


「バラバラになんかしてあげない。アンタの罪は、アンタが背負って逝きなさい」


 激しい出血はなかった。命の終わりには見えなかった。少年の体は夜桜のように美しいリンゴの花弁に変わって虚空に流れていく。罪は多く、また『支払う罪の代償』は大きかったようだ。 そして、彼岸のような絶景の中心に立っている黒髪の少女は、まるで「死」を憐れむ聖女のように綺麗だった。


♢♢♢♢


「断罪化」という異形になってしまった少年が花弁となって夜の空気に溶けていくことを見届けると、雫は一息吐いてから日本刀を消した。それに伴って「赤い果実」も消失する。


「さて、と」


 呟いて、雫は周囲を軽く見回した。

 時刻はもう夜の九時半を回っている。当然、霊園はどこか虚しい暗闇に落ちているが、断罪化した少年が殺した人たちの遺体が残酷に散らばっていてかなりショッキングな光景だ。


「まずは回収班を呼んだ方がいいのかしらね」


「――その前にまずは独断で立ち回ったことを僕に謝ったほうがいいんじゃないかな」


  と、聞き覚えのある声がして、雫はうんざりしたような態度で振り返った。後ろにいたのは、黒い学ランをお手本通りに着ている白髪の、女子ウケする整った顔立ちの少年。

 七瀬司だ。


「げ、司……。もうきたの」


「げって……。あのね、君がいきなりいなくなるもんだから、探すの大変だったんだよ?少しは悪いと思ってほしいところだよ、奈切雫さん?」


 苦笑しながらこちらに歩いてくる司。彼は雫の反応に慣れている素振りで、そのまま遺体の方に目を向けると、その場に屈んで両手の掌を合わせて目を瞑った。


「……なにしてんのよ」


「非業の死を遂げた死者を弔ってるんだ」


「物好きね」


「たとえそうだとしても、「死」は平等に弔われるべきだよ。……雫も優しいじゃないか。

一太刀で終わらせてあげたんだから」


「さあ。なんのことかしらね」


「素直じゃないんだから」


「はっ倒すわよ、アンタ」


「はいはい」


 素直にならない雫を微笑ましく受け流す司は、そこでふと墓石が並ぶ方に目をやった。すると、そこに忽然と姿を現した者たちがいた。黒い袴を着ている男女だ。顔は西洋の喪服のようなヴェールで隠されていて、人相は伺えない。


 回収班・「陽炎」。


 雫や司。二人のような人間が一般社会に秘匿されている仕事をこなし、その事後処理を行うグループだ。 彼らは二人に軽く会釈を済ませると、慣れた手つきで遺体の処理や現場の修繕を始めた。

 雫はそんな「陽炎」を見ながら、


「相変わらずテキパキ動いてくれて助かるわ」


「雫が命令外のことをしなければ、遺体の処理だけで済んだんだけどね」


「うるさい」


 一言余計なのは司の性格を考えたら仕方ない。彼はとにかく規則やルールを守ろうとしたりするし、合理的で柔軟な考え方をしない。出来ないのではなく、しないのだ。雫はそんな司が腹立たしいと思っていたりする。


「で? 任務は終わったんだし帰ってもいいの?」


 雫と司に与えられた任務は、断罪化の可能性がある能力者の拘束。ただし、断罪化が進んだ場合は生死を問わずに事態の鎮圧を優先すること。

 命令通りなら、任務は完了だ。

「「陽炎」の人たちが作業を終えたら、僕たちも帰還していいと思うよ。直義さんには、僕から伝えておくよ」


 司にそう言われると、雫は肩の凝りを解消するかのように両腕を上に伸ばした。


「んー……っ。今日はなんか疲れたわ。さっさと帰って、お風呂入って寝よー」


「そうだね。ここ最近任務ばっかりであまり寝てない気もするし」


「ほんとよ。直義のやつ、私たちに任務振りすぎじゃない?」


「確かに。でも、それのおかげで今日の任務で数週間の休暇は貰えるんじゃないかな」


 そうじゃないと戦争だ。

 二人は同じことを考えていた。だから気を抜いて、疲れを心底感じているように歩き出した。だがそこで、鳴った。鳴ってしまった。

 なにが? 七瀬司のスマホである。二人は真顔で足を止める。着信音が、地獄への招待ソングに聞こえるのは気のせいか? 司は真顔と無言でスマホを取り出し、 電話に出た。


「……はい。七瀬です」


『おつかれー! 任務ご苦労様、ツカサとシズク! ゆっくり労ってあげたいところなんだけど、二人にすぐ行ってほしい案件が――』


  ブツっと、司は一方的に通話を切った。

 その時、一つだけ訂正しようと雫は思った。司は頭が固くて柔軟な考え方をしない腑抜け野郎と言ったが、そうでもないらしい。一言で言って、司くんナイスプレーである。

「帰ろうか」

「帰ろ帰ろ」

 と、まるで何事もなかったかのように、二人は霊園を後にした。


――戦いの跡は、どこにもなかった。


完結まで書いてます。

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