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ルベライト  作者: Paracoccidioidomicosisproctitiss
一章

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Errand girls


 転送完了。

 ポンウィパとレフィーマが吐き出されたのは、イーストブロンクスの一角に位置する、一見すると何の変哲もない中層ビルの屋上だった。

 『安全地帯(スカイブルー・ゾーン)』。

 データ上はそう分類されている場所だ。だが、現実は無慈悲である。二人が顔を上げると、空は既に地獄の色に染まっていた。

 上空の空間がガラスのようにひび割れ、深淵へと続く『異次元門ディメンション・ゲート』が開口している。そこから、おぞましい形相をした低級悪魔の群れが、腐敗した果実から湧く蛆虫のように溢れ出し、眼下へとなだれ込んでいた。迎撃に出た国連軍の無人戦闘機や、縄張りを荒らされて激怒した『空中棲息生物(スカイ・ビーイング)』たちが入り乱れ、空はレーザーと魔力と血飛沫で彩られた抽象画の様相を呈している。

 その時。

 キィィィン。

 不快な高周波音と共に、ゲートから放たれた赤黒い光球が、正確に二人を狙って飛来した。無差別にばら撒かれたホーミング弾の一発だ。

 ドォォォォォォン、と爆炎が咲く。

 だが、煙が晴れた後、二人は無傷だった。

 ポンウィパの周囲に、半透明の緑色の障壁────『自動防禦魔術(オート・シールド)』が展開され、直撃を防いでいたのだ。

「……『安全地帯(スカイブルー・ゾーン)』だよね、ここ」

 ポンウィパは、魔法障壁を見上げながら、ポリポリと頭を掻いた。

「死亡率八十パーセントって出てたけど、これ、もしここが『危険地帯(レッド・ゾーン)』だったら、転送された瞬間に原子分解されて消し炭だったね、私ら」

「いいから早く行こうよ! 今のが『エグジスト』の本気の一撃だったら、ポンウィパの魔法壁なんてとっくに砕けてたよっ」

 レフィーマが叫ぶ。

 彼女はすぐさま、業務用の『デバイズ』端末を操作し、仮想フォルダから一粒のビー玉を実体化させ、取り出した。

 『圧縮宝珠(マーブル・ケース)』。

 地面に叩きつけると、煙とともに空間が歪曲し、一台の車両が実体化する。

 『ルキフェル』標準支給の多目的装甲車。流線型のマットブラックのボディには、高度な隠蔽術式と魔術シールドが施されており、水陸両用はもちろん、反重力機動により、飛行も可能な優れものだ。二人は転がり込むように乗車した。

 「エンジン始動、ステルス迷彩展開!」

 レフィーマが叫ぶと同時に、車体は周囲の景色と同化し、光学的に透明化した。ホログラム・ウィンドウに目的地が表示される。

「『トニー&エイリアンズ』まで、ここから約三マイルか……」

 レフィーマが深い溜息をついた。

 平和な時ならば、ものの数分で到着する距離だ。だが、フロントガラスに重なるAR情報は残酷な数値を告げている。空域死亡率、八十パーセント。地上死亡率、六十五パーセント。空を飛べば、流れ弾だけで撃墜されるリスクが高すぎる。

「地上を行こう。空よりはマシ」

 レフィーマの判断で、車は垂直離陸せずに、ビルの壁面を垂直に滑り降り、地上へと着地した。

 自動運転モードへ移行。迎撃システム、フル稼働。車内には、緊張感を和らげるためか、間の抜けたポップソングを流すラジオ番組が響き始めた。だが、窓の外は阿鼻叫喚の坩堝だ。

 牛頭の悪魔が雄叫びを上げ、その瘴気に当てられて『食屍鬼(グール)』と化した住民が徘徊し、それを火炎放射器で汚物消毒する治安維持部隊が交錯する。

 ズドン。

 車体に衝撃が走る。

 進行方向を塞ごうとした四つ足の魔獣を、車体前部から展開された不可視の『空間切断刃(エーテル・ブレード)』が両断し、そのまま撥ね飛ばして強引に突破したのだ。ワイパーが作動し、フロントガラスにこびりついたドス黒い体液を拭い去る。

 そんな地獄絵図の中、車内の二人は、まるでカフェでお茶でもしているかのようなトーンで雑談を始めた。これもまた、ニューヨーカーの、そして『ルキフェル』構成員の日常である。

「遠いよぉ……。ピザのために、命がいくらあっても足りないよぉ」

 レフィーマがハンドルに突っ伏して愚痴る。

「安全地帯へのランダム転送だからしょうがないでしょ。固定ルートだと待ち伏せされるし」

 ポンウィパが諭すように言う。

「それは分かってるけど……」

 レフィーマは視線を落とした。

「ルビアズさんは、こんな地獄みたいな場所に、生身の人間である私たちを平気で送り込むなんて……やっぱり、私たちのことなんて消耗品としか思ってないんじゃないかな。労る気持ちなんて、欠片もないのかも」

「そ、そんなことないと思うよ……? ちゃんと給料も待遇も手厚いし、『異能者』でもないみほよっちは、あんまりこういう現場に駆り出されたことないしさ」

「確かにそうだけど……それは、みほよには特殊な利用価値があるからでしょ。ああいう天才児は替えが効かない、レアな駒だから大事にしてるだけだよっ」

 卑屈になるレフィーマ。

「考えすぎだってば。私たちが本当に危ない時は、ルビアズさんはいつも助けてくれてるじゃん」

「う……」

 レフィーマは口ごもった。

 確かに、ルビアズは口こそ悪いが、部下の危機には迅速に対応するボスだ。それを否定することはできない。

「ほ、本当は分かってるって……ルビアズさんが、不器用ながらも私たちのことを考えてくれてることくらい」

 レフィーマはダッシュボードの引き出しを開け、タバコの箱を取り出した。銘柄は『ブラックデビル・ゴールドスペシャル』。甘いバニラの香りがするシガレットだ。

「それに、他の構成員の『エグジスト』にも、良い人はたくさんいるし」

 タバコを咥え、ポンウィパに顔を向ける。

「つけて」

「はいはい」

 ポンウィパが指を鳴らすと、小さな火球が生まれ、タバコの先端だけを器用に焦がした。深く吸い込み、紫煙を吐き出す。肺に入れ、脳にニコチンを行き渡らせるためだけの、雑で性急な吸い方だ。

「でも、ゼノヴィア。あの人だけは嫌い」

 レフィーマの声に、明確な嫌悪が滲む。

「あの図形みたいな目で、人を虫けらのように見下す態度……あれだけは、どうしても我慢ならないっ」

 車内に甘ったるい煙の匂いが充満するが、ポンウィパは嫌な顔一つしない。彼女自身も嗜む程度には吸うため、気にはならない。

「ほ、ほら、あの人は? マッドドックさん。彼も『エグジスト』だけど、人間差別なんてされたことないよ?」

「あの人、ほとんど見たことないんですけど。自分の作った『閉鎖空間(クローズド・ワールド)』に引きこもって研究してるんでしょ? ほぼ会ったこともない人を例に出されても」

 レフィーマは不満げに鼻を鳴らす。

 その後も、彼女はブツブツとゼノヴィアへの愚痴をこぼし続けた。一本目を吸い終わり、灰皿に押し付けると、間髪入れずに二本目へと手を伸ばす。車外では、車載ガトリングガンが自動照準で食屍鬼(グール)や空中のハーピーを撃ち落としている音が響いているが、彼女の関心は人間関係のストレスに向いていた。

 このままでは空気が重くなる一方だと判断したポンウィパは、話題を変えることにした。

「そ、それよりさ! 『トニー&エイリアンズ』って、どういうお店なの? 私、そこ初めて聞いたんだよね」

 その瞬間。

 レフィーマの瞳から陰鬱な色が消え失せ、代わりに爛々とした輝きが宿った。彼女の思考回路において、「食欲」はあらゆる感情に優先する絶対的なコマンドだ。

「おっ、気になるぅ? 仕方ないなぁ、じゃあ、そんなに知りたいなら教えてあげるよ!」

 先ほどまでの不機嫌さが嘘のように、彼女は『デバイズ』を高速で操作し、検索結果をポンウィパの端末へと共有した。

 空中に浮かぶウィンドウ。そこに映し出されたのは、『トニー&エイリアンズ』の概要一覧。横には、店の前で肩を組んで笑う二人の男の写真だ。下に名前も表記されている。一人は、恰幅の良いコックコート姿の黒人男性、トニー・クーニック。

 もう一人は、同じくコックコート姿の……明らかに人類の範疇を逸脱した姿────昆虫の外骨格と爬虫類の鱗を併せ持ち、四本の腕を持つ人型の怪物、『異形人(ニア・ヒューマン)』のゲリージャ・グエラドリッグ。

 この混沌とした時代、怪物の姿をしていても、知性と理性を持ち、社会生活を営む者たちは数多く存在する。彼らには戸籍も人権も与えられ、市民として溶け込んでいるのだ。

 人型ですらない不定形の『無原形人(アモルファス)』ですら、隣人として受け入れられるこの街……いやこの世界において、肌の色による人種差別など、もはや博物館に飾られるべき過去の遺物と化していた。

「ここ限定の『銀河チーズ火山ギャラクシー・チーズ・ボルケーノ』! これが本当に美味しいらしいんだよっ」

 レフィーマが熱弁を振るう。

「チーズの海に溺れるような濃厚さと、未知のスパイスによる爆発的な旨味……! 大人気すぎて、予約は半年待ち、チケットすらプラチナ化してるんだよ。なのに十枚も……今回の依頼主、ただの金持ちじゃない、相応運もよい、やるなっ」

「へぇー、すごいね」

 ポンウィパが感心しつつ、ふとした疑問を口にする。

「てか、ポータルじゃだめなの? 多少値は張るけど、『亜空間配送サービス(ポータル・イーツ)』を使って、ブロンクスからここのロッドロッズ地区まで転送すればいいのに」

 ちなみに、ロッドロッズ地区は二百年前ほどに、マンハッタン島の北端に新設された、再開発エリアである。

「分かってないなぁ、ポンチャンよ」

 レフィーマは人差し指をチッチッと振った。

「『トニー&エイリアンズ』は超人気店。転売やハッキングによるチケット偽造対策で、商品の受け渡しは『現地での手渡しのみ』になってるのだよ」

 ドヤ顔で言い放つ。

「え、大丈夫なのそれ。こんなご時世に、人気店に行列なんて作ったら、暴徒に襲撃されて店ごと物理的に潰されない?」

「それが平気なんだよ。ここの店主、二人とも実力者の『エグジスト』。だから、ピザ強盗目当てで近づくような半端な荒くれ者は、返り討ちに遭って食材にされるのがオチよ」

「なるほどね……というか、レフィーマって、『エグジスト』の作る料理は平気なんだ? あんなに毛嫌いしてるのに」

 ポンウィパが素朴な疑問を投げる。彼女は『エグジスト』を嫌うが、彼らの経営する飲食店にはいつも行っている。魔法使いの発言に、超能力者は肩をすくめた。

「あいつら、人間に対してのデリカシーや心はなくても、料理や自分の専門分野に向ける情熱だけは本物。実際、悔しいけど美味しいし」

「はぁ、そういうもんか」

「それに! ポータルなんかで空間転移させたら、分子配列が微妙にズレて、ピザの味が落ちちゃうでしょっ!」

「いや、変わらないでしょ」

 即座にツッコミを入れるポンウィパ。

「変わるの! 私たち食通の間じゃ、そんなの常識だよ! チーズの伸びが違うの!」

「大食らいって、イコール食通だっけ?」

「う、うるさいっ」

 レフィーマが顔を真っ赤にして叫ぶ。

 車内には、いつもの漫才のような空気が戻っていた。ようやく安心したポンウィパが、笑みを浮かべようとした、その時。

「わっ!?」

「うわっ!」

 突如、世界が反転した。

 凄まじい衝撃と共に、車体が空高く打ち上げられたのだ。アスファルトを突き破り、地下下水道からタイミングよく首をもたげた巨大な『多頭蛇(ヒドラ)』。その一撃が、走行中の車両を下から突き上げたのである。相当に強力な個体だったのだろう、車体の魔術シールドごと物理的に吹き飛ばされた。

 バヂヂッと音がし、シールドに亀裂が走り、ステルス迷彩機能がショートして解除される。

 黒い車体が、白日の下に晒された。

「や、やばいっ! 空は……!」

 放り出された先は、まさに激戦の最中である上空エリア。そこには、獲物を求めて飢えた悪魔たちの群れが待ち構えていた。「餌だ!」と言わんばかりに、無数の視線が突き刺さる。

 すかさず、全方位から魔弾の雨が降り注ぐ。

「ぎゃあああああ!!」

「し、死ぬっ! ピザ屋に着く前に死ぬっ!」

 空中で制御を失った車内で、二人は悲鳴を上げた。車内じゃ能力も使えず、何も出来ないのだ。自動迎撃システムが必死に応戦し、ガトリングガンが火を噴くが、敵の数が多すぎる。障壁の耐久値を示すゲージが、みるみる赤色へと変わっていく。

「レフィーマ、脱出するよっ!」

 ポンウィパが叫ぶ。

「嫌だぁ! ピザ食わずして死んでたまるものかっ!」

 そうは言いつつも、レフィーマは震える手でホログラムを操作。緊急脱出シークエンスを起動した。二人が同時に思念コマンドを入力した、その刹那。

 悪魔の群れを統率していたリーダー格────山羊の頭蓋骨を被った中級悪魔が、掌から極太の『死の光線(デス・レイ)』を放った。

 直撃。

 轟音と共に、装甲車は空中で木っ端微塵に爆散した。黒煙と破片が、燃えながら地上へと降り注いでいった。

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