Errand girls
転送完了。
ポンウィパとレフィーマが吐き出されたのは、イーストブロンクスの一角に位置する、一見すると何の変哲もない中層ビルの屋上だった。
『安全地帯』。
データ上はそう分類されている場所だ。だが、現実は無慈悲である。二人が顔を上げると、空は既に地獄の色に染まっていた。
上空の空間がガラスのようにひび割れ、深淵へと続く『異次元門』が開口している。そこから、おぞましい形相をした低級悪魔の群れが、腐敗した果実から湧く蛆虫のように溢れ出し、眼下へとなだれ込んでいた。迎撃に出た国連軍の無人戦闘機や、縄張りを荒らされて激怒した『空中棲息生物』たちが入り乱れ、空はレーザーと魔力と血飛沫で彩られた抽象画の様相を呈している。
その時。
キィィィン。
不快な高周波音と共に、ゲートから放たれた赤黒い光球が、正確に二人を狙って飛来した。無差別にばら撒かれたホーミング弾の一発だ。
ドォォォォォォン、と爆炎が咲く。
だが、煙が晴れた後、二人は無傷だった。
ポンウィパの周囲に、半透明の緑色の障壁────『自動防禦魔術』が展開され、直撃を防いでいたのだ。
「……『安全地帯』だよね、ここ」
ポンウィパは、魔法障壁を見上げながら、ポリポリと頭を掻いた。
「死亡率八十パーセントって出てたけど、これ、もしここが『危険地帯』だったら、転送された瞬間に原子分解されて消し炭だったね、私ら」
「いいから早く行こうよ! 今のが『エグジスト』の本気の一撃だったら、ポンウィパの魔法壁なんてとっくに砕けてたよっ」
レフィーマが叫ぶ。
彼女はすぐさま、業務用の『デバイズ』端末を操作し、仮想フォルダから一粒のビー玉を実体化させ、取り出した。
『圧縮宝珠』。
地面に叩きつけると、煙とともに空間が歪曲し、一台の車両が実体化する。
『ルキフェル』標準支給の多目的装甲車。流線型のマットブラックのボディには、高度な隠蔽術式と魔術シールドが施されており、水陸両用はもちろん、反重力機動により、飛行も可能な優れものだ。二人は転がり込むように乗車した。
「エンジン始動、ステルス迷彩展開!」
レフィーマが叫ぶと同時に、車体は周囲の景色と同化し、光学的に透明化した。ホログラム・ウィンドウに目的地が表示される。
「『トニー&エイリアンズ』まで、ここから約三マイルか……」
レフィーマが深い溜息をついた。
平和な時ならば、ものの数分で到着する距離だ。だが、フロントガラスに重なるAR情報は残酷な数値を告げている。空域死亡率、八十パーセント。地上死亡率、六十五パーセント。空を飛べば、流れ弾だけで撃墜されるリスクが高すぎる。
「地上を行こう。空よりはマシ」
レフィーマの判断で、車は垂直離陸せずに、ビルの壁面を垂直に滑り降り、地上へと着地した。
自動運転モードへ移行。迎撃システム、フル稼働。車内には、緊張感を和らげるためか、間の抜けたポップソングを流すラジオ番組が響き始めた。だが、窓の外は阿鼻叫喚の坩堝だ。
牛頭の悪魔が雄叫びを上げ、その瘴気に当てられて『食屍鬼』と化した住民が徘徊し、それを火炎放射器で汚物消毒する治安維持部隊が交錯する。
ズドン。
車体に衝撃が走る。
進行方向を塞ごうとした四つ足の魔獣を、車体前部から展開された不可視の『空間切断刃』が両断し、そのまま撥ね飛ばして強引に突破したのだ。ワイパーが作動し、フロントガラスにこびりついたドス黒い体液を拭い去る。
そんな地獄絵図の中、車内の二人は、まるでカフェでお茶でもしているかのようなトーンで雑談を始めた。これもまた、ニューヨーカーの、そして『ルキフェル』構成員の日常である。
「遠いよぉ……。ピザのために、命がいくらあっても足りないよぉ」
レフィーマがハンドルに突っ伏して愚痴る。
「安全地帯へのランダム転送だからしょうがないでしょ。固定ルートだと待ち伏せされるし」
ポンウィパが諭すように言う。
「それは分かってるけど……」
レフィーマは視線を落とした。
「ルビアズさんは、こんな地獄みたいな場所に、生身の人間である私たちを平気で送り込むなんて……やっぱり、私たちのことなんて消耗品としか思ってないんじゃないかな。労る気持ちなんて、欠片もないのかも」
「そ、そんなことないと思うよ……? ちゃんと給料も待遇も手厚いし、『異能者』でもないみほよっちは、あんまりこういう現場に駆り出されたことないしさ」
「確かにそうだけど……それは、みほよには特殊な利用価値があるからでしょ。ああいう天才児は替えが効かない、レアな駒だから大事にしてるだけだよっ」
卑屈になるレフィーマ。
「考えすぎだってば。私たちが本当に危ない時は、ルビアズさんはいつも助けてくれてるじゃん」
「う……」
レフィーマは口ごもった。
確かに、ルビアズは口こそ悪いが、部下の危機には迅速に対応するボスだ。それを否定することはできない。
「ほ、本当は分かってるって……ルビアズさんが、不器用ながらも私たちのことを考えてくれてることくらい」
レフィーマはダッシュボードの引き出しを開け、タバコの箱を取り出した。銘柄は『ブラックデビル・ゴールドスペシャル』。甘いバニラの香りがするシガレットだ。
「それに、他の構成員の『エグジスト』にも、良い人はたくさんいるし」
タバコを咥え、ポンウィパに顔を向ける。
「つけて」
「はいはい」
ポンウィパが指を鳴らすと、小さな火球が生まれ、タバコの先端だけを器用に焦がした。深く吸い込み、紫煙を吐き出す。肺に入れ、脳にニコチンを行き渡らせるためだけの、雑で性急な吸い方だ。
「でも、ゼノヴィア。あの人だけは嫌い」
レフィーマの声に、明確な嫌悪が滲む。
「あの図形みたいな目で、人を虫けらのように見下す態度……あれだけは、どうしても我慢ならないっ」
車内に甘ったるい煙の匂いが充満するが、ポンウィパは嫌な顔一つしない。彼女自身も嗜む程度には吸うため、気にはならない。
「ほ、ほら、あの人は? マッドドックさん。彼も『エグジスト』だけど、人間差別なんてされたことないよ?」
「あの人、ほとんど見たことないんですけど。自分の作った『閉鎖空間』に引きこもって研究してるんでしょ? ほぼ会ったこともない人を例に出されても」
レフィーマは不満げに鼻を鳴らす。
その後も、彼女はブツブツとゼノヴィアへの愚痴をこぼし続けた。一本目を吸い終わり、灰皿に押し付けると、間髪入れずに二本目へと手を伸ばす。車外では、車載ガトリングガンが自動照準で食屍鬼や空中のハーピーを撃ち落としている音が響いているが、彼女の関心は人間関係のストレスに向いていた。
このままでは空気が重くなる一方だと判断したポンウィパは、話題を変えることにした。
「そ、それよりさ! 『トニー&エイリアンズ』って、どういうお店なの? 私、そこ初めて聞いたんだよね」
その瞬間。
レフィーマの瞳から陰鬱な色が消え失せ、代わりに爛々とした輝きが宿った。彼女の思考回路において、「食欲」はあらゆる感情に優先する絶対的なコマンドだ。
「おっ、気になるぅ? 仕方ないなぁ、じゃあ、そんなに知りたいなら教えてあげるよ!」
先ほどまでの不機嫌さが嘘のように、彼女は『デバイズ』を高速で操作し、検索結果をポンウィパの端末へと共有した。
空中に浮かぶウィンドウ。そこに映し出されたのは、『トニー&エイリアンズ』の概要一覧。横には、店の前で肩を組んで笑う二人の男の写真だ。下に名前も表記されている。一人は、恰幅の良いコックコート姿の黒人男性、トニー・クーニック。
もう一人は、同じくコックコート姿の……明らかに人類の範疇を逸脱した姿────昆虫の外骨格と爬虫類の鱗を併せ持ち、四本の腕を持つ人型の怪物、『異形人』のゲリージャ・グエラドリッグ。
この混沌とした時代、怪物の姿をしていても、知性と理性を持ち、社会生活を営む者たちは数多く存在する。彼らには戸籍も人権も与えられ、市民として溶け込んでいるのだ。
人型ですらない不定形の『無原形人』ですら、隣人として受け入れられるこの街……いやこの世界において、肌の色による人種差別など、もはや博物館に飾られるべき過去の遺物と化していた。
「ここ限定の『銀河チーズ火山』! これが本当に美味しいらしいんだよっ」
レフィーマが熱弁を振るう。
「チーズの海に溺れるような濃厚さと、未知のスパイスによる爆発的な旨味……! 大人気すぎて、予約は半年待ち、チケットすらプラチナ化してるんだよ。なのに十枚も……今回の依頼主、ただの金持ちじゃない、相応運もよい、やるなっ」
「へぇー、すごいね」
ポンウィパが感心しつつ、ふとした疑問を口にする。
「てか、ポータルじゃだめなの? 多少値は張るけど、『亜空間配送サービス』を使って、ブロンクスからここのロッドロッズ地区まで転送すればいいのに」
ちなみに、ロッドロッズ地区は二百年前ほどに、マンハッタン島の北端に新設された、再開発エリアである。
「分かってないなぁ、ポンチャンよ」
レフィーマは人差し指をチッチッと振った。
「『トニー&エイリアンズ』は超人気店。転売やハッキングによるチケット偽造対策で、商品の受け渡しは『現地での手渡しのみ』になってるのだよ」
ドヤ顔で言い放つ。
「え、大丈夫なのそれ。こんなご時世に、人気店に行列なんて作ったら、暴徒に襲撃されて店ごと物理的に潰されない?」
「それが平気なんだよ。ここの店主、二人とも実力者の『エグジスト』。だから、ピザ強盗目当てで近づくような半端な荒くれ者は、返り討ちに遭って食材にされるのがオチよ」
「なるほどね……というか、レフィーマって、『エグジスト』の作る料理は平気なんだ? あんなに毛嫌いしてるのに」
ポンウィパが素朴な疑問を投げる。彼女は『エグジスト』を嫌うが、彼らの経営する飲食店にはいつも行っている。魔法使いの発言に、超能力者は肩をすくめた。
「あいつら、人間に対してのデリカシーや心はなくても、料理や自分の専門分野に向ける情熱だけは本物。実際、悔しいけど美味しいし」
「はぁ、そういうもんか」
「それに! ポータルなんかで空間転移させたら、分子配列が微妙にズレて、ピザの味が落ちちゃうでしょっ!」
「いや、変わらないでしょ」
即座にツッコミを入れるポンウィパ。
「変わるの! 私たち食通の間じゃ、そんなの常識だよ! チーズの伸びが違うの!」
「大食らいって、イコール食通だっけ?」
「う、うるさいっ」
レフィーマが顔を真っ赤にして叫ぶ。
車内には、いつもの漫才のような空気が戻っていた。ようやく安心したポンウィパが、笑みを浮かべようとした、その時。
「わっ!?」
「うわっ!」
突如、世界が反転した。
凄まじい衝撃と共に、車体が空高く打ち上げられたのだ。アスファルトを突き破り、地下下水道からタイミングよく首をもたげた巨大な『多頭蛇』。その一撃が、走行中の車両を下から突き上げたのである。相当に強力な個体だったのだろう、車体の魔術シールドごと物理的に吹き飛ばされた。
バヂヂッと音がし、シールドに亀裂が走り、ステルス迷彩機能がショートして解除される。
黒い車体が、白日の下に晒された。
「や、やばいっ! 空は……!」
放り出された先は、まさに激戦の最中である上空エリア。そこには、獲物を求めて飢えた悪魔たちの群れが待ち構えていた。「餌だ!」と言わんばかりに、無数の視線が突き刺さる。
すかさず、全方位から魔弾の雨が降り注ぐ。
「ぎゃあああああ!!」
「し、死ぬっ! ピザ屋に着く前に死ぬっ!」
空中で制御を失った車内で、二人は悲鳴を上げた。車内じゃ能力も使えず、何も出来ないのだ。自動迎撃システムが必死に応戦し、ガトリングガンが火を噴くが、敵の数が多すぎる。障壁の耐久値を示すゲージが、みるみる赤色へと変わっていく。
「レフィーマ、脱出するよっ!」
ポンウィパが叫ぶ。
「嫌だぁ! ピザ食わずして死んでたまるものかっ!」
そうは言いつつも、レフィーマは震える手でホログラムを操作。緊急脱出シークエンスを起動した。二人が同時に思念コマンドを入力した、その刹那。
悪魔の群れを統率していたリーダー格────山羊の頭蓋骨を被った中級悪魔が、掌から極太の『死の光線』を放った。
直撃。
轟音と共に、装甲車は空中で木っ端微塵に爆散した。黒煙と破片が、燃えながら地上へと降り注いでいった。




