明
「いい加減にしろよ!」
バン!
会議室の壁を叩く。視界の隅の人達が一斉にこっちを見た。
ヤバい、またやらかしてる、俺。
頭にくると周りが見えなくなる。蓮司さんによくたしなめられるのに、ガキみたいな性格が直らなくて嫌になる。
「帰ったら話そう、な?」
どうにか仁美をなだめて通話を切った。
ここは大手芸能事務所。俺がボーカルのバンド「ルミナス」はデビュー前の打ち合わせ中だ。
軽く頭を下げて俺は席に戻る。
「明くーん、大丈夫?」
プロデューサーのおっさん声に、場の緊張が解ける。
「あ、はい、すみません」
「ん、じゃあ続きね。この曲の再生回数も上がってるから、間を開けずにこっちもプッシュしたいんだ」
「そうですね。俺らも一発屋とか嫌なんで」
リーダーの蓮司さんが大人の対応を見せ、はは、とさざ波みたいに笑いが起こる。
事務所は俺のアイドルみたいな顔と、低音ボイスの激しい曲、そのギャップを全面に押し出そうとしている。音楽だけで勝負したかったけど、顔出ししたデビュー前の広告は確かに話題になっていた。
「忙しくなるから覚悟してね」とおっさんがウィンクする。
「うっす……じゃなかった、はい」
また笑い声が起こった。
ああ、イライラする。
大人には分かんない感性だの、新しい世界を切り拓くだの意気込んでいたのに、業界に飲み込まれそうだ。
デビュー直前なのに、楽しめない理由がある。
「休憩しない? 俺、トイレ」
雅美が音を上げた。ギターを置いて出ていく。
事務所のスタジオは、1時間いくらで借りてたスタジオと全然違う。集中して「もう1回」を繰り返し、メンバーを疲れさせてしまう。
ふぅ、と隅のソファに座ると足音が近づいてきた。
ドラムの智春、通称トモだ。
「明、これ」
目の前に紙コップ。俺の喉を気遣ってのものだろう。
ふわ、と香りが漂う。タバコを吸うトモに、俺があげた香水だ。深緑の森を思わせる香りは嫌いじゃなかったが、俺はイラついていた。
「トモ、お前こういうのいいからしっかり叩いてくれよ」
「……ごめん」
イライラの原因、一つはトモだ。
ラストのサビ前の叩き出しが遅いミスを連日続けている。テンポもずれる。集中力がない。
「……トモ、ちゃんと眠れてるか?」
蓮司さんが優しく声をかける。
「あんまり……寝ようと思ってもいろいろ考えちゃって」
「デビュー前でナーバスになってるんじゃないか? 今日はもう切り上げるか」
「いいよ、明もまだやりたいでしょ、やるよ」
イライラする。
「俺できるまでやるよ!」って熱くなればいいのに、トモは俺に気を遣う。話し方もふにゃふにゃと柔らかい。
「俺が無理矢理付き合わせてるみたいな言い方すんな。叩けてないお前が悪いんだろ」
「ごめん……」
「おい明、そういう言い方はないだろ」
「んだよ、蓮司さんまで」
俺はそのまま立ち上がる。
「どこ行くんだ」
「トイレ!」
重い扉を開け、スタジオを出た。
俺は休憩コーナーへ向かった。缶コーヒーを買って、ベンチに先客がいるのに気付く。
「マサ」
「明。ここ座る?」
「ん」
座ると空調の音が聞こえるくらい静かで、窓の外に都会の夜景があって、少し落ち着いた。
「ごめん、俺またやりすぎた」
「いいよ。それよりさ、打ち合わせの時の電話、仁美からだったんじゃない?」
マサの姉、仁美と俺は同棲している。
「なんかあいつ最近キレやすいんだよ」
去年の今頃は、結婚式の話をしていた。金もないし感染症は流行ってるし、家族だけで、と話していた。楽しみにしていたのに今年の夏、デビューが決まり状況は一変した。
「バンドメンバーと事務所の人たちにもお披露目会をしよう」と言うと仁美はキレた。
「なんで私は友達呼んじゃいけないの?」から始まり、家事のこと、職場の不満......地雷を踏むと十倍になって返ってくるようになった。
帰っても機嫌が悪いんだろうと思うと憂鬱だった。
「ごめんね。俺、話しようか?」
「いやいいよ。弟を味方につけて! って逆ギレされそう」
「そっか。ま、愚痴くらいは聞けるからさ」
「サンキュ」
適当に選んだ缶コーヒーはおいしくなかった。
さっきのお湯、やっぱ飲んでくればよかったな。
スタジオに戻ると、トモが「携帯鳴ってたよ」と教えてくれた。仁美からの着信が何回も入っている。かけ直しても出ない。
俺を見守る3人に、「悪い、今日はもう終わろう。お疲れ」と荷物をまとめた。皆が話しているのを置き去りにスタジオを出た。
胸騒ぎがする。
マンションに帰り着きドアを開ける時、なぜかトモの顔が浮かんだ。
これからも一緒にやっていく大事な仲間なのに、謝るタイミングを逃してしまった。
また、話さないと。今度は落ち着いて。
大人にならなきゃな。
「ただいまー」
玄関は暗かった。が、人の気配がする。
「……仁美?」
電気をつける。
仁美が廊下に倒れていた。
「おいっ!」
俺は急いで彼女に駆け寄った。
それから数日は大変だった。
仁美は妊娠していた。救急車で運ばれ、そのまま入院した。
事務所からはデビューはずらせない、絶対極秘にしろと言われ、双方の親には俺が報告しに行った。どっちも俺が大学も受けずに音楽の道に進んだのを良く思っていない。仁美の親との面談にはマサが来てくれたが、うちの親父からは殴られそうになり、実家を逃げるように出て、疲れたまま都内に戻ってきた。
久しぶりの部屋は散らかっていた。
「ああもうなんもやる気しねぇ」と言い捨て、駅で買った緑茶を飲み、溜め息をついた。
こんな時、トモのドラムがあったら、と思う。
あいつのカウントで、俺は音楽の波に乗る。好き勝手歌っても、リズムを整えてくれる。蓮司さんのベースが支える中、マサのギターが派手にかき鳴らされて、俺達は一体になる。
「――歌いてぇなぁ」
声に出した時、携帯が振動した。
蓮司さんからだ。
「話がある、そっち行っていいか?」
「今言えばいいじゃん」
「大事な話だ」
「……わかった」
ただならぬものを感じた。
蓮司さんはソファに座るなり、言った。
「智春がバンドを抜けた」
俺の手からするりと、ペットボトルが落ちた。
音を立てて転がり、床にどくどくと緑茶が広がる。
「はぁ!? なんで」
「僕には無理だ、他の奴あたってくれって……すまん、お前がドタバタしてたから遅くなって」
俺は蓮司さんの両肩をつかんだ。
「クッソふざけんなよ!
トモどこだ、俺が直接話す」
「そんな時間ないだろ、夕方には生放送だぞ」
「だってドラムが」
「今回はプロを呼んである。俺と明と雅美の3人でデビューする」
「4人じゃないと意味ねぇよ!」
「明」
蓮司さんが俺の両腕をつかみ、そっと離す。
「明、ルミナスはもう俺達だけのバンドじゃないんだ」
穏やかな声で、子供に言い聞かせるように。
「これは仕事だ。穴は開けられない。わかってるんだろ」
「……くそっ」
「俺達皆、大人にならなきゃいけないんだ、明」
「……わかってる」
昼過ぎ、マネージャーの迎えが来た。後部座席にいつもより余裕があった。窓の外の東京は建物がありすぎて、トモがどこにいるのかわからない。
生放送の段取りを聞きつつ、俺は仲間の不在を噛みしめていた。
そこら中の人間を揺さぶって、トモがいなくなった理由を聞いてまわりたかった。
俺が責め過ぎたのか?
今だったら向き合ってやれるのに、トモはいない。
逃げ出すような奴じゃなかったのに。
トモ、お前になにがあったんだ。




