帝都のミアナ6
「メウルニ様。何故、このようなところに?」
思わずミアナの口から疑問が飛び出した。よく見ると、メウルニの後ろに付き従っている護衛が一人と、周辺にいる買い物客のうち、何人かは見知った顔だ。準備万端でお忍びで街歩きをしているらしい。
メウルニは帝都のタウンハウスで酒浸りだと聞いていたミアナは彼との遭遇に驚いた。最後に遭った時に愛人をクビになって、置き去りにされたのだ。偶然、ミアナを見かけても無視して立ち去るものだと思っていた。
「久しぶりだな」
「お久しぶりです、メウルニ様。・・・アウルム様のこと、おめでとうございます」
顔の肉が取れて、頬骨の高さが強調されたメウルニの顔にお変わりなくとは言い出せず、ミアナは代わりにアウルムに愛人ができたことを称賛した。治癒術師から見て褒めたくないことでも、選帝侯の目からは息子が治癒術師の信頼を得たことは大きいだろう。
「ありがとう。アウルムのおかげで私も目が覚めた。酒に溺れていても何も変わらない。パメラの死を無駄にしてはいけないと」
メウルニの妙に明るい口調がミアナは気にかかった。メウルニは優しく、他の選帝侯たちだけではなく、麾下の貴族の意見にもよく耳を貸して、案を受け入れていた。それは穏やかな性格からで、軽薄な性格から無責任にそんな真似をしたわけではない。
「そうですか。それはようございました」
「手始めに、お前に戻って来てもらうことにした」
「? 結婚しておりますので、それはできかねます」
変わらぬ明るい口調で告げられた内容の非常識さにミアナは困惑した。愛人は未婚の治癒術師がなるものだ。結婚することで治癒の力を持つ一族の女性は選帝侯の一族の愛人になって選帝侯たちに治癒術師を与える気がないことを表明していると見なされている。
治癒の力を持つ一族の女性は選帝侯たちにかけられた呪いで彼ら一族の子ども以外を産むと死んでしまうが、治癒の力を持つ一族と選帝侯の間にはいくつかの取り決めで、治癒の力を持つ一族のほうが優遇されている。
「結婚していても愛人になった治癒術師はいるだろう」
「いたとしても、私にはできません。私はジャンルカを愛しています」
「愛する男がいても、平然と他の男に抱かれることができるのが治癒術師だろう。その夫になる恋人を置いて、私の愛人になったのを忘れたか?」
「・・・・・・」
図星を刺されてミアナは言葉が出なかった。それは治癒術師の女性ならよく使う方法だ。ジャンルカの母親もそうしていた。
「まあ、お前の意思など、どうでもいい。お前はまた私の愛人になったらいいんだ」
「そんなことがまかり通ると思っておられるんですか。愛人は治癒術師の意思がなければできないんですよ」
愛人だろうが、従者だろうが、治癒術師にそれを強要することは皇帝でもできない。それが取り決めだ。
「パメラを殺したお前がそんなことを言えると思っているのか。お前の身勝手な計画に巻き込まれてパメラは死んだんだ。お前が私からパメラを奪ったんだ。そのお前が罪を償わずに幸せになれるとでも思っていたのか?」
「わたしはパメラ様を殺していませんっ! パメラ様の死は襲撃犯の仕業です」
以前のミアナならメウルニの言葉に同意していただろう。
しかし、今のミアナはジャンルカによってそれが正しくないことを教えてもらっている。
パメラの死に責任があるというなら、襲撃犯やそれを計画した人間だけだ。里帰りが襲撃されることなど、計画した人間か共犯者以外、知ることもできない。
だから、ミアナにはその責任がない。
治癒術師のいなかった選帝侯には皇帝から愛人が与えられる。ミアナがメウルニに与えられなくても、別の誰かがメウルニに与えられ、愛人になっていただろう。そうなっていたのなら、夫の愛人に耐えられなかったパメラはやはり里帰りをしようとしただろう。それで愛人になったことが罪と言えるだろうか?
「その襲撃はお前が来たせいで起きたものだ」
「わたしが計画したわけでも、手引きしたわけでもないのにその責を問うというのですか?!」
「治癒術師の愛人に子どもを産ませるのが選帝侯の義務だ。だからといって、私とパメラの間に亀裂を作った罪は消えない。パメラはあの時、私と別れる覚悟もしていた。お前は娘さえ生まれていれば、それを連れて帝都に戻っていただろう。そんな軽い気持ちのお前のせいで、パメラは死んだんだ!」
「・・・」
当時、ミアナはパメラの不安定な立場に気付いていなかった。パメラは夫に愛され、守られているように見えた。二人に憧れたミアナには貴族たちの不満やパメラの不安、メウルニの努力が見えていなかった。
今ならわかる。
メウルニは選帝侯として最低限の義務を放棄せずに、ミアナに子どもを産ませようとした。一族の別の者にそれを任せようものなら、メウルニに対する反発が生まれ、選帝侯の長男として生まれて選帝侯になっただけ、と評されるだろう。
ミアナの事情がどうであれ、ミアナは選帝侯の愛人で、パメラは妻だった。それも愛妻で、ミアナが羨んでいたくらい夫妻は仲が良かった。
亀裂を作ったと言われているが、そんな亀裂はメウルニとパメラにはなかった。あったのは、パメラとエンデパンの貴族の間の亀裂だ。
跡継ぎであるアウルムを産みながらも、夫の麾下の貴族からは認められず、常に唯一の味方である夫からの愛が失われるかもしれないと恐れ続けなければいけなかったパメラ。いつか、皇帝が与えた愛人に、夫が心を移すのではないかと疑心暗鬼に陥ってしまった可哀想な妻。
妻を愛するが故に多くを望まず、意に反することも、弱腰選帝侯と揶揄されることも選んだメウルニ。パメラの死で、誰かを責めたい気持ちも、ミアナにはわかる。
わかるが、ミアナを責めるのはお門違いだ。
「ああ。愛人に戻ったら、好きなだけ子どもを産ませてやる。お前はそれが欲しくて愛人になったんだから、犬には鞭だけではなくご褒美も必要だしな」
「いりません。子どもはもういただきました」
「そうか。まあいい。断ったりしたら、お前の夫をパメラと同じところに送ってやるからな」
冷たいグレーの目に浮かぶのは狂気の光。何を言っても無駄だ。
ミアナは自分の思い違いに気付いた。メウルニは立ち直ったのではない。明るい希望など見えていない。
メウルニが見ているのは復讐だ。パメラを殺した者たちへの復讐しかないのだ。
今の遣り取りで周囲の者たちが動じていないところをみると、風魔法で防音でもしていたのだろう。
治癒術師が皇帝の持ち物から、選帝侯に貸し出される手続きには治癒術師本人の手続きが不可欠である。その時に脅迫によって、愛人にされると申し立てても、メウルニは気にしないだろう。
アウルムは既に愛人持ちとなった。幼くてもこれで選帝侯として認められる条件を満たしている。
メウルニが不正に治癒術師を手に入れようとしたとして、反逆罪で処刑されても、選帝侯の家は取り潰せないし、アウルムが連座することはない。
メウルニにはもう、怖いものは何もないのだ。
その時、ミアナの中で美化された思い出が砕け散った。
(ジャンルカ! ジャンルカ! ジャンルカッ!)
ミアナは心の中で狂ったように夫の名を叫び続ける。
心惹かれてはいけなかった相手に心惹かれてしまった。その報いが今になって来る。
メウルニがあんなにも愛妻家でなかったら。
メウルニが優しい人でなかったら。
ミアナは心惹かれたりはしなかった。
ミアナが心惹かれたことで、メウルニの妻は精神的に追い詰められてしまった。ミアナが心惹かれなくても結果は同じだったかもしれないが。
妻を愛していた優しい人は、その愛する妻を喪って変わってしまった。
目の前にいるのは優しくて好きになってしまった人の変わり果てた姿。好きになったところをすべて妻と共に埋めてしまった血も涙もない怪物。
その怪物はミアナを復讐をしようとしていた。愛人に戻らなくてはミアナの夫を殺すと脅して。
メウルニは自分の意思に従わない者を容赦なく殺すようになった。麾下の貴族だけでなく、他の選帝侯やその配下にまで被害は及んだ。あまりの横暴に他の選帝侯たちから眉を顰められたが、彼を止めることができたのは皇帝の命令だけだった。
弱腰選帝侯と揶揄されていたメウルニが選帝侯の中でも突出した非情さを表すようになり、『メウルニの治癒術師』という不名誉な隠語は彼に対して使われなくなった。
ただ、その言葉だけが残った。
かつて、ガレリアと呼ばれた国があった。どんな怪我も病も治すことができる治癒術師がいる国だった。治癒術師は皇帝に管理され、許可なく治癒術師を所有することは選帝侯でも処刑されたという。
最後の皇帝が治癒術師たちの保護を止め、何度か病が流行っただけで治癒術師たちは死に絶え、治癒の力を持つ一族は滅んでしまったという。
その為、治癒の力を持つ一族の生き残りを多くの者が切望し、弱腰選帝侯メウルニの隠語『メウルニの治癒術師』は「いくら価値があっても、価値を知らない者には価値がない」という諺として広まった。
後世では、『メウルニの治癒術師』の謂れとなったメウルニと、皇帝アウルムの父親である氷のメウルニは別人だと思われている。氷のメウルニには治癒術師がいたので。
お読みくださって、ありがとうございます。
これにて、愛妻家に惹かれてしまったミアナの想いとそれを取り巻く状況の話はおしまいとなります。
誤字脱字報告をしてくださった方、ありがとうございました。
この作品はあなた方のご協力でより良くなりました。
本当にありがとうございました。