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十三話 ゲーム

 仏壇への挨拶を終え、張り詰めていた空気がふっと緩む。

 リョウは「自分の部屋のように寛いでよ」と言いながら、リビングのソファにリュックを置くよう促した。

 

「長旅で疲れたでしょ」

「別に。ちょっとバスに乗っただけだし」

 

 強がってみせたものの、実際は知らない土地の高級住宅街を歩き回った緊張で、肩にはずっしりと疲労が溜まっていた。モダンすぎるリビングの空間に、自分の存在が浮いているような気がして落ち着かない。

 

「部屋着に着替えたら? 外着じゃ窮屈でしょ」

 

 リョウに言われ、俺は小さく返事をした。

 リュックの底から、丸めて詰め込んできた服を取り出し、ボタンに手をかける。

 ふと視線を感じて顔を上げると、リョウがソファの背もたれに腕を乗せ、物珍しそうにこちらを凝視していた。

 

「何見てんだよ」

「ユイトのお着替えを拝もうと思って」

「……あっち向いてろ」

 

 茶化すようなリョウの言葉に、俺は背を向けて素早く着替えた。

 取り出したのは、中学時代の紺色のジャージ。膝のあたりが少し白く擦れていて、お世辞にもこのモデルルームのようなリビングに似合う代物じゃない。

 

「……これが一番落ち着くんだよ」

 

 振り返りながら防衛本能的に毒づくと、リョウは目を細めて、何かに感動したように頷いた。

 

「そういう雑なところも可愛い」

「うるさ……」

 

 リョウの言葉を遮るように、俺は脱いだ外着を丸めてリュックに押し込んだ。

 

 「可愛い」なんて柄じゃない。けれど、リョウのその視線は揶揄っているというより、俺の「日常」の一部を共有できたことを心から喜んでいるように見えて、余計に居心地が悪くなる。

 洗練された家の中で、使い込まれたジャージ姿の俺と、ゆったりとしたパーカー姿のリョウ。

 二人の境界線が少しずつ溶けていくような、不思議な夜が始まろうとしていた。


「ユイトって、ゲームとかする?」

 

 大型のモニターを点けながら、リョウが首を傾けて聞いてきた。

 画面から放たれた鮮やかな光が、暗めのリビングを青白く照らし出す。

 

「あんまりしない」

「そっか。でも大丈夫、すぐ覚えられるよ。はい、これ」

 

 手渡されたコントローラーは、意外にもしっくりと手に馴染んだ。

 始まったのは、リアルなグラフィックのレースゲームだった。カウントダウンと共にエンジン音が爆ぜ、俺の操る車が勢いよく飛び出す。

 

「おっと、そこ左カーブ」


 必死にスティックを倒すと、それと連動するように自分の体まで大きく左に傾いた。壁にぶつかりそうになる度に肩が上がり、急ブレーキをかける時には足まで突っ張ってしまう。

 

「ふふっ、ユイト。体は動かさなくてもいいんだよ」

 

 リョウの余裕たっぷりな笑い声が隣で響く。彼は指先だけで滑らかにマシンを操り、俺の横を軽やかに追い抜いていった。

 

「わかってる、けど……勝手に動くんだよ……」

 

 急なヘアピンカーブで、俺の体はこれ以上ないほど右に捻じ曲がった。必死な俺を尻目に、リョウの車は悠々とゴールラインを駆け抜けていく。

 画面には「LOSE」の無慈悲な文字。

 

「……俺にゲームは向いてないんだ」

 

 俺はコントローラーをソファに置き、膝を抱えて顔を背けた。

 負けた悔しさより、無意識にジタバタしていた姿を見られた恥ずかしさが勝って、耳の裏まで熱い。

 

「拗ねないでよ、初めてなんだから。次はもっとゆっくり走るからさ」

「……どうせ、何回やってもリョウにボコボコにされるだけだろ」

 

 唇を尖らせて呟くと、リョウは「あはは、ごめんって」と言いながら、俺の肩をぽんと叩いた。


「じゃあ、もっと簡単なゲームしよっか」

 

 拗ねて顔を背ける俺を宥めるように、リョウがモニターの電源を切った。画面の青白い光が消え、リビングには落ち着いた間接照明の灯りだけが残る。

 

「何……。どうせまた、俺ができないやつだろ」

「ううん。テクニックも、反射神経もいらない。交互に『愛してる』って言い合って、先に照れた方が負け。……簡単でしょ?」

 

 リョウは膝を抱えて俺を覗き込む。その提案の意図を測りかねて、俺は眉を寄せた。

 なんだその、バカみたいなルールは。けれど、今の俺はレースゲームでボコボコにされて、引くに引けない状況だった。

 

「……いいよ。やってやる」

 

 向き合って座ると、リョウの顔が意外なほど近くにあることに気づく。

 先攻は俺。

 ただの言葉だ。意味なんて考えなければ、ただの四文字の音の羅列に過ぎない。そう自分に言い聞かせて、俺は乾いた喉を鳴らした。

 

「あ、愛して……る……」

 

 語尾が震えた。口にした瞬間、心臓が跳ね、耳の奥がカッと熱くなる。言霊というのか、ただの言葉がこれほどまでに体温を上げていくものだとは思わなかった。

 

「俺も、愛してるよ。ユイト」

 

 リョウの声は、低く、驚くほど滑らかだった。

 茶化すような響きは微塵もなく、真っ直ぐに俺の瞳を捕らえて放さない。リョウの瞳に、街灯のような光が宿っている。

 

 その体温の籠もった響きが鼓膜を震わせた瞬間、俺の顔面は一気に沸騰した。


「あはは。ユイト、顔真っ赤」

「引き分けってことにしといてやる……!」

 

 俺は両手で顔を覆い、逃げるように視線を床へ落とした。

 

「ふふっ、そうだね。引き分けにしようか」

 

 リョウの穏やかな笑い声が頭上から降ってくる。

 ゲームとしての勝敗はどうでもよくなっていた。ただ、リョウが口にしたその四文字が、冗談であっても本気であっても、その四文字はもう、胸の奥から出ていかなかった。

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