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黒の魔王と黄金の歌姫   作者: 芝村あおい
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ラブコメターンです。



 調理場には、ドラゴンの肉のステーキとイモのスープ、根菜のサラダ、卵をたっぷりつかったプディングが所狭しと並ぶ。城に戻ってきてからなぜかべったりとくっついていた星屑が、うれしそうにぴょんぴょんと飛び跳ねた。かわいい。


「わぁ、すごいごちそうです!」 

『終戦の目処が立ったお祝いです。肉食の方にはステーキを、菜食の方にはサラダを多めに持っていってください』

「えっ、これまかないなんですか⁈」

『ええ。これまで戦の中頑張ってこられた城の皆さまを労うようにと、魔王さまと従者さまがおっしゃったのです』


 星屑は再びわぁい、と飛び跳ねた。それから、少し落ち着いた口調で、


「……あの。もう黄金さまは、同胞を傷つける手伝いをしないのですよね?」


 娘は目を瞬かせた。誰かが、娘の戦歌姫の役割を教えたらしい。娘は穏やかに微笑んだ。


『……ええ。だって、もうわたしは魔王さまのもので、魔族のことが大好きになってしまいましたから』

「……そうですよね! 星屑はそうだと思っていましたとも!」


 星屑はそう言って、賄いをお盆に乗せて運び出す。


「それじゃあ、みんなに黄金さまの食事を出してきます!」


 騒々しく調理場を出ていく星屑と、入れ違いに入ってきたのは従者だった。


『従者さま。今日は皆さんとご一緒に食事をされますか?』

「……いや。ここでもらう」


 従者はそう言って、いつも通り娘の対面にスツールを置いて座った。目の前に皿を並べて、娘も一緒に食事をすることにする。

 

『ね、お約束、守りましたよね?』

「…………なんのだ」


 ほとんど食べ終えたころ、娘は従者ににんまりとした笑みを向けた。


『魔族を負けさせない、というお約束です。褒めていただいても良いのですよ?』


 娘が胸を張ると、テーブルの向かいでプディングをつついていた従者はしょっぱい表情をした。


「……今回の件は、別にお前の策ではなかっただろう」

『わたしが機転を効かせたからこその大団円ではないですか』


 そもそも、あの騎士がうまく遠征軍のトップに立てたのは、娘の前司令官暗殺がきっかけだ。ソスランが反乱まで企てていたとは知らなかったが、少なくとも司令官の後釜にはあの男が座ることになるとの思惑はあった。だからこの結果を導いたのは自分の功績だと娘は思う。


『…………お前、そういうところだぞ』

「はて、なんのことでしょう?」

『……いや、いい。お前はそういうヤツだ』


 従者はため息を吐き出して、プディングの最後の欠片を口に含む。それから立ち上がって、娘の前まで来て跪いた。


「──感謝する。お前のおかげで、これ以上同胞が黄泉へと渡ることはない」


 月光の瞳が真っ直ぐに娘に向けられた後、恭しく手のひらを持ち上げられ、白い甲に口付けられた。

 急なことに、娘は思わず目を見開く。


「えっ、えっ……あの……?」

「なんだ。感謝されたかったのだろう?」

「いえ、その……思っていたのと違ったというか……そんな騎士さまのようなことをされるとは……」


 そう言うと、従者の眉がぴくりと跳ねた。


「あの人間にも同じことをされたのか?」

「いえ、されたわけではなく、しているのを見ていたことがあるだけで……」


 ただし、あの騎士以外にされたことならいくらでもある。それがしごとだったくらいだ。だが、この様子だと言わない方がいいかもしれない。従者はあからさまに満足そうな顔をしている。


「ならば、いい。それで、これからお前はどうする気だ?」

「もちろん、いつまでも魔王さまのおそばにいます!」

「料理人兼侍女としてか?」

「ええ。わたしには十分過ぎる待遇です」


 本当に、これまでも夢のような日々だった。

 身の危険もなく、暖かい布団の上で眠れる。かわいらしい同僚と他愛もない話して、憧れの君に仕えて。限られた食材だけれど、手料理をふるまって、皆においしいと言われて。


「……本当に、この思い出だけでしばらくはやって行けると、思っていました」


 ──人間の国に帰ると決めた時、あの時は本当にそれが最善だと思ったのだ。

 まさか、引き止めてくれるとも、思っていなかった。実は今もまだ夢ごこちだ。


「……お前、普段の行いのわりには欲がないな」

『いいえ、十分欲深い人間ですよ。ご存知でしょう?』

「……ああ、そうだな。お前は結局、自分がやりたいことも、自分がやるべきことも、全て自分だけでやり切った」


 従者の笑みは、なんだか少し寂しそうだった。


『……従者さまがいてくれたからですよ?』

「そうか」

『……わたしが攫われて、あんなに怒ってくれた人間はいませんでした』

「それは──」

『あのままわたしと騎士さまを見逃しても、きっと魔王さまは従者さまをお咎めにはならなかったでしょう。それに、ソスランさまは本当に軍を撤退させたでしょうから、もうわたしも必要なかったはずです』


 従者は黙ったままだった。


『……それでも、追いかけてくださった』

「……人間の話が信用できなかっただけだ」

『でも、それだけでもない?』

「…………そうかもな」


 従者は不機嫌そうだった。それでも娘は、自分の胸が温かいもので満たされるのを感じる。こんな感覚になったのは、魔王をはじめて見た時以来だ。


『……ふふ。ありがとうございます』

「……なにに礼を言っているんだか。……もう行け」

「はい」


 この後、魔王のところへ行くつもりだった。呼ばれたわけではないが、従者も娘も、そうすべきだと思っていた。


「………………従者さま」

「なんだ」

「……おやすみなさい」


 調理場を出る時に振り向くと、美しく愛らしい同僚が片手を上げている背中が見えた。




/*/


「これから忙しくなる」


 魔王の執務室に入ると、挨拶もせずにそう言われた。魔王は珍しく真面目に執務机で書類をつくっている。


「はい。人間に貸し出す魔族軍の編成ですね」

「ほとんどの魔族が人間に対する敵対感情を持っている。できるだけ理性的な者が望ましいだろう。むやみに殺しては、また人間どもに反撃されかねん」

「はい。ですから、ある程度知性のある高位の魔人の方にお願いすべきでしょう。できるだけ少人数で。こちらも復興の手数が欲しいですから」

「人間の捕虜を置いていけ、と交渉することは可能か? 手が足らん」

「やってみましょう」


 そこでふと、魔王が顔を上げた。ぬばたまの黒が娘を捉える。


「……ああ、お前か。宵闇かと思った」

「従者さまは調理室でお食事中です。お呼びしましょうか?」

「いや、今日くらいはゆっくりさせてやりたい。今までアイツには苦労をかけたからな」

 魔王が椅子に背を預けるので、娘は紅茶を淹れる。少し酒を足したので、このままゆっくり休んでくれたら、と思う。

「魔王さまも、お疲れ様でございました。……ひとつ、うかがってもよろしいですか?」

「許す」

「ありがとうございます。……人間と和平を結んで、良かったのですか? たくさん、仲間が殺されたのでしょう?」


 娘がかつて目にした、魔王の涙。部下を殺され、嘆き、悲しんでいた。あの姿は嘘ではない。だからこそ尊く、至上の価値があると心の底から感じたのだ。


「仇を打たなくていいのか、という問いか? お前にしては愚問だな。──それをしても、同胞は生き返りはしない」


 魔王の表情は凪いでいた。その眼差しは、どこを見つめているのか娘には検討もつかない。彼はどれくらいの時を生きて、どれくらいの同胞との別れを繰り返したのだろう。


「誰かを殺しても、なにもこの手に戻りはしない。私はこの世の王。我が神に大地の守護を任された主人。この世を維持することが、私の勤め。復讐で、この世を維持することはできない」

「……であれば、わたしを人間に渡してもよかったのではありませんか? わたしを渡すだけで国を守れたのですよ?」

「くどい。言ったはずだ。お前のような小娘に戦を左右する価値はない」


 娘は困惑していた。価値がない、と言われたことがあまりなかったのだ。幼い頃は容姿を買われ客を取り、成長してからは歌声に価値を見出され、今は知謀を買われている。


「せいぜい、私好みの料理がつくれる、といったところだ。……それに、お前は私のものなのだろう? お前が自分で言っていたではないか」

「はい。もちろんです」

「私個人の所有物を戦争のネタにされては、かなわん。国の統治とは別の話だ」


 魔王はそう言って、笑った。はじめて見る、焦がれた君の無邪気な笑みだった。


「どうした、胸を抑えて」

「あまりのときめきに心臓が痛い……!」

「持病か? 人間の体は難儀だな。そこのソファで休むがいい」


 ありがたく好意を受け取ってソファに腰掛けると、なぜか隣に魔王も腰を下ろした。


「あ、あの……?」

「ふむ。お前は宵闇と恋仲なのかと思っていたのだが、違うのか?」

「ち、違います! 何度も申していますが、わたしは魔王さまに身も心も捧げています!」

「忠義は認める。だが、体を捧げてもらった覚えはない」

「へ?」

「お前の献身は恋慕からか? それともただの力への服従か? 人間のお前がなぜ?」

「それは──魔王さまが、お美しかったからです。この世の、なにものよりも」


 他者を慈しみ、愛し、死せば涙を流す。ひとに価値をつけず、ありのままを受け入れる。

 その姿は、この世の、どんな宝石や富にも勝る。


「貴方は……わたしの、黄金です」


 ぬばたまの黒瞳を、まっすぐに覗き込む。そこには闇夜の星の煌めきもない深淵があった。その黒に自分の翡翠の瞳が映り込んでいる。彼の王の瞳に自分が映り込んでいると思うだけで、幸福感に意識が遠のきそうだ。

 ぬばたまの王は、一度頷いた。


「──はじめて、お前に興味を持った」

「まあ……光栄です」


 うっとりと返すと、魔王の大きく優美な手のひらが、頬をなでた。それに驚く。


「ま、魔王さま……?」

「お前がなにを見て、なにに価値を感じているのかはわからん。ただ、私はお前の献身に応えよう。人の子でありながら、魔に従う者よ」


 頬に触れていた手のひらが、肩に流れてそのままわずかに力を込められる。それだけで、娘の体はソファに倒れ込んだ。上等な綿が、娘の体を柔らかく受け止めてくれる。

 その上から美貌の王が覆いかぶさるようにして、こちらの表情を覗き込んできた。彫像のような美貌が、愉快そうに歪む。

 あまりの美しさに、眩暈がした。胸が激しく鼓動を繰り返して、呼吸が浅くなる。


「ふ。なんだ、生娘のような反応をして」

「そ、そそそそ、そんな! こ、これでも戦場育ちなので! 魔王さまだってご存じない過激なあれやこれやだって──」


 そこまで言って、唇に優美な指先が当てられた。眼前の美貌が、困ったように笑っている。


「お前、今から抱かれるという時に他の男の話をするのか? 本当に生娘なのではないのか?」


 王が呆れるのも無理はない。今までこんな場面で、こんなにみっともなく動揺したことなどなかった。それこそ、この王が思いつかないような下卑た行為を強要されたことも一度や二度ではないのに。なぜこんな、顔を近づけられただけで、息もできなくなるのだろう。


「どうする? 生娘ならば、考える時間くらいやろう」

「そ、その……」


 考える必要などない。あれほど焦がれた王が、褒美をくれると言うのだ。これを逃したら、もう二度と機会はないかもしれない。

 王は自分を愛しているわけではない。けれど、性行為に愛など不要だ。ただ、この王に一時でも自分を刻めるのであれば、それだけでもう、死んでもいい──

 そのはずなのに、なぜ、声が出ないのだろう。


「あ、あの……その……」

「ん?」

「………………くちづけ、を……」


 ああ、本当に生娘のよう。かの王の、唇だけでいいだなんて。

 でも、それ以上はなんだか非現実的過ぎた。よく考えられない。ただ、その薄紅色の唇に触れてみたかった。

 王は目を丸くして、それから柔らかく笑った。


「……本当に、お前はよくわからんヤツだな」


 そのまま、ゆっくりと唇を重ねられた。一瞬で離れたそれは、わずかに王の吐息が感じられて、柔らかかったような気がする。


「……まおう、さま……」


 思わず呼んだ声も擦れて、小さな音しか出てこない。話すこと、歌うことについては一流だという自負があったが、そんなものはどこかへ吹き飛んでしまった。幸福感に瞳が潤んで、頬が熱くなっていく。


「……なんだ……その……」

「は、はい……」

「……そのようにされると、こちらも照れ臭くなるものだな」


 王は苦笑して、身を起こした。さらりと黒髪をかき上げて、娘の体も腕をひいて起き上がらせる。そうされたことはわかるのだが、頭が回らない。目の前が真っ白になって、夢のなかにいる心地がする。


「……もうわたし、一生唇を洗いません……」

「洗え。不潔だ。……必要ならしてほしいと言ってこい。気が向いたらしてやる」


 まずい、奇跡の連続で意識も遠のいてきた。これは本当に現実なのだろうか。どこかの町で野垂れ死ぬ直前に視る妄想ではないのだろうか。


「ふむ。……このままお前を手放すのは少々惜しい気がするが……別に急ぐこともないか。急ぎの用事があるようだしな」

「……ようじ……?」

「──宵闇、用があるから扉の外で待っているのだろう? 入っていいから要件を言え」


 分厚い扉の向こう側から、わずかに身じろぎした気配があった。


「じゅ、従者さま……?」

「その……こちらにいらっしゃるとは思わず! てっきり寝室の方かと! 書類をお持ちしましたが、明日の朝出直します!」


 従者が直立不動になって叫ぶ姿がありありと見えた。気を使わせたらしい。なんだか少し気まずい。


「ふむ。……お前も混ざるか?」

「!!!!!! 不要です!!!!!」


 城中に聞こえそうな大声の後、ばたばたと騒々しい足音と一緒に気配が遠のいていく。


「ま、魔王さま。従者さまは純情なのですから、あまりからかわれては……」

「いや、お前たち仲が良いから」

「そんな理由で⁈」

「いい案だと思ったのだが……」


 やや落ち込んでいるように見える。どうやら、純粋に善意からの誘いだったらしい。さすが神代から生きる魔王。倫理観がずれている。自分だってそのあたりは大きなことは言えないが。


「さて、ではそろそろ私は休む。付いてくるか?」


 その言葉は、明確にからかっていた。来れるわけがないだろう、ということだ。行きたいのは山々だったが。


「……立てません」

「?」

「……腰が抜けました」

「ふっ……」


 魔王が口元を押さえて、体を震わせている。声を殺して笑っていた。


「あ、あんな児戯のような接吻で……? お前、本当に生娘だったんだな……!」

「き、生娘生娘と連呼するのはおやめください!


 ──ほんとうにお慕いする方と触れ合うことがこれまでなかっただけです!」


 羞恥のあまり、大声を出してしまったように思う。魔王がそれに驚くとは思えないが、一瞬、動きを止めた。


「ま、魔王さま……?」

「……ふむ。悪くないな」


 王は愉快そうにそう言って、娘の体を手ずから抱き上げた。


「あ、あの?」

「安心しろ。お前の寝所に連れて行くだけだ。……お前が我が寝所に来るには、もう少し時間がかかりそうだからな」


 そう言って、今度は額に口付けられた。


「〜〜〜〜〜〜!」

「いつも余裕ぶっているお前でもそんな顔をするのだな。これは面白い。しばらくは退屈しなさそうだ」


 王は随分機嫌が良さそうだった。今更だが、もしかするとこの王も戦の終わりが見えて気分が高揚しているのかもしれない。そんなことを頭の片隅では思ったが、正直、まともな思考を拾えるほどの冷静さが残っていなかった。


「……ッ当たり前です! 明日から人間たちとの協議がはじまるのです。国内の復興も、人間の捕虜の件も、今年の農作物の生産量についても、全部全部これからです! 気軽に農家に遊びに行けると思わないでくださいね!」


 耳元で反論すると、王が急にすねたような表情をする。


「……従者が2人になった……」

「わたしは従者さまより厳しいですよ!」

「お前のつくった食事を食べる時間はほしいものだ」

「それは……従者さまに、よくお願いしておきますね」

「宵闇よりはお前の方が扱いやすそうだ」

「……もう……」


 扱いやすいなど、そんなこと、言われたことがなかった。そんなことを言うのは、きっとこの世でこの王だけだ。

 王の首筋に腕を回すと、王がゆったりと歩き出した。


「魔王さま。明日はなにが食べたいですか?」

「朝食はいつものものがいい。昼は豚を。夜は……」


 他愛もない話が廊下にこだまするのを、城に勤める魔族たちは、ただ黙って聞いていた。



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