12
翌朝。魔王は予定より早く目を覚ましたので、自身で身支度をした。娘は今日来るだろうか。来ないならそれはそれで面白い気がする。
昨晩に引き続いて上機嫌で執務室に向かうと、そこには予告通り、従者である宵闇がいた。
「おはようございます、我が君」
「ああ、良い朝だな」
鷹揚に頷いて、そのまま執務机に座す。従者が持ってきた書類は、昨晩娘と話した魔族軍の候補者リストだった。
「しごとが早いな。ようやく戦に一区切りがついたのだ。一晩くらいゆっくりすればよかったろうに」
「いえ。むしろこれからやるべきことが多くありますので」
「あの娘と同じことを言う」
娘の話題を出した途端、従者の動きが止まる。それは一瞬のことだったが、とにかく一瞬、不自然に固まった。
「ああ、お前の配慮だったのだろうが、昨日は別にあの娘に手を出してはいないぞ」
「…………………………はい。いいえ、私はなにも」
従者の顔面が、無表情を装っていた。思い切り気にしている。そんなに気になるなら、なぜこちらに送るようなまねをしたのか?
「お前、あの娘を気に入っているのだろうに。こう見えても、私は部下に女を恵んでもらうほど困ってはいないんだが」
「御身であれば、どんな者でも思いのままでしょう」
「そうだ。だから別に、あの娘をそういう意味で手元に置こうと決めたわけではない。
あれは忠臣だ。魔族でも、あれだけ思い込みが激しいやつはそうはおらん。それに応えるのが王だと思うから、望み通り手元に置くことにした」
その言葉に、嘘偽りはない。
己の身は、神代より続く神にもっとも近い似姿。故に、ごまかしや嘘偽りを言う必要がなかった。
「……まあ。やや、いやだいぶ変な娘だし、面白がったのは間違いないが」
「そうでしょうとも」
従者は同意して、それから観念したように、浅くため息を吐き出した。
「……別に、構いません。あの娘は、最初から我が君の名を呼んでおりましたから」
──戦下手な魔王さま。……わたしは、あなたのお役に立ちたいのです。
従者は、微笑を浮かべた。苦いものを飲み込んで、なお笑おうとしているようだった。
「あれは……そういう、娘なのです」
「……そうか」
従者がどういった過程でそう思うに至ったかはわからない。踏ん切りがついているのか、それとも永遠に胸の内に抱えるのか、それさえもわからないが、それは本人だけがわかっていればいいことだろう。
「……それで、お前あの娘とどんな謀ごとを企てていたのだ? 一応、人間たちと話す前に教えておいてくれ。別に知っていたところで、お前たちに任せることには変わらんが」
「それは、もちろん……」
従者が言いかけたところで、ばん! と騒々しく扉が開いた。娘の黄金色の髪が薄暗い照明にきらめいている。翡翠の瞳は涙目だ。
「ま、魔王さま……! ひどいです! 毎朝お髪を梳くのを楽しみにしていたのに、おひとりで支度されてしまうなんて……!」
「なら、やはり私の寝所にいるべきだったな。同じ寝屋なら私手ずから起こしてやったものを」
「ひぇ⁈」
朝から白磁の肌を真っ赤に染め上げる姿に、思わず吹き出す。鮮やかな唇が、ぐぬぬと悔しそうに歪んだ。
「そ、そんな冗談ばかり言っていると、後が怖いのですからね⁈」
「はっはっは。どう怖いというのだ、お前のような人間の生娘にできることなど」
「──そうですね。今から騎士さまに2、3策を授けて、地下帝国を征服するとか、どうでしょう?」
かつて地上で見た大輪の百合のようにしとやかに笑って、娘は脅迫してきた。従者が顔面蒼白になる。
「もちろん、魔王さまや魔族の皆さんを傷つけることはありませんよ? なので、やれることは限られてしまいます。だから、2、3しか取れる手段がないのですが……」
ちらり、と再び従者を見ると、激しく首を横に振った。
どうもこの娘、やる気になればそんなこともできるらしい。
どんな策なのか見てみたいような気もするが……後始末をするのは部下たちなので、おとなしく娘の機嫌を取ることにする。
「……そうか。そうなると、もうお前の食事は食べられないのだろうな……」
「もう! 冗談ですよ♡ 魔王さま♡」
──チョロい。大丈夫なのかこの娘の脳みそは。
そして、こんな娘にしてやられる地下帝国も人間の国も、本当に大丈夫なのだろうか。
まあ、世界は案外いい加減にできているものだ。つくった神がいい加減なのだから、それも仕方がない。
「さて、ではお前は調理場で朝食の支度でもしていろ。私と従者は、しごとを片付けて向かう」
「かしこまりました」
「それから、お前は今日やって来るとかいう人間の案内もしてやれ。魔族だとうっかり殺しかねんからな」
「はい、承りました」
淀みなく応える娘に、改めて視線を向ける。金の髪に翡翠の瞳、魔族や神のように整った造作、小さな体。ただの、人間の娘。
「お前、そのままでいいのか?」
「──はい! これ以上はございません!」
「……そうか」
地下帝国のなかにあって、太陽のように笑う娘の姿に、知らず笑みを浮かべた。
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娘が従者とともに朝食を終えた頃合いで、ソスランと従卒、そのほか人間数名が魔王城にやって来た。
この会談は、もちろん人間の王には内密だ。もっとも、王の間者がいたとしても連絡までには数カ月かかるだろう。魔族であれば、その前に間者たちを抹殺することができる。
娘が王の執務室へ案内する途中、ソスランは廊下から外の景色を眺めていた。娘もその景色に視線をやる。
陽光の差さない暗い天井、遠景は薄ぼんやりと光る苔に彩られた岩壁しか見えず、大地は赤茶け、緑は冥道に通じる森にしかない。人間の世界の城になら当然備わっている庭園は、魔王の配下によって農地となっていた。
「……城が美しいからこそ、殺風景さが目立つな」
「観光気分ですか。いいご身分ですね」
「地下帝国というのは、寂しい場所だな。空もなく、青々とした木々も鮮やかな花畑もない」
『黄金生み出す地下帝国』。魔族が住まう土地。人間の世界の下の階層にある場所。そこは楽園ではないが、大地が静かに時を重ねていくための、静謐な場所のはずだった。
『黄金生み出す』という言葉の通り、そこには金銀財宝が眠っていると伝えられる。実際は深い地層から発見される鉱物資源の宝庫だ。
「黄金──価値あるもの。だがまあ、今の人間にとって価値あるものは、ここにはなさそうだな。ここの資源は、我々には過ぎたるものだ。手に負えんよ。もうしばらく、魔王に管理してもらうのがいい」
「同感ですね」
だが、娘はふと考えることがある。
もしももっと人間が理性と知性を獲得した時。この地下資源を利用することになる日が来たら……その時、王はどうなるのだろう。王に従う魔族たちは、一体どこへ行くことになるのだろう。
自分が生きているうちに起こるとは、思えないけれど。
「それで、魔王さまの本日のご機嫌は?」
騎士のありきたりな問いに、娘も淀みなく応える。
「大変麗しくていらっしゃいますよ。昨日の晩は大層ご機嫌で……」
そこまで言って、娘は頬を赤らめた。唇に奇跡の感触が残っている気がする。一生大事にしたい。一瞬挙動不審になった娘に、騎士は気が付かなかったようだ。顎に手をやり、何度か頷く。
「ふむ。ご機嫌であれば、もう一度お前を返せと交渉してみるかな」
「帰りませんったら。いつになくしつこいですね」
騎士を睨みつけると、全身を包帯で巻かれているもののぴんぴんしている若騎士がくすりと笑った。
「司令官どのは、黄金さまがこんな殺風景な場所で一生を終えられるのを不憫に思われているんですよ」
「そんなことは考えとらん」
若騎士を睨みつける騎士は、苦い表情を浮かべていた。娘は、若騎士の能天気さに大きくため息を吐き出す。
「それでは長生きできませんよ、若騎士さま。この方はわたしを連れ去るために、あなたやほかの兵士たちに死ねと命じたのです。もっと怒って、具体的にはこの男を半殺しくらいにしてもよかったのです」
「おい」
「黄金さま、私は騎士です。ですから、主人と信じた方の命に殉じるのは誉です」
きらきらとした純粋な瞳に、娘はやや引いた表情をした。
「……洗脳の魔術とか使っていませんよね?」
「もとからこういうヤツなんだ。知ってはいたが、俺も少し引いてる」
「しかし、黄金さまがあの場所にやって来ると、司令官どのはどうして思ったのですか? ほとんど決め打ちであそこに陣を張られていましたが」
そこで娘は、口元をへの字に曲げた。それは、娘の行動が完全に読まれていた、ということだった。睨みつけるような視線を向けると、中年騎士は軽く肩をすくめる。
「さてな。ただ……コイツはあそこへ必ず来ると思っただけだ。戦場を読む時、この娘は地形を必ず確認したからな」
騎士に楽しげな瞳を向けられて、娘は鼻白んだ。
「ずいぶん、悪巧みがお上手になりましたね。わたしは必要ないのでは?」
「おお、お前にそんなことを言われるとは、こりゃあ死んだら地獄行きだな」
「やめてください。死んでからもお付き合いなんてごめんです」
「違いない」
騎士が笑うのを、若騎士が不思議そうに見つめている。
「……お2人とも、素直じゃないというか、捻くれているというか……」
その声を、騎士も娘も聞かなかったことにした。
そんなふうに雑談しながら進み、人間たちは王の執務室の前に到着する。
「魔王さま。『望みの国』遠征軍司令官・ソスランさまとご一行が御面会です」
「──入れ」
声は従者のものだ。娘は恭しく扉を開ける。謁見室には、威厳をたたえたぬばたまの黒の王が座していた。そばには月光を宿した美貌の魔人の王が控えている。
「私は魔王。神から任されたこの大地の主人。人間よ、昨日の約定、違えれば地上もろとも吹き飛ばす。覚悟して臨めよ」
第一部終了です。執筆期間をあけて、第二部を用意します。少しの間お待ちください!




