10.最優の狩人/blue
アダン・シュヴァリエは正しく最優だった。兄弟の中でもずば抜けて頭が良かったし、剣の上達も早かった。騎士の登用の年齢制限がなければ兄であるジャンよりも早く近衛騎士に昇格し、その頭角を示していただろうとは彼を知る人間は口を揃えて言う。シュヴァリエ家は今後百年はこの奇跡に恵まれないだろうとさえ言わしめたほどである。
ミーネが庶民の憧れならアダンは貴賤問わない夢だった。誰もが知っている名家の神童。
──彼も人間であることは、本人すら知らず忘れ去られたままで。
「遅くなった」
「待ってた」
執務室からだんだん駆け足になったアダンを、すっかり人がいなくなった練習場で律儀にミーネは待っていた。練習用の剣と斧を両手に持って振っているのを見て、その二刀流は流石に難しいんじゃないのかと笑う。
「実践には向かないね。重心が違う」
「出来たとしてもミーネの良いところ全部潰すだろ」
「確かに」
誰にも負けない機動力。豪快でありながら繊細な剣捌き。剣が不向きだったわけではないが槍斧に獲物を変えてから目の前の相棒は飛躍的に進化を遂げた──まるで女鹿に角が生えたような軽やかさで。
はい、と手渡された練習用の剣は刃が潰されていてのっぺりとしている。どちらかといえば剣の形をした鉄板だ。夕闇に沈む鉄板の上にきらきらと少しほつれたミーネの髪が落ちて輝いた。その輝きが不意に胸をついてアダンは思わず下唇に力を込める。
「アダン?」
「……なんでもない。はじめようか」
♢
剣同士ならまだしも片方が斧となると、剣戟の音はいやでも重くなる。彼女が愛用している細身の槍斧はともかく、訓練用ともなればそれなりの重量を持つはずなのにミーネは軽々と使いこなしてアダンと剣を交えていた。剣戟を受け流す度に金属の響きが腕に伝わって、体の芯に力を込めてひっくり返らないように踏み留まる。槍斧を振り上げるタイミングで鋭く突きを差し込めばかこん、と下から跳ね上がってきた柄に弾き飛ばされた。その勢いのまま剣を振り切って後ろ手に持ち替えるとアダンは再度斬りかかる。
呼吸のような手合わせだ。既に互いに手札は知り尽くしていて、どう相手の裏をかくかを読みあうカードゲームと化している。微かな仕草や視線の動きで相手が次何をしようとしているかが分かってしまう。季節を二つ過ぎた今でもそれが変わらないのを実感してアダンは胸が熱くなった。
人一倍痩せっぽちだった相棒はそれでも人一倍諦めが悪かった。神童と呼ばれるアダンと稽古をしてはあんなの勝てないよ、と諦める仲間たちが多い中で何度転ばされても、力が入らず剣が握れなくなっても追いすがってきた。誰よりも訓練に熱心で、掌の肉刺が潰れて血まみれになっても剣を握ることをやめなかった。元々痩せっぽちだったからなのか、それとも性差による成長差なのか、なかなかミーネは芽が出ず落ちこぼれだと噂され笑われていたことだってある。
そんな彼女が突然花開いたのをアダンは今も覚えている。大きな森の木の葉と水の囁きの中で、大討伐の折に「なんとなく」で誰よりも早く討伐対象を発見し駆除して褒章を得た。今よりも短く細かった三つ編みが輝く様をアダンは一生忘れない。
一方で自分はいつだって彼女に追われる側だったし教える側だった。努力をしていないわけではないしアダンだって手の皮がむけたこともあるけれど、転がされても転がされても食いついていく胆力を子供のころから持てていたかと問われると頷けない。少なくとも当時の隊長にこてんぱんにされた時は二日くらい不機嫌だったし練習に行くのも嫌になった。ミーネがいたから自分は毎日飽きずに剣を振って、何度もいろんな相手に手合わせを願って、ついに隊長から一本取ってやったのだ。
ミーネがいなかったら、自分は今ここにいない。ミーネがいなかったら、いなかったから、アダンは、
──寂しくて自分の気持ちも分からなくなったのだ。
槍斧を振るっていたミーネがはっとしたように目を丸くする。視界の端が滲んで歪んでいくのが分かって、アダンは息を詰めて、けれど堪えきれずに息を吐いた。それでも剣を振るう腕を止めない。自分の手札を出し切るまで止まれない。それを察したのかきゅっとミーネがまた顔を引き締めて槍斧を握りなおすのが見えた。金属が打ち鳴らす相槌も、口笛のように押し出される呼吸もずっと足りなかったものだった。
右、左、上から来る刃を受け流して振り下ろされた斧の柄を踏む。ヒュ、と飛んできた回し蹴りを剣のひらで受け止めると勢いよく斧を抜かれて体勢を崩す。体が崩れ落ちるままに身を伏せれば頭上をびゅんと斧が通り過ぎていった。最後にがち、と刃を強く合わせて互いに動きを止める。息が上がったまましばらく見つめ合って、遅れて噴き出てきた汗に額を拭った。
「──アダ、」
「寂しかった」
だらりと剣を持った腕が落ちる。おろおろと伸ばされたミーネの手を掴んで自分の心臓に押し当てる。二、三歩彼女に近づくとほんの少し寄りかかるには低いミーネの肩に頭を押し付けた。髪の香油の匂いがする。
死に場所はミーネで帰る場所はヴィオレッタ。嘘じゃない。ミーネに「恋」はしていない。ヴィオレッタを「愛」していた。それでも。
「寂しかったんだ、ミーネ。俺は、寂しかった。お前を忘れていたのも、お前と離れてるのも、お前が他の奴と組んでるのも寂しかった。……ずっと隣にいて欲しかった」
結局のところ自分が誰を愛しているのか分からないし、愛とはどういうものかも分からない。これはただの執着かもしれないし盲執かも知れないけれどこの寂寞が世界で唯一、ミーネだけに抱く感情なのは分かる。
──その首をシュヴァリエの名前で縛って繋げておきたいくらいには、ミーネがいないと寂しい。
は、と彼女が息を呑む音がした。
この男が難しすぎてわからない。
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