10.天才魔術師と令嬢と監視
地下から出る頃には既に陽は高く登っていた。抜けるような青空と春を思わせる柔らかな日差しに思わず目を細める。アダンと共に騎士団の執務室に向かいながらシランは廊下を歩いていた。
「で、次の手ってなんだ?」
「ちょっと考えていることがあって……前にミーネ様が、」
「アダン?」
不意に澄んだ声が響き渡る。並んだシランとアダンの間を裂くようにその声は割り込んで、二人の思考を攫っていく。それだけ甘く美しい声だった。振り向けば先日見た黒髪の女性が立っていて、声をかけたのを自分でも驚いたように口元を押さえている。渦中の令嬢、ヴィオレッタ・リーズがそこにいた。
「……ヴィオラ」
「ごめんなさい、貴方の姿が見えたから……つい……。お仕事の邪魔だったかしら」
「いや、……問題ない。な、シラン」
同意を求めるように投げられたアダンの視線にシランは頷いて、ヴィオレッタに向き直る。気の強そうな吊り目や顔立ちの割に物静かで内向的に見られる態度。ちぐはぐな印象は庇護欲をそそるものなのだろう。
運がいい。彼女についても調べたかったところだった。正確には彼女にまとわりついている魔術を、である。
「はい、城の騎士団の……執務室への行き方を聞いていただけなので。初めまして、ル・ティーヴァのシラン・アヴァです」
「お初にお目にかかります、シラン様。私はヴィオレッタ・リーズと申します。……その、」
「ヴィオラは俺の幼馴染でリーズ卿の娘なんだ。勉強熱心で頭もいい。今日も図書館に用か?」
「えぇ、リーズ領を継ぐために欠けているものがあっては困りますから。……父は……あまりいい顔をしませんが……」
そう悲しげに呟いて、そっとヴィオレッタが目を伏せる。その肩に慰めるように手を置いて大丈夫か、と囁くアダンにシランは冷めた目で見ていた。なんとなく、なんとなくであるがヴィオレッタからはアダンに対する好意が窺える。一方でアダンは完全に親しい友人、下心も何もない態度である。これではヴィオレッタ嬢が可哀想だとあとで忠告でもしてやろうと思った。愛称呼びといい、そういう行為といい、勘違いを助長させかねないのではないだろうか。
「……お父様とはあまりうまく行ってないんですか?」
「え?えぇ……。うまく行っていないと言うか、価値観が合わない、というか、」
「というと?」
「……今、お噂になっている騎士様がいらっしゃるでしょう?私、彼女のことを尊敬しておりますの。だってお生まれに恵まれたわけではないのに、努力で副団長まで上り詰めて……憧れですわ。私も同じように、とまでは行きませんが頑張りたくて。……でも……」
「……リーズ卿は頭が固いところがあるからなぁ。令嬢ってだけで道具扱いしてる節がある。俺もまぁ、似たようなものだけど」
「アダン様も道具なんです?」
「家督を継がないからどっかに婿入りしろって言われてるよ。しばらく騎士を辞めるつもりはないけどな」
しゅんと肩を落とすヴィオレッタを慰めながら、アダンが肩をすくめてみせる。なるほど、とシランは頷いた。貴族社会というのもそう簡単ではないらしい。個人主義な魔術師と違って彼らは家の形を存続させるのに躍起なのだろう。
ふと思いついてシランはヴィオレッタに歩み寄る。紫がかった黒髪と共に煌めく緑色の瞳がぱちり、不思議そうに煌めく。
「……あ、そうだ。ヴィオレッタ様、肩にゴミが──」
そうして何気なくヴィオレッタの肩に手を伸ばした瞬間だった。
──バチィン!!
閃光が炸裂して指先がひりつく。悲鳴を上げたヴィオレッタを咄嗟に支えてアダンが自分を呼ぶのが聞こえる。パリパリと指先に残る痺れがやがて黒く色を浮かび上がらせて、指先を蝕むのをシランは無表情で消し去った。ころん、と手のひらの中に黒く丸い石が転がり落ちる。
「シラン!!」
「大丈夫です。……ヴィオレッタ様、お父様は魔術師と付き合いが?」
「え?……ええ、と、分かりませんが、少し前から眼鏡の女性が領地の……別邸に出入りを……」
「ふぅん」
「あ、あの、今何が……!魔術師様、お怪我はありませんか?!指が……!」
「この程度いくらでも防げるのでご安心を。……お父様って慎重なんですね、貴方に監視の魔術をかけさせるくらいには」
真っ青になったヴィオレッタにシランが安心させるように微笑むと、彼女ははっと息を呑んだ。口を押さえて、そんな、お父様がと繰り返している。アダンはそれを厳しい顔で見つめて──次いでシランに視線をやった。それに頷いて石を握り込むとシランはヴィオレッタに向き直る。
「監視は今解いたので大丈夫ですよ。……でも、ヴィオレッタ様、騎士様の事件を知ってるなら聞いていると思います。……この事件には魔術師が関わっている。貴方のお父様は騎士様を害そうとした側かもしれない」
頬を覆ってその場にへたり込んだヴィオレッタの震えは止まらない。直接の表現は避けたもののこれ以上ここで話すのは無理だろう──さっきの閃光と悲鳴で人も集まり始めている。
「……アダン様」
「ああ。立てるか、ヴィオレッタ。場所を移そう──君の力を貸して欲しい」
震える肩がそおとアダンを見上げて頷いた。厳しい顔でシランはそれを見つめ続けていた。
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