9.天才魔術師と香油と霊廟
「ミーネ様の髪、行方不明になられている間にすっかり傷んでしまっていて……見逃せないもの!こんなにも美しい髪ですもの!ミーネ様ご自身も一生懸命手入れされていたし!」
「だからね、薬室にも相談したの。そしたら髪にいいっていう薬草を色々混ぜてくれて薬を作ってくれて。そっちの薬は塗ったのだけど更に香油を塗ってあげるといいって」
「だから私達でおすすめを持ち寄ったのだけどどれもしっくりこなくって……魔術師様はどれがいいと思う?」
「……えぇ、心の底からどうでもいい……っていうか髪の手入れ熱心だったんですねこの人」
あれよあれよという間にメイド達の輪に引き摺り込まれたシランを待っていたのはそんな熱気に満ちた話だった。ミーネが髪の手入れに熱心だったのは正直意外である。けれど確かに出会った時の髪は冬の夜明けに美しく輝いて、泥の中でも一層眩しく光って見えた……ような気がした。言われてみればなるほど、ベッドに横たわる彼女の髪は艶と色をなくしている気がする。
「熱心だったわよ!鍛錬に明け暮れてお忙しい方だったけど、髪だけは大切にしてらして」
「願掛けって言ってたかしら。詳しく理由は聞いてなかったけど、よく私達にも相談しにきたもの。髪を綺麗に保つにはどうしたらいいかって。その時の様子もちょっと照れくさそうで普段の凛々しさとは打って変わって可愛いったら!」
「広場でたまに市が立つたびに色々試しに買ってくるの。私はこの香りのミーネ様が好きだったわぁ……」
「私はこっちの方が好き。いつもエキゾチックなんだけどこれの時は甘くって、新たな一面見たり!って気持ちで」
「情報量と個人の我がすごい」
はいはいと片手間に聞き流しながらシランはミーネの足に魔術をかける。昨日と変化はない。相変わらず包帯に包まれた足では怪我の様子も治療の様子も垣間見ることはできない。それでも治療を始めてまだ数日だ──焦ることもないだろうと深呼吸をした。
「……じゃあ僕は用が済んだのでこれで!」
「えー!じゃあ魔術師様、」
「……僕の好みはその香油ですね!爽やかでミーネ様らしいと思います!では!」
引き止めようとする腕を掻い潜り言い捨てる。背後でわっと盛り上がったベッドに振り向きもせず、シランは医務室を立ち去った。
♢
「悪いな、朝早くに」
「いえ。こちらこそこんなに早く対応してもらってありがとうございます」
そんな一幕から数日後の早朝、シランはエドとアダンに続いて暗い地下道を歩いていた。国王から許可が出た、だがなるべく早く済ませて欲しい。そうまだ夜が明けきらぬうちから叩き起こされたシランとしては少し睡眠不足を感じるが、それでも泉から魔力を分けてもらえるのはありがたい。これできっとシキミと遭遇した時も、ル・ティーヴァでのような大立ち回りが出来るだろう。
ランプを片手に地下道を進む。ふと気になったのは壁に刻まれた人の名前と、ごろごろと転がった古い墓石だった。苔がむしてくず折れた墓石にはオルヴェンの国章が刻まれて、中には墓標代わりなのか朽ちた剣も突き立てられていた。それが何を示しているのかシランには分かる。分かってしまう。
「……僕をここに入れるのに躊躇したのは、戦争の記憶が残ってるからですか」
「……そうだな。ル・ティーヴァとオルヴェンの戦争の記憶だ。そして、」
ふとエドが足を止める。響く足音が止んで、水音に気づく。さあさあと流れる水と、澄み切った青い匂い。突き当たりの霊廟はこまめに手入れされているらしく苔の一つも生えていなかった──剣を掲げた少年の銅像と、彼の前に聳え立つ丸い噴水が沈黙に静謐な色を与えていた。
「……オルヴェンの少年王の墓、ですね。誰よりも多くル・ティーヴァの魔術を打ち破った槍の英雄」
「あぁ。ここに眠る彼の魂と泉を守ることが我々の役目でな。……さて、君の言っていた泉はこれだ──水を汚さないというのなら許可はする。何をするつもりかな?」
「宝石を少し浸すだけです。……竜脈から力をもらえれば屑宝石一つでも威力はだいぶ強くなりますから」
「……そばでアダンが監視するのは?」
「もちろんどうぞ」
頷けばエドがアダンに視線をやって道を開けた。シランが歩きながらポケットから小袋を取り出して掌に山と盛ると、その手をそっと泉につける。その瞬間、泉が淡く輝いて手の中の宝石が光り出した。ぱちぱち、ピリピリと刺激が肌を刺して鳥肌が立つ。背後でエドとアダンが息を呑むのが聞こえた。
魔力が大量に込められた宝石を本来は妖精石と呼ぶ。魔力を使い切った石は脆くなるが、再び魔力を充填すれば元の輝きと硬度を取り戻して燦然と輝き出す。ル・ティーヴァでは魔力を充填するなんて作業をしたことがなかった──する必要がなかったとも言えるけれど。あちらこちらに巡らされた竜脈が常に魔力を漂わせて、使えば使った分充填を繰り返していたからだ。ル・ティーヴァを出るまでこんなこと考えもしなかったなとシランは思う。
そうしてやっと光が収まった頃、シランは泉から手を出した。手の中の屑宝石は今や燦然と輝いている。
「もういいのか?」
「はい、おかげさまで。これで次の手に移れそうです」
エドの言葉にシランは力強く頷いた。
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