20.よあけをまつ
視界が金色に染まっている。
陽光に乱反射する小川の色。豊かに実った小麦畑。編み込まれた金色の髪。異国から運ばれた小瓶の香油。連想するのはそんなモノ。
耳鳴りがして、頭が痛い。視界中で輝く金色が瞳を刺す。上下左右どこを見ているかわからないほどの輝きに、今自分が目を覚ましているのか閉じているのかすら分からない。
不意に、懐かしい声を聞いた。
──ねぇ、ミーネ。これは絶対、内緒よ。
──誰にも内緒、これは貴方を守るため。ママからのとっておきの贈り物。
暖かな声と暖かな光だった。ありがとう、と彼女は涙を流す。
暗闇が取り払われた世界で、そうしてやっとミーネは目を開けた。
♢
ここは確か、王城の医務室だった気がする。
遠い天井を見上げながら、怠い体をどうにか動かそうとしたが鉛のように重かった。それでもどうにか体を起こす。ガラス窓を雨が流れて、いく筋もの線を作っていた。遠くから騎士団の稽古の声が聞こえてくる。
不意にパリンと何か割れる音がして、ミーネは振り向いた。
「……騎士様?」
呆然とした顔で、ぶかぶかの騎士服を着たシランが立っている。落とした水差しがどんどん彼の靴を濡らしていくがいいのだろうか。声を出そうにも喉がカサカサで出る気配がない。シラン、と掠れ声で呼びかけた時だった。
くしゃくしゃになった顔でどん、と小さな体がぶつかってくる。ぎゅうと抱きしめて、離さないでいる。騎士様、と涙に濡れた声がした。
「……、し、らん、」
「起きた……!良かった……!あんた二ヶ月もずっと眠ってて、こ、このまま起きなかったら、僕どうしようって…!!」
「し、」
「い、いきなり倒れるし!足から血はダラダラ流れてくるし!足の皮は剥けたし!頭の傷は残るって言うし…!」
「ごめん」
「起きて、良かった……!!」
しがみついて泣くシランの様は年相応の子供らしさで溢れていて、ぎこちなく動く手でその頭を撫でてやる。ああ、きっとこの旅路はこの子には大冒険だった。最後の最後で倒れた時は生きた心地がしなかっただろう。
シランの泣き声を聞いた医官とメイド達がわらわらと集まってきてだんだん騒ぎになってきた。顔見知りのメイドは大喜びするしある者は騎士団に報告するとすっ飛んで行った。医官が診察をするからとシランを始め人々を追い出そうとするが目覚めた噂を聞きつけた者が次々と医務室に集まるものだから収拾がつかない。医官が怒りを爆発させて全員を締め出すまで人数は膨れ上がり続けた。
曰く。シランの言うとおりあれからミーネは二ヶ月眠り続けていたらしい。両足の傷は菌が入って腫れてぱんぱんになっていたし、化膿してものすごい匂いだったそうだ。頭の傷は痕が残るらしい。皮が剥けた足はまだ修復中で歩くのは控えた方がいいと言われた。どこもかしこも限界を超えて酷使し続けたせいでぼろぼろで、一時は騎士に復帰できるか怪しかったらしい。シランの治癒魔術がなかったら両足を切り落としていたかもしれないと聞いてミーネはぞっとした。
聞けばシランは毎日通って治癒魔術をかけてくれていたらしい。それはミーネ自身の治癒力を高めるとか、消毒するとか、あくまでミーネが持っている体の回復機能を補助するものだった。魔術師と騎士、ル・ティーヴァとオルヴェンを意識するシランらしい線の引き方だと思う。そうしている間に短い春が終わって、雨季の最中に目を覚ましたのだ。
「で、復帰はできそうなのか?」
「医師からは下半身はまだ治療が必要ですが上半身ならと」
「そりゃ助かる。お前が帰ってきてからアダンがうるさくて仕方ないんだ。早く一緒に仕事がしたいとよ」
「光栄です。……殿下、一つ伺っても?」
診察を終えた医師と入れ替わりに入ってきたのはエドワルドだった。今日は王弟としての執務をこなしていたらしい、侍従を医務室の外に待たせてこうして話をしている。目元の皺は相変わらず深い。やはり相当忙しいのだろう──腕は動かせるから騎士団関係の仕事は早く回せるようにならなければならないと思った。
「あー、鍵のアレか?」
「……どのアレかわかりませんがおそらくそのアレです。殿下は……私の真名を知っていたと?」
「知らん。俺は預かってただけだよ、経緯も理由も知らんがな」
「……」
「けど、お前が帰ってきてここにいる。それで今は十分だとそう思わないか?」
そう穏やかに王弟は笑う。すっかり暗くなった外で、雨は静かに上がっていた。
♢
──王城、星見塔にて。
幾重に包帯と布を巻きつけたとしても、足裏に響く鈍痛は掻き消せぬ。ふうふうと息を荒げながらミーネは屋上を目指していた。寝静まった夜に星が見たいなと抜け出した結果、空が白み始めている。ここまで移動が困難だとは思わなかった。
やっとのことで屋上まで辿り着く。白んだ空はもうほとんど星を残していなくって、オレンジに縁取られた山際が眩しかった。
「来ると思った。お前はじっとしてないよな、ミーネ」
「大人しくしてる騎士様とか想像つきませんからね…」
「!……アダン、シラン」
屋上にいた思わぬ先客に、思わずミーネは目を丸くする。こちらに近づいてきたアダンがひょいとおぶって、シランの方に連れていく。知らない間にずいぶん仲良くなったらしい、空の瓶やおつまみが入っていただろう皿がそこに残されていた。ちらりと見たシランの手は綺麗に治っていて、ミーネは密かに安堵した。
「せっかくだから夜明けを見ていこうって話になってさ。お前も見ていけよ」
「終わったら医務室まで送り届けます。アダンさんが」
「俺かよ」
「わかった」
なんとアダンとシランが戯れあっている。そんな光景に驚きつつ、頬を照らす光に気づいた。山の間から金色の太陽が登って、国を黄金に染めていく。雨に濡れた城壁も、王都も、国内を流れる大河も、黄金に染め上がってまた色を取り戻していく。ああ、とミーネは目を細めた。この景色のために、帰ってきた。
「……ただいま、アダン、シラン」
「……おかえり」
「僕にもそれでいいんですか?……おかえりなさい」
「うん、ただいま」
鳥の羽ばたきが聞こえる。城が少しずつ活気付いていく。
その白さが鮮やかさを取り戻すまで、星見塔にミーネは佇んでいた。
これは、夜明け前の物語。
未だ暗い夜の先をめがけて駆ける金色を、貴方はきっと思い出す。
これでまもののかどわかしは一旦完結になります!
今回明かされなかった謎や眠っていた間に何が起きたのか等々は次のお話で解明していこうと思います。
無事に完結まで持って行けて安心しています、ありがとうございました!
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