18.きみのなまえ
久々王城視点。
──王都アズヴェル。王城にて。
「あの空白の部屋を調べる?」
「ああ。どうにもこの間から獣の窃盗事件が派手になってきているからな。荒らされる前に手がかりを見つけておこうって魂胆だ」
「それをこんな深夜に無理矢理敢行しなくても……」
既に月も中天に上った深夜である。王城の居住舎の廊下を、エドワルドとアダンは並んで歩いていた。エドワルドの手にはどうにもずっと仕舞われていたらしい鍵が握られている。鍵には何故か革で編まれた小さなポーチがくっついていた。中身は知らない。
「一週間くらい前にガーラの砦が襲われただろ。報告に違和感があった」
「被害女性の事ですね」
「あぁ。なんだあの報告書。おそらく砦に宿を借りたと思われるって。そんな杜撰な管理でもしてるのかと締め上げたくもなる」
「……裏の話を知らなければ」
「ああ」
奇妙な獣。曖昧な表現。泊まったとされる女性の、ヘルゼに向かったらしいが現れなかったという未だ掴めぬ輪郭と足取り。十中八九こちらが探っている事件と関係者だろう。彼女の目撃情報も探るうちに数日経ってしまった。獣は今王都で大暴れしているらしい──もしあの部屋が関係あるのなら、近いうちに獣はこの部屋を襲うだろう。
扉の前に辿り着く。空っぽのプレートにエドワルドは触れた。
「……本当なら、本当にこの部屋が空白なら、このプレートも下がっていない。さっき、それに気づいた」
「……!?」
「ここは騎士の官舎だ。その中でも一等いい……副団長の部屋だ。プレートがかかっていたということは、住んでいたってことだ。ここに住んでいたってことは、」
「……消えているのは、騎士団副団長……」
呆然と呟くアダンを置き去りに、エドワルドは鍵を開けた。行くぞ、とドアを開けて中に踏み込めば、ほんの少し埃っぽい空気と──この部屋の主の匂いだろう、エキゾチックな香油と爽やかな森の香りがした。
壁にかけられたハルバードと、まだほとんど腕を通されていない式典用の礼服。額に入れられて副団長の任命書が飾られているが名前の部分は空白だ。机の上に生前と並ぶ整髪用の小瓶と、それが埋もれるほど積み上げられた法律の問題集。ベッドはきれいに整えられていて──そこに金の長い髪が落ちているのを発見した。
空気を入れ替えようと窓を開ける。開きっぱなしのカーテンが風に揺れた。──まだ、荒らされていない。
「……綺麗だな」
「はい、……」
アダンが椅子に腰掛ける。落ち着かなさそうに目を閉じては開いて、部屋のあちこちを歩いて回る。顔面は蒼白だった。その唇は誰かの名前を呼んでいるようだが音にはならず、動きも無意識のようでそれがまた、悲壮に見えた。バスルームも、クローゼットも、全て情報は得られそうなところは見て回った。それでも何もない。何も見つけることも──
「ここだけは守らないとな。ここは……名も知らぬ仲間の部屋だ、ここだけは──」
不意に部屋が暗くなる。嫌な予感が全身を支配して、アダンは剣を抜いてエドワルドを守るように立ち塞がった。ドン、と黒い何かが窓ガラスに頭突きする。
ああ、来た。来てしまった。二人は瞬時に理解する。この部屋の主が最も色濃く残した痕跡を消し去りに、ついに獣がやってきた。体当たりされる度窓ガラスがビキビキと枝を刻んでいく。頭突きが繰り返される度擦れるガラスの音が増えていく。
アダンが剣を構えた。
そして、ついに、
──バリン!!
突き破られたガラスと一緒に、獣が部屋に降り立った。床に散らばるガラス片がチャリチャリと音を立てて転がっていく。風が吹く。醜悪な匂いがする。ゆらめく体毛が、牙と爪が、この部屋を汚していくのだという妙な直感がある。金色の目がこちらを向いて、オォと獣は雄叫びを上げた。
「──っ、殿下!お下がりください!」
「この部屋から出ろって?!出たら最後だろうが!」
「貴方も接触していたのでしょう?!十分襲われる対象になる!」
「逃げ回ればいいだろうが!──おい、来るぞ!」
獣は一つ雄叫びを上げると一気に二人の方へ突っ込んできた。間一髪、二人が別々の場所へ飛び退いて獣は壁に激突した──動きが止まる数秒にアダンは獣の体に剣を突き立てる。けれど手応えは何もない。霧の中を突いたようだ。
「アダン!」
「この獣剣が効きませんよ?!──おい、ドアを汚すな!!」
見ればしゅうしゅうと音を立てて、扉が黒いモヤに覆われていた。見た目も不快だし何かがされているのももっと不快だ。アダンが再び剣を構え直すと獣はこちらをくるりと向いて──エドワルドの方を見つめた。そしてだっと走り出す。
「殿下!」
「クッ……!」
避ければ隙は生まれるが部屋が汚される。避けなければ──どうなるかわからない。完全に忘れるのか、それだけで済むのだろうか──そんな揺れた考えが、エドワルドの足に根を生やして。
だから気づかなかった。窓の外に人影か現れて、そのまま部屋に飛び込んできたことに。部屋に突然星座が舞って、光が剣に姿を変える。その剣のひらで思い切り獣の鼻を殴って吹き飛ばした。
「あぁ、やっぱり頭は効くんだな」
「あっぶなぁぁ間に合った……!……着いたんで降ろしてくださいよ、騎士様!」
「あぁ」
どうやら一人はおぶさってもう一人が動いていたらしい。しゅるりと拘束を解く音がして背中から少年がぴょんと飛び降りる。その先にいたのは、金髪、の、三つ編みで、背が高くて、青い騎士服を着た──
カチリとアダンの中で音が鳴る。空回った歯車が、足りなかった歯車が目の前に現れて綺麗に嵌め込まれた。ああ、間違いない。この人の名を、今なら自分は思い出せる。無意識になるまで刻んだ名前。共に駆ける片翼の名前。
「……ミーネ?」
金髪の騎士が振り返る。鳶色の瞳が丸くなった。
ついに騎士の名前がーー?!
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