11.にそうめのよろい
流石の騎士も一日中走り回っていれば汗だくにもなる。硬い騎士服を緩めて脱ごうとしたところで、兄弟としてシランと同室になっていたことを思い出した。一応お伺いでも立ててみるかと服を緩めたまま振り返れば、ベッドに寝転んでいたはずのシランはいつのまにか起き上がっていて、かつ真剣な瞳で騎士を見ている。
それはいきなり脱ぎ始めた自分を咎めるとか、振り回された文句を言うとか、そう言う類のものではなくて。まるで何か大きな問題に対峙したような学者めいた色を持つことに気がついた。
「シラン?」
「……騎士様って魔術師の血でも流れてます?」
「……うん?」
生憎心当たりはない。記憶がないから当然だが。少し考えたのちに首を振った女騎士にですよねぇ、なんて言いながらもシランの瞳は鋭く瞬いている。視線が騎士を見て、天井を滑り、床に止まってまた戻る。
「これは朝言うか悩んでたんですけど」
「ああ」
「魔術の効きが微妙に悪いんですよね。呪いの効きも。だから……妨害も進行も当初の想定と外れてる状態なんです。一日様子を見て伝えるか悩んでたんですけど」
「効きが悪い?」
──曰く。今朝シランが呪いの進行を確認した時に変な顔をしたのは、想定よりも遅くなっていたからだった。加えて、自身がかけたはずの進行妨害の魔術も薄まっている。魔術については何度か掛け直す前提でいたものの、それにしては薄まる速度が早すぎる。そして今、妨害魔術はほとんど消えている。それなのに呪いの速度は変わらず遅いままで、シランは元々身を守る魔術を騎士が身につけていたのかもしれないと考えたとのことだった。今の騎士が持つ耐性は魔術師が持つ耐性と似ているところがあるらしい。
「でも、私に魔術がかかっていたなら君は最初に気づくでしょう?」
「そうなんですよね。魔術があれば僕が気づかないはずがないので……じゃあ違うか。あとはオルヴェンの魔女の加護か真名の加護か、ですかね」
「……シラン」
「でもオルヴェンの魔女は個人に加護を授けたりする性格じゃなかったはず……。聞いた話じゃあの魔女は人というより国を優先するはずなので……騎士様がそこまでの偉そうな立場の人間に見えませんし。もしそこまで偉い立場の人だったらオルヴェンももっとパニックになってると思いますし。じゃあ可能性があるとしたら真名の方か……?」
「……」
「でもオルヴェンに真名の文化はなかったはず。魔女が守ってるんだから持ってる意味が無いんですよねー……。ってなるとやっぱり親が魔術師で真名を付けてた?でもそんなことする魔術師なんて存在するわけないし、じゃあ真名の文化を知ってる誰か……そもそも何も考えずに勝手に付けた真名が機能するなんてことは、」
「シラン!」
床を注視していた赤い瞳が我に返ったように瞬く。は、と息を呑んで顔を上げたシランはちょっと罰が悪そうな顔をした。説明してほしい、と目で訴えると頷いて居住まいを正す。女騎士はソファに座るといい加減じっとり湿っていた騎士服を脱いでアンダーウェア姿になる。ついでにブーツも脱いだ。それにシランはちょっと片眉を上げた。
「……真名って文化があるんですよ。オルヴェンにはないんですけど……ル・ティーヴァと、近隣だとラクア……海沿いの国とか。要は本名なんですけど、特に呪いに抜群に効き目があります。呪いって名前を入り口にすることが多いんですけど本名を隠しておけば呪いの侵食を妨げる……正確には呪いとか魔術にはかかるけれど成就は絶対できない、最後の切り札になるわけです。魔術師はいつだって存在の奪い合い、成果の盗み合いですからね。これも奪われないようにする一つの魔術です」
要はアンダーウェアの下に更に革の防具でも仕込むようなものか、といまいち理解の追いつかない頭で考える。魔術師に関する物騒な発言は聞き逃すことにした。
「シランにもあるの?」
「ありますよ、教えませんけど。……で、この真名っていうのはちゃんと意味がある名前じゃないと発動しないし、それなりにそういう力を使いこなせる人じゃないと魔術にもならない。もしあんたの両親、またはどちらかが魔術師ならあんたがそれを持っている可能性は低確率であるわけです」
「低確率の理由は?」
「……魔術師は自分の子供のことなんか顧みませんから。真名はある程度基礎ができたら自分でつけるんですよ」
苦虫を噛み潰したような顔だった。そうか、と相槌だけ打って女騎士は立ち上がる。黙ってシランに近づくとそっと頭を撫でてやった。嫌そうに振り払われるけれど、めげずに隣に座ってそっと背中に触れた。
己に記憶も知識もないけれど、この少年の今までの境遇は分かる気がしたからだ。魔術師というのは非常に互いにドライであること、それは家族であっても例外でないこと、故に孤独であること。それは、きっと、きっと──
むずがる子供のようにシランは手を払い続ける。それはシランが目元を擦って風呂へ入る、と宣言するまで続いたのだった。
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