夏の終わりの溜息の夜9
「もう今じゃ遥か昔の話だけどね、最近みたいに神が人に紛れて生活するんじゃなく、神が神として人と暮らしてた頃があったのよ」
今のような科学技術もなく、人間は集落を作って暮らしていて、毎日の食料のために働いているような時代。人は神様にお願いして自然災害から身を守り、知恵を借りて暮らしを整えていた。
地上には人も神も少ない時代、両者はとても身近に暮らしていたのだという。
「まあ、その頃から人とは交わらずにいるような神もいたけれどね。ミコト様ってほら優しいでしょ、人に頼まれると喜んで力を貸すようなタイプだから」
「わかるような気がします」
人に頼まれたことをにこにこ笑ってホイホイ叶えてしまうような姿が目に浮かぶ。天災から人々を守り、感謝されては土壌を豊かにし、祀られては人々を繁栄に導いてきた力のある神様だったミコト様。きっと頼られて嬉しかったのだろう。
「けれども人が増えると争いも増えてね、対立する2つの一族が互いを呪えと願ったの。それぞれ違う神にそう願ったのであれば、代償はあれども願いは叶い、神同士の力の差で決着が付いたかもしれない」
ミコト様はそれぞれに止めるように諭したけれど、誰も聞き入れなかった。むしろ、そうやって憎む気持ちの一部をミコト様に向けさえした。叶えなければ、人々はミコト様に背を向ける。片方だけを叶えれば、もう片方はミコト様を恨む。結局どちらの願いも叶え、人々は苦しみ、同じだけミコト様が穢れを背負った。苦しんだ人々が上げた怨嗟の声を聞いて、自らが作り上げた呪いを被って。
「同じことをしても何ともないって神もいるけどねえ。でもミコト様は自分の行いにこそ傷付いたのね。その罪悪感こそが傷の元になっているんじゃないかって」
お互いに憎しみ合っている人達の間で板挟みになっているミコト様を想像した。おっとりしたところがあって、甘いものが好きで、ちょこちょこと手先を動かしているのが趣味なミコト様である。そういういがみ合いがあってきっと物凄く悩んだのだろう。
「人々が離れて、それ以上に自ら関わらないようになって、ずっと関わりを断つように暮らしてきた。穢れが広がらないように抑えていたけれど少しずつ深くなっていて、このままいったら皆で力を合わせてどうにかするしかないんじゃないかと思ってたんだけど」
「どうにか」
「それこそ封じるとかね。だけどルリちゃんが来てから外に顔を出すようになったし、久しぶりに声も掛けてきて本当に嬉しかった」
今まではご機嫌伺いに手紙を出しても、白梅さん紅梅さんやすずめくん達がお礼をしていて本人から反応が返ってくることはなかったらしい。それが自分から手紙を出してくるまでになって、皆でホッとしたのだそうだ。
「でも、ミコト様の傷が広がっちゃいました。私のせいで」
「まあ穢れが広がったのはそりゃ良くないけどね、ずっと貝みたいになってたのに動き出したってことだと考えれば随分進歩した証拠だと思うわ。じっと死にたそうに動かなかった頃より随分楽しそうだもの」
それにルリちゃんのせいじゃないでしょ、と神様は優しく背中を叩いてくれたけれど、どうもそうとは思えない。ミコト様だって同じようなことを言っていたけれど、間違いなく私が原因だ。
「そもそもミコト様がシャキッとしてればこんなことにならなかったんだから、あんまり気負い過ぎちゃだめ。ルリちゃんまでウジウジしてたら、またそれでクヨクヨ悩むタイプだってことはわかるでしょう?」
頼りないとこあるわよねえと溜息を吐いている。言い過ぎでは、と口には出したけれど、実際に核心を突いているような気がして否定することはできなかった。
「人に因果のある傷だから、ルリちゃんと関わって反応するのは当然のことよ。気にしないでいればそのうち癒えてくるでしょ」
「そのうち……でなくて、何かいい方法とかないんでしょうか。カウンセリングで気持ちをなんとかすると治るとか……」
「まあ確かに気持ちがしっかりすれば治りもうんと早くなるでしょうけどねえ……うーん」
小さい男の子が、「かかさまー! ゲームやりに帰っていい?」と走って神様にしがみついている。もう遅いから帰ったら寝るよ、と窘められてぐずぐずと文句を言い、茶色いトラネコが手を繋いで渋々踊りの輪に加わっていた。
それを2人で眺めてから、神様はまた唸る。
「如来さんとこの薬よりすごい、死んだ者以外なら何でも治すって薬の話はずーっと昔に聞いたことあるけどねぇ……」
「それです! そういうのです!」
まさに私が求めていたようなモノだ。意気込んで教えて下さいと言うと、神様は渋い顔をした。




