2-8 二人
※エレンとアルスがイチャイチャしているだけです。
――ちなみに。
時を遡り、昨日の深夜。
レイの布団にセーラが潜り込んでいた頃。
また別の宿屋では、二人の男女がひとつのベッドを眺めていた。
「…そ、そろそろ、寝よう、かな」
「お、おう」
エレンがちらりと、隣に座るアルスを窺いながら言う。
すると彼は明後日の方角を向きつつ、ぶっきらぼうな返事をした。
エレンは少しだけムッとする。
「あー、じゃあソファーで寝るから、オレ」
アルスは気を遣っているのか、ベッドをエレンに譲ると告げた。
冒険者試験を間近に控えたアストラの街には大量の冒険者志望が流入している。
そんな混み具合では、二人で一部屋を取るのが精一杯だったのだ。
「…いいよ。ベッドで寝れば」
エレンはつれないアルスの態度に不満を持っていた。
少し前、故郷の村で待っていたエレンを、アルスは約束通りに迎えに来た。
エレンを護り抜けるほどに強くなったという自信があるのか、アルスの口元に浮かぶ笑みはとても誇らしげで、自信に満ち溢れていた格好良いものだった。
「いや、気にすんな。べつに寒いわけじゃないし」
「……いいから、来て」
あのときは、いきなり抱き締めてきたというのに、それ以降は手すら握ってこない。
大切にしてくれているのは分かっているが、それでも不満は溜まるのだ。
エレンはアルスの寝巻きをぐいっと引っ張り、「えい!」とベッドに投げ込む。
アルスは驚いたように目を瞠っている。
「そんなところで寝たら寒いでしょ。毛布もないし」
「つっても、同じベッドで寝るのは流石に……」
「……嫌?」
エレンが唇を尖らせると、アルスは慌てたように手を振る。
「いや、そんなわけない!」
「じゃ、いいよね」
「ただ、オレも男だし、いろいろと……」
「何かするような度胸、アルスにはないでしょ?」
「ぐっ」
「ふふ、残念でした。大人しく寝ましょう」
エレンが微笑みながら狭いベッドに潜り込む。
壁側を向いて横たわっているアルスの背中がやけに大きく見えた。
「今の質問、どう答えてもオレの負けだった気がする……」
「どのみち、アルスがわたしやレイに口で勝てたこと、ないでしょ」
「……そりゃそうだ」
「ふふ、昔はよくレイの口車に乗せられて、いろんなところでイタズラしてたね」
「それで結局、いつもオレだけ怒られるんだよな。あの野郎……」
「えー、いまさら?」
「冷静に考えると、オレが村の大人たちに怒られるのを見て、腹抱えて笑ってるアイツは普通に性格悪い気がしてきたぞ」
「でも、最後にはいつも庇ってくれてたでしょ?」
「そこが余計に性格悪いんだよ……なんか憎めねえし」
フン、とそっぽを向き、拗ねたようにアルスは言った。
「なあ」
「……んー?」
「反応鈍いな」
「ちょっと、眠くなってきちゃったからね。それで?」
エレンは促すが、アルスは少しだけ沈黙した。
彼は言いづらそうに、それでも言葉を紡いでいく。
「……本当に、オレなんかで良かったのか?」
「……それこそ、いまさら、だよ」
「レイはすげえヤツだよ」
アルスは淡々と言った。
おそらく、本人の前では言わないであろう言葉を。
そうだね、とエレンは頷く。
「……昔から、何だってできた。剣はいつもオレより強くて、いろんなことを知っていて、それを活かせるぐらい頭が良くて、よくわかんねえ理屈で新しい魔術を生み出したり、師もいないはずなのに剣筋には無駄がなかった。大量のオークの死体を見たときも、オレみたいにおじけづいたりしなかった。最初から、覚悟が決まっていた感じだった」
「うん」
「……オレはいつも、レイの後を追うだけだった。がむしゃらに努力しても、あの背中には届かなかった。憧れてたんだよ、アイツに。オレより何歩も先を歩く存在に」
「うん」
「だけど、お前だけはアイツに取られたくなかった」
「……っ」
囁くような一言だった。
エレンは心臓が跳ね上がったような感覚を覚える。
どきどきと、紅潮していく頬を自覚して、恥ずかしくなった。
毛布に顔を埋めようとして、ぐいぐいと引っ張る。
「……なんだよ。こっちの毛布なくなるだろ」
「……うるさい。不意打ちは反則」
「なに言ってんだ?」
「自覚ないのがムカつく……」
「とにかくさ、オレが言いたいのは」
「分かってるよ」
エレンは遮るように言った。
はあ、とため息をつく。
意外と自信がないところが可愛いけれど、はやく彼を安心させてあげたかった。
「わたしの気持ちは、最初から、今まで、ずっと変わってないよ」
「……そう、か」
「ふふ、どうしたの? 村を旅立つときは、あんな自信満々だったくせに」
「……あのときはお前が泣いてたから。ただ、どうにかしようとしか思ってなかった」
「泣いてないし」
「いやいや、すげー泣いてたから」
「雨だから、雨」
「……そうだな。そうだったかもしれない」
アルスがエレンを慰めるように呟く。
声色には苦笑が滲んでいた。
エレンはアルスの背中をジト目で睨みながら、
「……アルスのくせに、ちょっと余裕ある対応がムカつく」
「中々ひどい言い草だな?」
「それに、気にするとこ、間違ってるから」
「……?」
「あなたが剣以外は全然何にもできなくて、レイのほうがすごいことぐらい分かってる」
「ぐ……」
「だけど、わたしは、そうやって、レイの背中へがむしゃらに追いつこうとするあなたを見るのが好きだった。……だから、しょうがないでしょ」
「……」
「普段は全然、レイのほうがカッコいいんだけどねー。アルスは、テキトーだし、ガサツだし、女の子への気遣い足りないし、ご飯も作れないし、あとなんかいろいろ変だし」
「……あの、まだ罵倒が続くんですかね…………」
「でも、わたしは、そんな情けない部分を見て、支えてあげたいなって思ったから」
灯りのない暗闇の中で。
エレンの涼やかな声が、シンとした室内に響く。
「……ありがとな」
「少しは、自信を持てた?」
「ええー、自信を持たせようとする内容じゃなかったじゃん」
「文句があるなら、剣以外のことにも、もっと意識を向けましょう」
「分かったよ……あ、それと」
微笑んでいたエレンは目を見開く。
アルスが突然、寝転がる方向を変え、エレンのほうを向いてきたからだ。
至近距離で目が合う。
紅蓮の髪に反して黒く澄んだ瞳に、吸い込まれそうだった。
「ど、どうしたの?」
「エレン」
「ち、近いよ……」
エレンがおろおろして毛布に顔を埋めると、頭に手を添えられた感覚を覚えた。
これでは逃げ場がない。
逃げる理由もなければ、キスすらしている関係だというのに、エレンは混乱していた。
自分から同じベッドに入ったくせに、緊張で、どきどきと心臓が跳ねる。
でも、それをアルスに知られるのは何だか気にくわない。
「精霊術、使ってもいいからな」
アルスはエレンの腰を抱き寄せながら、言う。
エレンはさらなる混乱に見舞われながらも、何とか言葉を絞り出した。
「あ、あくまで、水の魔術に見せかける前提、でしょ?」
「ああ。そりゃリスクは少ないほうがいいからな」
「……分かった。ピンチになったら使うよ。冒険者にはなりたいし」
エレンは世界にたった数人といない精霊術師だ。
その存在が国に知られれば、危険な目に合う可能性が高い。
アルスがランドルフのもとで修行して帰ってきたのも、アルバートの庇護下である村からエレンを連れ出したとき、彼女を危険から護り抜く実力をつけるためだった。
べつに危険に襲われると決まっているわけではない。
せいぜい国やギルドに協力を願われる程度だろうとエレンは思っている。
だけど、エレンは何となく世界中を見て回りたいと思っていたし、国に拘束され、戦わされるような人生になるのは嫌だった。
だから、レイやアルスの特訓に付き合っていた。
自由に生きられる冒険者という身分に憧れがあったのだ。
アルスはそれを見抜いていたらしい。
普段は察しが悪いくせに、こういうところだけ気づくのがムカつく。
「もしバレたって、オレが何とかしてやる。そのための力はつけてきたつもりだ」
「……すごい自信。そんなに、強くなった?」
「ああ」
エレンが毛布から僅かに目を覗かせ、上目遣いにアルスを見る。
彼は不敵に笑みを浮かべていた。
「今度こそ、オレはレイを越えていく。もう背中を追い続けるのは終わりだ」
「……ふふ、期待しないで見てるね」
「そこは期待してくれよ」
「そうだね。あなたが頑張ってるの、わたしはちゃんと知ってるから」
「……ああ。だからお前も、不安になりすぎなくていい」
「……わたしが不安に思うのは」
「ん?」
「……何でもない。ほら、いいから寝よう」
――あなたと一緒にいられなくなることだけだよ、と。
そんな言葉を呑みこんで、エレンはアルスの腕の中で目を閉じた。
闇が深まり、夜が更けていく。
お互いに、緊張で全然眠れないことは内緒だった。
本筋が行方不明