2-6 謎の少女
遠くから、竜の嘶きが僅かに響いた。
朝、レイは目を覚ますと、清々しい気持ちで伸びをする。
欠伸をしつつ窓の外を覗くと、雲ひとつない気持ち良い晴天だった。
「ふぁ……、良い朝だ……ん?」
レイは腹の辺りが何だか妙に暖かい気がして、視線を下げる。
すると。
そこには、全裸の美少女がすやすやと眠っていた。
レイの目が点になる。
冷静かつ論理的なはずの思考に空白が生じた。
というか単純に状況を把握できない。
美しい純白の長髪に、まるで人形のように精巧につくられた顔立ちをした少女は、小柄でまだ未熟な体躯をレイに絡ませ、腹部に抱きついて眠りについている。
なるほど、とレイは状況を確認し、整理する。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
レイは絶叫した。
今更ながら衝撃に打ちのめされ、少女を引き剥がそうとする。
だが。
「なんだこいつ……力、強い!」
「……んー?」
ぐいぐいと肩を掴んで外側へ引っ張っても、少女は抱きつく手を離さない。
これだけ華奢な体躯だというのに異様な膂力だった。
とはいえ、その衝撃で流石に起きた白髪の少女は僅かに瞼を開いて周囲を見渡すと、
「……まだ、眠い」
そんなことを言って、再び寝転がった。
無論、その腕はレイに抱きついたままである。
「ちょっと待てえええええええええええええええええええええええええ!」
レイは少女を掴んで、その首をぐわんぐわんと揺らす。
あまりに意味不明な状況すぎて流石のレイも落ち着いていられない。
だが少女はマイペースなのか目をこすりながら、不機嫌そうにレイを見上げる。
「……なに?」
「こっちのセリフだ。誰だお前は。何なんだお前は。どっから入ってきた」
「……セーラ。窓から入ってきた」
「何で?」
「……眠くて思い出せない」
そう言うと、セーラと名乗った少女は再びレイの膝に頬を乗せ、目を閉じる。
もはや髪でも引っ張ってやろうかとレイが思っていると、
「レイ様? なんか大きい声がしましたが、大丈夫ですか?」
扉の外からリリナの声が聞こえてきた。
レイは冷や汗を垂らす。
マズイ。
このわけの分からない状況をリリナに見られるわけにはいかない。
ベッドの上で、全裸の美少女に抱きつかれている光景はちょっと洒落にならない。
それにセーラの未成熟な肉体を考えると、リリナに犯罪者呼ばわりされかねない。
「お、おう! 大丈夫だ」
レイはリリナに返事をしつつ、焦燥を感じてセーラを引き剥がしにかかる。
セーラは馬鹿力でレイを離さないので、立ち上がって体勢を崩そうとすると、
「……むううううう!」
無理やり座らせられた。
ちなみにセーラは寝息を立てているので、無意識の動作だろう。
この細腕のどこからこんな力が出ているのか、レイは眉をひそめる。
魔力で強化されている様子もない。
ともあれ。
「本当ですか? とりあえず開けますね」
そんなリリナの声が聞こえた瞬間、レイはシリアスな顔をした。
そういえば昨夜、リリナにこの部屋の合鍵を渡してしまっていたのだ。
痛恨のミスである。
「い、いや、リリナ! ちょっと待ってくれ!」
「? 何でですか?」
「あー、その、今着替え中なんだ」
「ふふ、何ですか今さら。レイ様の裸なんて子供の頃から見てますよー」
(……マズイ、止められない!?)
鍵穴でガチャガチャする音が聞こえる。
レイはもはや死刑宣告を待つ虜囚の気分だった。
冷静に考えると悪いことは何もしていない――はずなのだが。
「おはようございますー」
リリナが快活な笑みを浮かべて、部屋に入ってくる。
朝だからか長い銀髪を纏めず、無造作に垂れ流したままだった。
普段よりも少しだけ大人びた雰囲気があり、不覚にも僅かに見惚れてしまう。
そしてレイが見とれた可愛らしい笑みは、当然すぐに凍りついた。
「いや、落ち着いて聞いてくれ」
レイは両手を上げ、戦意がないことを示し、猛獣と相対する気分で会話を始める。
正直どういう反応をするのかまでは予想できていなかった。
だが、流石にこれはひどいと思う。
「あ、あはは……」
リリナはドン引きした様子で顔を青くしながら、そっと扉の外へ出ようとする。
なんというか一番傷つく反応だった。
「いいか、俺は何もしていない。起きたら、こいつが引っ付いていた。オーケー?」
「……へえー、そうなんですか!」
「頼むから適当に頷くのは止めてくれ! 心が痛い!」
「……こ、これがレイ様の趣味なら、仕方ないです。私も受け入れなきゃ……よ、幼女……う、うーん、体を小さくする方法とかどこかにないかな……」
「おい小声の超早口で何かを呟くのも止めてくれ。怖い」
「じゃあどうしろって言うんですかこのロリコン!!」
「何そのキレ方!?」
レイは愕然としながらも、一周回って少しだけ冷静さを取り戻したらしいリリナに、ちゃんとした説明を試みる。
リリナは終始疑わしげな目をしていたが、やがて嘆息して空気を入れ替えた。
「で、目下の問題として、裸の少女が抱き着いたまま離してくれない、と?」
「うん」
「帰っていいですか?」
「俺一人じゃどうにもならない。どうにかして引き剥がせないものか」
「とりあえず引っ張ってみます?」
そういうことになった。
レイは少しだけ顔を紅くしたリリナの命により、目を閉じている。
リリナは綱引きのようにセーラの両足を引っ張るが、びくともしない。
それどころかレイの腹を締め付ける腕がキツくなり、朝っぱらから胃の中のものがいろいろと危険になる始末である。
その絵面は傍から見ているとかなり間抜けだろうと想像はついていた。
「……何をやっているんだい?」
そこで、おそろしく呆れたような声音が窓のほうから聞こえてきた。
そちらを見れば、ダリウスが極限まで縮みつつ部屋に侵入してきている。
「見て分からないか」
「分かるわけがないだろう。それにしても、アナタは転生しても変わらないんだね」
「何が?」
「これといって何もしなくてもトラブルを引き寄せる、その体質だよ」
そんな不名誉な称号を頂きたくはなかった。
レイは首を傾げつつ、改めて少女の肉体を観察してリリナに頬を引っ張られる。
(……こいつ、やっぱり普通の人間じゃない?)
メイドのジト目を流しつつ、レイは考察を続けていく。
それまで後ろめたさから、少女を直視することは避けていた。
だがよく観察すると、違和感に気づき、やがて背筋に深い衝撃が走りぬける。
確信はないが、この魔力の感覚は――
「――ダリウス」
「うん。おそらくは魔族、だろうね」
あくまで淡々としたダリウスの呟きに、リリナが息を呑む音が聞こえた。
当然だ。
現在は休戦状態に近いとはいえ、いまだ魔族率いる魔国との戦争は終わっていない。
いつ再開されてもおかしくない緊張が何年も続いているのだ。
そんな最中に、いくら幼女とはいえ魔族の一人が王国のこんな深部にまで潜り込んでいるという事実は、世界を揺るがしかねないほどの一報である。
「ただ、それにしては不自然な点も散見される……ちょっとボクには判別がつかないな」
「もし魔族だとしたら、どうやって街中まで潜りこんできたんだ……?」
魔族の特徴はひとつ目に、目が紅いこと。
二つ目に、普通の人間を遥かに上回る魔力量を有していること。
最後に、魔物を従える能力があることである。
「目は蒼いとはいえ、魔力量については分からないが……ボクがこの子に対して逆らいがたいのは事実だ。魔物として本能的なものだから、これは間違いない」
「もしセーラに命令されたらどうなる?」
「ボクは知性を持つアンデットだ。こういうときのために精神防壁術式も創ってある」
仮に少女が敵対したとしても問題はない、とダリウスはゆらゆらと揺れる。
流石は元宮廷魔術師にして、死してなお魔術を究めた男だ。頼りになる。
「……ん?」
そこで、ようやくセーラが目を覚ました。
彼女は目をこすり、レイたちを見回して首を傾げると、うつらうつらと首を揺らしつつ、布団の中に紛れていた衣服を着用していく。
「……ところで何で裸だったの?」
「……おなかすいた」
なお会話は通じなかった。