543:押し寄せる毒煙
ミレドアや女どもの送り出しは無事に終わった。ここからようやく、遺跡探索の本番ということになる。
遺跡の最奥部にあるという超古代の書庫。そこが最終目的地。だがボッサーンの遺言によると、書庫の出入口は現在、施錠封印されており、リネスがその鍵を持っているという。たぶんその施錠自体、ボッサーンの仕業だろうけどな。書庫へ入るには、嫌でもリネスを連れて行かざるをえないってわけだ。
ところが……わざわざ東霊府からリネスを連れ出し、行動に乗り出すや、いきなりミレドア誘拐という事態が発覚した。俺としては当然ながらそちらの解決を優先せねばならず、血蛇団のアジトに突入してリネスとともに方々暴れ回り、おびただしい屍山血河を築くことになってしまった。結果的には色々と興味深い情報が得られたし、膨大な財宝も手に入れて、ミレドアもきっちり救出できた。まずはめでたしめでたしというところか。
「んでさー、アーク。ボクは、こっちの南回りのルートがいいと思うんだけど……」
俺たちの現在地は、血蛇団アジト宿舎内の大食堂。
ここは内装が豪華で居心地がいいし、食材も水も、まだまだたっぷり蓄えられている。女たちを送り出した後――ここで物資を補充しつつ、今後の方針をじっくり検討してから再出発しよう、と二人の意見が合致して、いったん戻ってきたわけだ。
「それだと遠回りじゃないか? 北のほうからいけば、ほぼ一直線だろうに」
「そっちはトラップだらけだし、ほら、北回りと比べると階段が多くて、エレベーターリフトが少ないんだよね。徒歩で進む距離で考えるとさ……」
俺とリネスは、テーブルの上に例のボッサーン謹製地下遺跡マップを広げ、ああでもないこうでもないと論議していた。
ここ血蛇団のアジトから、遺跡の迷路を経て最深部の書庫へと通じるルートは二つ。大雑把にいえば、地図上の南側から大回りで向かうルートと、北側からまっすぐ向かうルート。ボッサーンはいずれも踏破済みらしく、地図には道中のトラップ類やエレベーターの位置、休息に適したポイントなど、こと細かに書き込まれている。
「トラップなんぞ問題にならんだろう。俺がおまえを抱えて飛んでいけばいいんだし」
「ずっとその体勢で書庫まで行くの? いや、ボクはそれ、嬉しいけどさ」
「そのほうが速いし、危険も少ないだろ」
遺跡のトラップは大抵、床に設置されたスイッチをうっかり踏むことで発動する。ならば最初から浮いて移動すれば、まず引っ掛かることもあるまい。もっとも、昨日のような――かのチャールズ・ブロンソン似のおっさんどもが、通路に糸を張り巡らせて俺たちを罠に掛けようとした――状況が、道中にまったく起こらないという保証はないが、逆にいえば、そこにさえ注意を払っていれば、まずまず安全迅速に書庫まで辿り着けるはずだ。そう日数もかからないだろう。
リネスも納得したらしい。大きくうなずいてみせた。
「ん。そういうことなら、北ルートで決まりだね。アーク、しっかり抱いててよ?」
「任せろ」
「えへへ、これでボクも、大人への階段を登ることになるんだね。アークに、抱かれて……」
遺跡書庫には、リネスが大人に変身できる魔法の書があるという。たしかにそういう意味で、間違ってはいないが。
「いらぬ誤解を招くから、人前でそういう発言をしないように」
「はーい」
リネスは元気よくうなずいた。
遺跡通路の天井や壁面には、一定の間隔ごとに魔力球が設置されている。それらは完全物質エリクサーから無尽蔵に魔力を供給され、皓々たる輝きで石壁の通路を照らし続けている。おかげで遺跡の探索には照明が不要だし、直線路なら、かなり遠くまで見通すことができる。
リネスをお姫様抱っこで抱え、血蛇団のアジトから出発したのは昼過ぎ頃。そこから数時間は、とくに何事もなく遺跡内部を進み続けた。
異変が生じたのは、最初のエレベーターリフトに乗って、さらなる下層へと降り立ったとき。
この遺跡は地下全三十七階層という、おそろしく深い迷宮になっている。各階層間は階段やリフトで複雑に連結されており、マップなしではまともに地下へ進むのは困難な構造だ。
……最初のリフトの降下先はいきなり第六層。ボッサーンのマップによれば、この階層には毒ガスのトラップが随所に仕掛けられているという。床のスイッチを踏むと両側の壁面から毒ガスが噴出するらしい。即死するほど強い毒ではないが、うっかり吸ってしまうと、治療薬や適切な治癒魔法を使わない限り、数時間は悶え苦しむ羽目になるのだとか。
――降下していたリフトが第六層に到達し、停止した直後。
いきなり前方左右の壁から、勢いよく紫色の煙が噴き出しはじめた。まだリフトから一歩も進んでないのに。もちろん床のスイッチなんて触れようがない。にも関わらず、トラップが発動している。どういうことだ?
「いかん! 息を止めろ! 目をつむれ!」
腕の中のリネスへ、俺は慌てて声をかけた。
そうこうするうち、濛々と視界を覆う紫の毒煙が、猛烈な勢いでこちらへ押し寄せてきた――。




