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反転する死者の界(完)

 クルスは混乱していた。

 ずっと人属だと思っていた友達が――もう友達と言えないかもしれないが、それが妖精だった。

 クルスの中での妖精は気まぐれで理解しがたく、混血児を毛嫌いする。そして天災とも言える厄介事を引き起こし、気まぐれで残酷だ。

 幼い頃に接した妖精たちはクルスを酷く扱った。だから嫌いだった。妖精は全部無邪気な悪意で自分を弄び、涙を零す姿を喜ぶような奴らだと思っていた。事実そうだった。

 でも、だが、しかしリートは違った。

 おかしいと思う場面は何度もあったが、異界から来た住民は総じて化け物じみている。常識の通じない輩もいれば、生態自体が違う者。数えればきりがない。

 もう判っている。

 自分がどんなに暴言を吐いても、口が悪くても眉を顰めるだけだった。慰めの言葉をくれたのも、危険な場所まで来てくれたのもあの子ただ一人。

 乏しい人間関係の中で、夢見たいな現実だった。

 助けてほしいときに遠慮してはいけないと言った理由、妖精は不幸な子供が大好きだと言った意味。そして取引しないと首を振った姿。

 リートは何度も言っていた。

 妖精が全て自分を嫌ってなどいないことを、自分のことを含めて伝えていた。

「急いでどうしたんだい。……泣いてるのか」

「兄さん、僕」

 家の玄関から転がるように帰ってきた弟に声をかけたリヘルは、目尻の涙を見てそっと肩を掴む。途方に暮れたようにクルスは顔を上げた。

「あの子が妖精だって知らなかった」

「……気づいてなかったのか」

 あの子が誰であるかすぐに悟ったリヘルは、落ち着かせようとダイニングの椅子に座らせて、お茶を手渡す。

 ぽつぽつと話す小さな背を宥めるように擦った。

「羽もないし、言葉も表情も妖精らしくなかった。笑い方も仕草も人みたいだったんだ。本だって普通に読んでた。ページをめくって、端の棚から順番にするのはどうかと思ったけど、あんなの判るわけない! 騙すつもりはなかったって言ったが本当はどうだか! ……どうなのか、判んない。なんで僕なんかを助けたんだ」

 気まずそうにした顔も、杖を操る横顔も覚えている。病院で本気で怯えていたときの青ざめた顔も。妖精が人を恐れるだなんて誰が考えるだろうか。

「僕は妖精が嫌いなんだ!」

 今までの苦しい思い出がほんの数分前に起こったように喉を絞める。魔力が電撃のように跳ねてカップを揺らし、飾ってあった花瓶を倒した。

 弟の手を握ろうとして拳を握ったリヘルは「あの子はどんな顔をしていた」と問いかける。

「僕の顔を見て……自分が傷ついたみたいになってた。走って逃げたけど、追いかけてこなかった。それで、ごめんって言った」

「お前が自分を守る為に嘘を重ねないことを、私は嬉しく思うよ。この世界には例外がたくさんあって、目に見えるものがそのまま真実だとは限らない。お前はあの子とどうなりたい。友達を止めてしまいたいかい」

 言いよどむ姿に続ける。

「個人的な好き嫌いで突き放した。お前が何もしなければ関係を修正することはできない。私が言えるのは時間が経つほど言い出せなくなるということかな。仲直りはしたくないのかな?」

「それは……」

 口ごもる姿を見て椅子から立たせると、玄関から追い出した。

「お前はもう少し大人になりなさい。女の子には優しくすること。仲直りしておいで。それまで家の敷居は跨がせません」

 閉まった扉の前で本日一番の衝撃に固まった。

「え、男でしょ……何言ってるんだろ」

 別の衝撃で固まっていたクルスは首をかしげた。

 しかし中に入れてくれないようなので、とぼとぼと怪物区へ向かった。どこに居るか判らないので困ったが、スライム君と名乗る怪物が教えてくれた掘建て小屋にリートはいた。


 リートはしょんぼりとしながら毛布にくるまっていた。

「嫌われちゃったな」

 心の声がそのまま出る。

 旅は別れが付きものだ。慣れてはいるが心配が先立つ。これからやっていけるかというのは完全なお節介なのだが。

 なるようにしかならないなと溜息をついたとき、建物の影から食人妖精が襲ってきた。杖から炎を噴射して追い払うと下から声が聞こえる。

「今の何。君、しばらく魔法使えないんじゃなかったの」

 クルスだった。いつもより目を丸くして側に寄ってくる。手に火炎放射器のトリガーを持って辺りを警戒していた。

「あれは食人妖精だよ。私しか狙わないから大丈夫。魔法は使わない方がいいのは、そうだよ。今のは仕方ないでしょう」

「ああ、うん、そういう……」

「それよりどうしたの。忘れ物でもした」

「……は、話に来たんだ。兄さんにも仲直りしてこいって言われたし」

 体を起こして上からクルスを眺める。冗談を言っているようには見えない。けれど、妖精嫌いの少年が大人しく言うことを効く理由が思い至らなかった。

「君は本当に望んでここへ来たの? 妖精が嫌いなら無理をしてはいけないよ」

「僕が嫌いなままでも平気ってわけ」

 突き放された気がして声が小さくなる。

「君の人生の舵取りができるのは君だけで、嫌なことを無理にし続けると心を壊してしまう。魔法使いが最もやってはいけないことだよ」

 クルスは魔法使いではなかった。だが素養はある。気持ちの不安定さで呪いを産み出し、衝撃を与えることもあった。リートの言いたいことは判る。無理をするなということだ。

 だが気持ちがしぼんでいく。相手が自分を受け入れてくれるのかが判らないからだ。

 リートが硝子ポットを引き寄せると、浮かんでいたお茶の妖精が隣のビーカーに移って毛繕いをした。寛いでいる。

 室内を見渡したクルスは、小さな妖精が寄り集まって眠っている姿を見つけた。

 視線に気づいて「寝やすいみたい」とカップを差し出す。柔らかな薫りにクルスは口を付けた。

「おいしい。でもこれさっきのの出汁だよね」

「傷ついちゃうからもっと柔らかい言い方して。――大丈夫、美味しいし可愛いよ」

「う、うん。美味しい。あといい香りがする」

 傷ついたように目をうるませていたお茶の妖精はそれだけで満足し、再び毛繕いに戻った。

 小声で傷つきやすいからとたしなめられて頷いた。

「……なんだか、ここの妖精は僕が知ってるのと違う。気位が高くて底意地が悪くて突き回してこない」

「人と関わろうとする妖精は好奇心旺盛なんだよ。小さい妖精は大人しい」

「リート氏も好奇心旺盛なわけ」

「君の様子が変だったからでしょう」

 そうじゃなきゃ声をかけなかったとカップに口を付ける。

 とりとめない話から始まり、リートは自分の種属が白鯨の妖精であり、リート・フェーヤという半人前の妖精だと打ち明けた。妖精が嫌いだと言われても傷つかなかったが、気まづい思いをしていたことも。

 クルスは自分が妖精が嫌いになった理由、今まで出会った妖精のことを話す。それは運がないにもほどがあり、幼い少年が捻くれる理由にもじゅうぶんだ。

「クルス君はさ、私が妖精って聞いてどうだった」

「怖かった。……そうか、僕は怖かったのか」

 言葉にして納得したようにカップを膝の上に置く。

 今まで積みあげてきた認識で反射が出た。拒絶という反射だ。

 そして当てはまらない人物像に混乱した。

 人は知らないことを恐れて枠に当てはめる傾向があり、思い道理にならないと赤ん坊に戻ることがある。それは成長の階段だ。昇るかどうかは本人に委ねられている。

 リートという一人の妖精について何も知らないクルスは尋ねた。一つ階段を上がって世界を広げるように。

「なんで人界へ来たの」

 族長の命令で人界のジョーカーの様子を見に来たのだと打ち明けた。目的は果たしたがイストリア・ホールが消失し、元の異界へ戻れなくなったことも。再び出現するまで人界で暇を潰すのだ。

 リートの丸っこい輪郭は幼い人のようだった。クルスとは違う種属で長く生きる妖精は、大きな三つ編みを背中に垂らしながらガラスのカップに口を付ける。

「時間を潰すのに図書館はとてもよかったよ」

「ああね、本棚端から読んでた理由はそれか」

「全部読んだけど電気配線のことは判らなかった。図を見てないからかな」

「ここ電気壊れてんの? うわ、配線滅茶苦茶。漏電しないうちに直し……いやそもそも通ってない。嘘でしょ、食事とかどうしてたわけ」

「あっちに果物がたくさん生ってるんだよ」

「うわぁ……。あのさ、電気系統なら僕でも直せるから明日来てもいい、かな」

 顔を向けると、俯いた頭を勢いよく上げるところだった。

 夜の星屑に照らされた髪が幻想的に光っている。それでも彼は人属だった。リートと違う種属の男の子。

 もう家に帰してあげなければ。

「取引をしないって言ったけど、友達はそういうの、そもそもしないし……でも僕は喧嘩なんてしたことない。仲直りだって……。だから、配線を直したら僕と、その……」

 口ごもるクルスへ優しい笑みを向けた。

「ごめんねって言えばいいんだよ。悪いと思った事を伝えて、そう言えばいいの」

 小さな子供にするように優しく諭した。

 勇気をもらったように、クルスはぐっと奥歯を噛んで口を開く。

「き、君がごめんって言ったのに無視した。冷たい態度だったと思う。ごめん」

「私も、君に黙ってたことがあった。ごめんね」

 微笑むリートを見てクルスも笑みを浮かべた。

 そのときポロポロと何かが落ちた。金平糖の形をしたクルスの髪と同じ白と紫の石だ。

 なにこれと持ち上げるとリートは歓声を上げる。

「喜びの石だ、初めて見た! 心の石のことだよ」

「僕は魔法なんて使ってないが」

「誰もが心を持ってるんだから、石は誰でも作れる。でも心の発露は思いがけないタイミングで来るから、気づく人は少ないんだって。それにすぐに消えちゃう」

「えっ、消えるんか。僕は心を無くすの!?」

「無くならないけど気になるなら飲めば」

「飲める!?」

 言葉通り薄くなっていく石を前にゴクリと唾を飲む。クルスは頼りなくなっていく感触に、えいやと口を開けて飲み込んだ。それは舌に触れると一瞬で消える。

「ラムネの味がする……」

「ああっ、残念だ。心の石は魔法インクのいい材料になるのだが、消えてしまったのか」

「うわビックリした、なんで美術商がいるわけ!?」

 突然の大人の襲来に子供たちは飛び上がった。

 美術商は間に合わなかったことを嘆き、次に石が生まれたら加工して売って欲しいと念押しして瞬きの間に消えた。

「なんだったんだ」

「あの人、インク作ったタイミングでいつも来るんだよ。……三日以上作業しなくても来るの」

「引っ越した方がいいのでは。……ええと、とりあえず仲直り、で、いいんだよね。僕明日道具持って来ていいかな」

「助かるよ」

「あの、さ……僕たちはその、と、友達だから。何かあったら相談して」

「友達」

 不器用な言葉だ。まるで幼い約束のような物慣れ無さが、彼の人付き合いの薄さを感じさせた。クルスは足を抱えてしゃがんでいたが、俯くのを止めて顔を上げるとニヒと笑った。

「君に祝福を」

 リートはこみ上がる嬉しさに任せて頬に口づけた。そうしたらクルスは幼女みたいな声を上げて頬を抑えた。みるみる顔を赤く染める。

「な、な、なっ」

「な?」

「何するんだよ! っつ、つつつ付き合ってもないのにキスするなんてバカじゃないのか好きになったらどうするんだよふざけんな責任取って結婚しろ!」

「えっ」

 もうお婿に行けないッと泣いて走り出した背中に手を伸ばす。

「ごめん、知らなかったんだよ、ごめんってば。友達は祝福するものだって族長が言ってたんだよ」

「うるさい、うるさいっ。付いてくるなー!」

「今日は鮭が降るから危ないよ。待ってよクルス君」

「うるさーい!」

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