27 出撃の朝
襲撃決行の朝、自警団の面々は、村の入口前に集まっていた。
自警団の内、約半数を使った大きな作戦である。特に決めていたわけでもないが、参加する団員の家族や友人が見送りに集まってきており、一種の壮行会のようになっていた。
大と綾、真尋もその中に加わっていた。三人とも襲撃に参加したいと申し出たのだが、「村を守る人手がいなくなる」と、日美香に拒否されたのだ。
「巣穴を見つけただけで、調査隊の仕事は十分果たしました。後は私達八十神の自警団に任せてなさい」
私達の、を強調する日美香の口調に真尋はむくれていたが、村の防衛も重要と言われると、それ以上言い返すのも難しかったのだ。
「ここはしょうがないわ。予定よりみんなの帰りが遅いようだったら、後で巨神の子として向かう事にしましょうか」
綾と話し合い、大もひとまず村に残る事に同意したのだった。
団員は皆、出発前の会話を名残惜しげに楽しんでいる。その中に、一際目立つ一角があった。
「いいですか、瀧彦。今回は危険な任務です。あなたは実力はありますが、いつも短気な所が災いして失敗するのですから、そこをわきまえて行動するように。いいですね?」
「分かってるよ、母さん……」
「分かっていても失敗するのがあなたでしょう? いいですか、いざという時には伽彦を頼りなさい。あの子といれば安全です。分かりましたね?」
日美香はいつもながら派手な格好で、いつも以上にきつい口調で瀧彦に言い聞かせる。その姿に、皆は失笑を禁じ得なかった。普段は村で暴れている瀧彦も、母親の前では借りてきた犬のようにおとなしい。
その姿に、大は同情すると同時に、少し憧れも感じていた。大には親から心配される事も、叱られる事も、最早薄れ始めた過去の思い出だった。
「伽彦。あなたも瀧彦を見てやってちょうだい。出来は悪くても、あなたの家族なんですからね」
「ああ、もちろんだよ、母さん」
話を振られて、伽彦は軽くうなずいた。
「家族だからね。約束は守るよ」
「本当に、お願いよ?」
しつこいくらいに念を押す日美香に、伽彦は笑って応えた。
ちょうど話が途切れたところで、別の女が伽彦の傍に近寄った。
「あの……伽彦さん」
「やあ、香織さん。君も来てくれたのか」
伽彦の微笑みに、外川は硬い笑顔を返した。
「はい。あの……気を付けてくださいね」
外川の気配はいつもと違っていた。気だるげで、人を信用できていないような表情はどこかに消えていて、情熱的な瞳で伽彦を見つめている。
「あの二人、いつの間にあんなに仲良くなってたんだ……?」
「まあ、仲のいい相手ができたなら良かったじゃない。外川さんもずっと辛そうだったしね」
綾は気楽に二人を眺めている。八十神の人間との間に子供を作っても、元の世界には戻れない、という話は外川も聞いているはずだ。伽彦と親密な関係になったとしても、そこからどうするつもりなのか。
気にはなったが、大はこれ以上詮索はしない事にした。人の気持ちに対し、色々と踏み込むのも野暮なことだ。
「それじゃ、外川さん。約束してた件、頼んだよ」
「はい」
ここに来て数日、大は初めて外川の笑顔を見た。二人の姿に、瀧彦が目ざとく食いついた。
「なんだよ、兄ちゃん。その約束ってのは」
「ん? 秘密だ」
「ええ? 兄ちゃんからそんな言葉、初めて聞いたぜ」
珍しいもんだな、と楽しそうに瀧彦が笑う。周囲の者も同様の気持ちだったようで、皆不思議そうに声を上げた。
「伽彦さんが女に興味を持つなんてなぁ」
「良かったじゃないか。これで八十神も安泰だ」
「まあ、その話はこれくらいにしましょう。そろそろ出発しましょう」
伽彦が微笑むと、自警団は皆、おう、と声を上げた。
自警団の出撃を見送った後、大達はまた九段の書庫に向かい、記録を漁っていた。
進行は芳しくなかった。なにせ本の量が膨大なだけでなく、書かれている文章が、現代人の大達には酷く読み辛いのだ。古いものになると口語でなく、文語体で書かれているものもあり、内容を理解するだけでも一苦労だった。それでもなんとか少しずつ、大達は文章を読み進めていった。
「妙ね」
日誌を読みながら、綾は首をかしげた。手元にあるのは、初代当主が記した日誌である。
「いくつか日誌を読んでみたけれど、九段家当主はどれもこの状況を打開しようとしてないみたい。毎日を平穏に過ごす事ばかり考えてるように読めるわ」
「それは……蝗神の封印を解くのを恐れたからじゃない?」
大は少し考えて、自分の意見を口にした。
「九段家の初代が蝗神を封印した際に、蝗神は残った力で村をこの異世界に追放したわけでしょ。つまり村を元の日本に返そうと思ったら、蝗神の封印を一度解いて、更に蝗神をどうにかしないといけないわけで。もう一度そいつを封印する自信を持つ人が、当主にいなかったんじゃないかな」
「そうしている間に、蝗神を封じた場所も忘れられてしまった、って事? それでも、私が当主なら蝗神が再び蘇る事を恐れて、蝗神の場所と封印の方法だけは、どこかに遺すと思うのだけど」
綾はどこか納得がいかないように、悩み顔を作る。
「まるで昔の当主は、葛垣村をここに残しておきたかったみたいに思えるわ」
「……そうかもしれません」
棚から書物を取りながら、真尋が言った。
「九段家は元々流浪の術師の家系だったと聞いています。行く先々で魔を祓い、報酬をもらったら離れて別の場所に流れて行く。そういう生活をしていたんだそうです」
話を聞けば、やっている事は用心棒の類とそう変わらない。生計を立てるにはあまりにも不安定だ。現代人の大からすれば、あまりやる気にはなれない職業だ。
「道中どれだけ稼いでも、最期は妖魔に返り討ちにされるか、野垂れ死に。そういう者も多かったと聞きます。初代当主はそれを嫌って、ここに自分たちの安住の地を、築きたかったのかもしれません」
真尋の顔は暗かった。悪く言えば村が隔離された事を幸いに、自分が君主の国を作ろうとした、という事だ。祖先を悪く言う気はなくとも、そう言わざるを得ないのが悔しいのだろう。
「ですが、お父様は違います」
真尋は顔を引き締めて、大達を見た。
「お父様はこのままでは葛垣村に先はないと考えていました。だからこそ、元の世界に戻る方法を探し出す為に、調査隊として村の周囲を開拓していったのです。私もお父様の遺志を継がねばなりません。それがこれからの九段家に必要なのだと、私は思っています」
言葉は静かで丁寧だが、その瞳は輝いていた。意志の強さを感じさせるその眼を見ていると、彼女ならば必ずやり遂げると感じさせるものがあった。
「そうだね。なんとかそうしたい。俺達もできる限り協力するよ」
「ありがとうございます、国津さん」
「まずはその第一歩として、資料に目を通さないとね」
綾が同意しつつ、別の本を手にとった。大もそれに続いて棚に手を伸ばした時、ふと頭に浮かんだ。
「そういえば、お父さんの日誌はあるの?」
「はい。ただ、お父様の日誌は何が書かれているのか、全く読めない文字で書かれているんです」
「読めない? 日本語じゃないって事?」
「暗号文か何かかもしれません。お父様だけが分かる文字で書いていたみたいで。だから皆さんにも勧めなかったんです」
「自分だけが、か……。面白いね」
周囲に通じない暗号で書かれるとは、ひょっとしたら誰にも読まれたくない秘密が書かれているのかもしれない。そう思うと、大も興味が湧いてきた。
「それ、読ませてもらってもいい?」
「はい。大丈夫ですよ」
真尋は本棚から問題の本を探しだして、大に手渡した。外見は他の日誌と同じ、新書ほどの大きさをした和綴じの本だ。表紙や紙の端が所々荒れているのは、調査隊として探検した時にも持ち歩いていたからだろうか。
大は手にとり、本を頭からぱらぱらとめくりだした。前半は日本語で書かれており、内容は他の当主が書いた日誌と似たりよったりだ。調査隊が、村の外を調べた時の話などが書かれているのが、特徴と言えば特徴だろうか。
やがて、本の半ばに達したところで、書かれている文字が突如として変化した。
「これは……」
大が声を上げる。その反応を予想していたか、真尋は微笑んだ。
「何が書いてあるのか、さっぱりでしょう? お父様がなぜこんな事をしたのか、さっぱりなんです」
悩むように眉をひそめる大の隣に、綾が顔を近づけた。綾は少し考えるように眉を寄せた後、口を開いた。
「『私は今、マレビトの協力を得てこの文章を書いている……』」
「『もしこれを誰かに読まれたならば、私だけではない、子供達にも危険が及ぶかもしれないからだ』……で、よかったっけ?」
続けて大が読み上げる。真尋は驚きに大きく目を見張った。
「嘘でしょう。お二人はこれが読めるんですか?」
「なんとかね。これは英語だよ。俺達の世界にある、別の国で使われている言葉さ」
大は言った。英語は大学受験以来ろくに勉強をしていないが、本に書かれている文章は平易で、比較的読みやすかった。
葛垣村が日本からここに飛ばされたのは、時代で言えば江戸時代だ。田舎の山村に英語が堪能な人間などいるはずもなく、マレビトがたまに来ても英語教育などする事はないだろう。これを読もうと思えば、英語に堪能なマレビトの協力を得なければ不可能。村の人間に読まれたくないならば、単純かつ完璧な暗号だ。
「でも、物騒な文章だね。危険が及ぶかもしれない、って。ひょとしたら、とんでもない事が書かれているかも」
「本当ですね。天城さん、続きを読んでいただけますか?」
真尋の依頼に、綾は頷いた。
次回投稿は24日(土)21時頃予定です。
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