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26 幕間

 屋敷の寝室で、大は一人、書庫から持ち帰った本を読んでいた。

 ベッドの上で横になり、部屋の隅にあるランプの灯りを頼りに、字を追っていく。綾はまだ下の風呂につかり、汗を流していた。


 葛垣村の夜は更け、今日もまた、薄墨のような暗闇があたりを包んでいた。月明かりのおかげで、かろうじて外に生えている木々の形が判別できる程度だ。

 初めてここに来た時に見た、寺へと向かう灯りがまた見れないか、と思い外に目を凝らすが、あれ以来、村の外に出る灯りは見えなかった。


 書庫にある日誌や備忘録の中に、九段家や妖虫の秘密について記されたもの、参考になるものがないかと調べ始めたはいいが、芳しい成果はあがっていなかった。

 なにしろ量が膨大である。加えて古い書物になると字が読みづらく、本によっては一行ごと、一文字ずつ何と書いてあるか、時間をとって確認しなくてはならないほどだ。


 大達はひとまず、読みやすい本から始める事にした。初代に近い時代の書物のほうが、求める情報も多いとも考えられるので、そちらは真尋が、仁斎の協力を得て読み進めている。

 調査は大変だが、書物を読みすすめること自体は、大は楽しんでいた。異世界に飛ばされた葛垣村を守る為、歴代当主が試行錯誤を繰り返す記録は、それ自体読んでいて興味の湧く内容ばかりだ。


 妖虫たちに対抗する為の武器や陣形の模索、村を発展させる為、農業や治水の努力、マレビトの協力を仰ぐ事で得た、新しい道具や知識を使う試行錯誤……。どれも大に、新鮮な驚きを与えてくれた。

 ランプのゆらめく灯りが、落ち着いた雰囲気を室内に生み出す。外から時折、風に揺れる木々の音がする。


 この世界に自分一人しかいないような、不思議な感覚を、大はのんびりと味わっていた。


 ふいに、ドアがノックされる音がして、大は顔を上げた。体を起こし、ベッドの上であぐらをかく。

 綾が風呂から戻ってきたのかと思ったが、声の主は違った。


「国津さん。中に入ってもよろしいですか?」

「ああ、どうぞ」


 大の応答に扉が開くと、入ってきた夏菜がぺこりと頭を下げた。


「失礼します」


 夏菜は両手に抱えた竹籠をテーブルに置き、中に入っていた服を二人分、並べて置いていく。明日着る為の服を、夜のうちに配りに来るのは、村に来てから見慣れた光景だ。

 服を置き終えた夏菜が、大の方に顔を向け、手に持っているものに目をつけた。


「国津さん、何を読んでらっしゃるんですか?」

「これ? 九段家の昔の当主が書いた、日誌なんだってさ。真尋さんから借りてきたんだ。何か大事な秘密とかが、書かれてないかなって」


 本の表紙を見せるように、大が本を顔の隣に掲げると、夏菜が目を丸くした。


「字が読めるんですか? マレビトさんって、やっぱりすごいんですね」

「いや、そんな大したことじゃ……」


 ないよ、と言おうとして、大は思いとどまった。葛垣村の住人の多くには、文字に接する機会など、ほとんどないに違いないと気づいたからだ。

 この村で、文字という情報伝達の手段を必要とするのは、せいぜいがマレビトの知識を形にしたい職人や、村の有力者くらいだろう。

 仮に夏菜が文字を学んだとしても、果たして生活の中でどれだけ必要となるだろうか。


 年の頃は同程度なのに、自分と夏菜では、これまで置かれてきた環境があまりにも違うのだと、大は実感した。


「……あの、国津さん」


 大が思いをはせていると、おずおずといった感じの口調で、夏菜が口を開いた。


「すこし、お聞きしてもいいですか。国津さんのいた外の世界って、一体どんなところなんですか?」

「俺の?」

「はい。やっぱり国津さんみたいな、頭のいい学者さんばっかりなんですか?」


「学者って、俺はそんな偉そうなもんじゃないよ。外の世界じゃ、俺くらいの頭の奴は珍しくない。これまでのマレビトだってそうだったでしょ?」

「私、マレビトのお世話係に選ばれたのは、国津さん達が初めてなんです。だからマレビトの皆さんがどんな生活をしてるのか、全然知らなくって。普段どんな生活をしてるのか、とか、色々お聞きしたいんです」


 夏菜が目を輝かせる。大したことは話せないけど、と大は前置きをしつつ、口を開いた。


「外の世界では、俺は学生なんだ。いろんな学問を学ぶ場で、毎日勉強してる」

「勉強ですか。働いたりはしないんですか?」

「勉強の合間にやるよ。そういう生活をあと何年か続けて、勉強を終えて、もっと大きな仕事をする為に働くようになる」


 大の脳裏に、大学での生活が浮かんだ。大学の講義をいくつも休む事になったのを思うと、ずんと気が重くなる。

 そしてそれより強く頭に浮かぶのは、同じ大学に通う友人達の姿だった。今頃、凛や一輝達はどうしているのだろう。『アイ』の調査員に協力して、大達の捜索を行っているのだろうか。

 この村に来てから数日しか経っていないのに、あそこでの生活がひどく懐かしかった。


 気を取り直して、大が葦原市での生活を話し始めるのを、夏菜はにこにこした顔で興味深そうに聞いていた。丁寧に相槌をうち、気になることがあると、なんでも詳しく聞きたがる押しの強さを見せる。しばしの間、部屋の中は談笑が止まらなかった。


「楽しそうですね、外の世界って」

「外の世界に興味があるの?」

「私、実はお父さんがマレビトで。私を産んですぐ、両親は外の世界に行っちゃったんです。だから二人とも、どんな世界でどうしてるのか、気になって」

「そうなんだ……」


 これまでにもマレビトは大勢来ているのだから、当然村に残された子供も大勢いるはずなのだ。わかってはいたが、こんなにすぐ近くにいるとは、大も思っていなかった。


「国津さんが話すような世界なら、きっと私の両親も、幸せに暮らしてますね。よかった」


 ほっとしたような顔で夏菜にそう言われると、大も自分の話がいいことにつながったように思えて嬉しかった。


「私も、行ってみたいですね。外の世界……」


 突然、夏菜の声が妙に艶やかに変化した。

 ふと気づけば、夏菜は大のベッドに腰掛けて、大の顔を間近で眺めていた。


(やばい)


 大の脳裏で危険信号が鳴る。さっきまで世間話をしていたはずなのに、夏菜の目は潤み、熱っぽく大を見つめていた。


「ねえ……国津さん。私を、外の世界に連れて行ってくれませんか?」

「はぁ?」


 思わず声が裏返る。頭が混乱し、呼吸が乱れる。思わず息を吸うと、夏菜の甘い匂いが鼻腔を思いっきり刺激した。


「いや、そりゃ、他の俺に手伝える事なら、そりゃ手伝うのもやぶさかじゃないけど、どういう意味……?」

「分かってでしょう?」


 大が後ずさると、夏菜はベッドの上で猫科の猛獣のように、四つん這いの姿勢をとった。思わず大は息を呑んだ。これまでヒーローとして、様々な強敵と戦ってきた。だが今ほど、対処に困り果てた事はなかった。

 夏菜が別人のような声色で、大に囁いた。


「国津さんが天城さんと帰りたいなら、私と天城さんの両方に子供を産ませたらどうですか? 私は気にしませんよ」

「俺は気にするよ、そういうの! ちょっと待って、ほんとに勘弁して!」


 問答無用、とばかりに夏菜は大に飛びかかった。大は夏菜の両手を掴み、必死に押し戻す。

 暴れる夏菜の力は、思った以上に強かった。抑え込むわけにもいかず、なすがままになるわけにもいかず、大は必死に対策を考える。

 ちょうどその時だった。扉が軽くノックされると、応答を待たずに開いた。


「大ちゃん、お風呂どうぞ……」


 浴衣姿で現れた綾が、部屋で置きている状況を理解しきれず、固まった。夏菜も大も、綾の乱入に硬直する。


「……何やってるの、あなた達」


 綾の声はひどく冷たかった。

 大が慌てて夏菜を放り投げ、綾に説明して納得してもらうまでに、かなりの時間を要する事になった。





 外川香織は、自分でも気づかず内にため息をついていた。

 屋敷の自室でベッドに横たわり、軽く目を閉じている。何がしたいわけでもない。昼間の日差しはひどく強かったが、夜になると熱気はそれほど残っていなかった。アスファルトの道路ややコンクリートの建築物がなく、自然に囲まれているせいかもしれない。


 また一つ、ため息をついた。

 日中、外川は夏菜達に協力し、後片付けや屋敷の掃除を行っていた。

 マレビトが与える知識と技術により、葛垣村の文化レベルは見た目よりも発展している。だがやはり人力に頼る点は多く、家事を手伝っているだけでも、額に汗が吹き出る程の重労働だった。

 今までの人生で、やった事もないような労働を手伝ったため、外川は度々失敗した。夏菜達がフォローはしてくれたが、自分より幼い夏菜に指導されるのが悔しく、恥ずかしかった。

 下の階にいるお手伝い達の雑談する声が、窓の外から聞こえてきた。何について話しているのかはわからない。だが笑い声が聞こえるたび、自分いついて話しているのではないかと不安になった。


(いつまでこうしないといけないんだろう)


 またため息が出た。村人達はよくしてくれている。だが元々人見知りの激しい外川の性格では、人と世間話をするだけでも身が震える思いがした。

 日本にいた頃もこうだった。仕事についてはいたが、上手く人と馴染めない。


 同僚から話しかけられれば、当たり障りのないように話を合わせる。だが話に興味がないのが伝わってくるのか、そのうち仕事以外では関わりを持たないようになる。

 好き嫌いは当然ある。趣味だってある。だがそれを語って、相手が興味を示さなかったり、笑われたりするのが嫌だった。


(私はつまらない女。みんな私に興味を失う……)


 何を考えているのか分からない女。仕事以外に興味のない女。外川を知る者は皆、彼女をそう考えているだろう。問題は、そう思われている方が気楽だった事だ。


 このまま村での生活を続ける事になるのだろうか。そう思うと怖かった。それが嫌ならば、村の男と関係を築き、子を産み、元の世界に戻るしかない。そんな事が自分にできるのか。できたとして、元の世界に戻った時、自分は忘れられていないか。

 この先の何もかもが、外川には想像できなかった。


「なんで、助けてくれなかったの。ヒーロー……」


 下の話し声に変化があり、香織は目を開けた。誰か客人が来たらしく、声の調子が全く違っていた。

 誰が来たのか興味を覚えて、香織はベッドから下りた。

 部屋を出て下に降りる階段に足を運ぶ。階段を途中まで降りたところで、香織は雑談が終わった理由を知った。

 階段の下にある広間に、長身の男が立っていた。


「やあ。外川さんだったね」

「えっと、伽彦さん……」

「名前を覚えてくれてたか。嬉しいな」


 夏菜達が盗み見するように扉の陰から眺める中、伽彦は涼やかな美貌に薄い笑みを貼り付けて、外川の方に顔を向けた。


「あの……天城さん達に、何か御用ですか?」

「いや、君に会いに来たんだ」


 予想していなかった返答に、外川は目を瞬いた。

次回は21日(水)21時予定です。

間隔が開いて申し訳ありません。

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