22 戦いを終えて
ミカヅチが九段家の屋敷の前に辿り着いた時、屋敷は数匹の妖虫に襲撃を受けていた。表門の戸が壊れ、その近くを一匹の禍蟻がうろついている。時折、塀の向こう側で巨大な何かが羽ばたき、翅がちらりと塀の上に姿を見せた。
「くそっ!」
ミカヅチは走った勢いを殺さず、禍蟻に向かって飛びかかった。両手に棍を握り、そのまま禍蟻の頭に勢いよく棍を打ち下ろす。
鉄板を叩くような音がした。頭が砕け、体への命令系統がおかしくなったか、禍蟻はでたらめに足を動かしていた。奇妙なダンスを踊る禍蟻を無視して、ミカヅチは家の中に入った。
屋敷の中は予想通り、妖虫の侵入によって荒れ放題となっていた。木の床や壁が割れ、穴の開いている廊下を、ミカヅチは周囲に気を配りながら中に入っていく。そして奥の居間に、悲鳴の主がいた。
畳張りの広い居間だった。縁側から入ってくる太陽の光が、部屋の半分ほどを照らしている。
縁側の外にある庭は、本来なら見事に手入れされていただろうに、妖虫に荒らされて無惨なものとなっていた。砂利が敷き詰められた地面は無数の足跡がつき、雄大かつ優雅だったであろう大きな松の木が、幹の中ほどで真っ二つにへし折れている。そして松の木の近くに、巨大なクワガタ虫に似た二匹の妖虫がいた。居間に侵入するタイミングを待ち構えているように、いつでも飛びかかれるように緊張した姿勢をとっている。
それらと相対して、縁側の反対側の壁には、仁斎が誠人を左手で抱えながら、右手を敵を牽制するように突き出していた。
仁斎の前に、緑に光る蜂の姿があった。気虫術で作り出した蜂の弾丸は、蝋燭の炎のようにゆらぎ、今にも消えそうに弱々しかった。
仁斎の顔色は見るからに悪く、息も荒かった。妖虫達を睨みつける眼はなおも鋭かったが、誠人を守っての戦いで、かなり消耗しているのが見てとれた。
誠人は仁斎の体にしがみつき、必死に恐怖と戦おうとしていた。が、廊下に立つミカヅチの姿に気がついた。驚きにぱちぱちと目を瞬かせると、慌てて声を上げた。
「お祖父ちゃん! あの人だよ! 昨日僕を助けてくれた人!」
先程ミカヅチが聞き取った声を出しつつ、ミカヅチを指差す。仁斎はちらりとミカヅチの姿を見て、見慣れぬ姿にぎょっとしたような表情を見せた。
「あなたが……昨日、誠人を助けていただいた……?」
「ミカヅチ。偉大なる巨神の子です」
「おう、そうですか……すみませんが、わしはもうそろそろ動けそうにありませんでな……。後を、誠人をお願いできますかな……」
ミカヅチがうなずくと、気が緩んだか、仁斎ががくりと頭を落とした。仁斎の作っていた蜂も風に吹き消されたように消滅した。
「お祖父ちゃん!」
誠人の叫びと共に、庭の大百足が行動を開始した。今が好機と攻め寄せる妖虫の前に、ミカヅチは立ちふさがり、両手の棍を構えた。
「来い! 片っ端から相手になってやる!」
畳が弾けるほどの勢いで、ミカヅチは突進した。前方右側にいた妖虫に向かう。
妖虫はそのクワガタ虫の如き巨大な顎を開いた。射程内に入ればいつでもその顎で切り裂く、そういった構えだ。動物ならば逃げる暇も与えずに両断できる。
妖虫に感情はない。だがそうやって獲物を何匹も切り裂き、糧としてきた記憶があった。
庭に飛び出したミカヅチの足が不用意に射程に入ったとき、妖虫は満を持してその顎を閉じる。その顎は何も掴む事ができず、顎同士がぶつかる虚しい音が響いた。
妖虫の誤算は、ミカヅチの身体能力と反射神経が常人のそれを遥かに越えていた事だった。
巨神の加護がもたらした超人的脚力によって、ミカヅチはあっさりと妖虫の顎を飛び越えた。
そのまま平たい頭部に着地すると同時に、手に持っていた棍を合わせて二メートル近い長さの棍へと変え、妖虫の外骨格の隙間を貫く。絶命の瞬間、妖虫が体を大きく跳ねたのに合わせて、ミカヅチは棍を引き抜きながら高く跳んだ。
屋敷の二階よりも高くまで飛び上がり、残ったもう一匹に向けて落下する。ミカヅチは空中で回転し、勢いをつけてもう一匹の背中を棍で貫いた。
妖虫の体から、ぼきりと嫌な音が聞こえた。棍による貫通と衝撃が、妖虫の首を破壊する音だった。
足下の妖虫が完全に動きを止めたのを確認し、ミカヅチは棍を引き抜いた。付着した液体を振って落とし、居間の方に目を向ける。
誠人は先程と同じく仁斎の体を支えながら、ミカヅチの姿に目が釘付けとなっていた。
「もう大丈夫だ」
かつてティターニアに助けられた時と同じように、ミカヅチはできるだけ優しく、相手を落ち着けるように言った。
「お爺さんは、大丈夫か?」
「わ、わかんない。どうしよう」
「わかった。すぐ医者を呼んでくる。君はお爺さんと一緒に、奥の部屋に隠れているんだ。いいね?」
「……うん!」
力強く応えた誠人にうなずき返し、ミカヅチは屋敷の外に向かって走った。
子供の頃、ティターニアに助けられた時の事が、頭をよぎった。
あの時、ティターニアに助けられ、励まされたおかげで、今の自分がある。果たして自分は、誠人に幼い頃自分がしてもらった事と、同じ事ができたのだろうか。
ミカヅチが塀を飛び越えて屋敷の外に出ると、ちょうど村の中央の方から、こちらに向かってくる一団が目に入った。
瀧彦と伽彦、それに加えて、武器を持った自警団員らしい男達が数人。彼らもミカヅチの姿を捉えて、屋敷の入り口に向かうのをやめて、ミカヅチの方へと走ってきた。
「おい、あんた! さっき九段様の屋敷から出てきたな!」
一人が荒々しい声で言った。それを皮切りに、他の男達も次々と口を開く。
「あんた、俺達の味方なんだろ? 九段様は助けてくれたか?」
「禍蟻は中にいたか?」
「仁斎様は無事なのか?」
「誠人坊っちゃんも一緒にいたはずなんだが」
どの声も心配そうな声色だった。普段は八十神家に従っていても、やはり九段家は村の中心なのだ。九段家が村人たちに慕われているのが感じられた。
「子供は大丈夫です。ただ、お爺さんが倒れたみたいで」
「なんだと?」
「まさか!」
「医者を呼んでください。重傷を負っているわけではなさそうなので、持病か何かもしれません」
先程見たとおりの事を、ミカヅチは説明する。不安で皆がざわつき、瀧彦でさえも色を失っていた。そんな中、伽彦だけは冷徹とも思える冷静さで、皆を抑えた。
「落ち着くんだ、みんな。孝次、医者のところまで使いを頼めるかい」
「あ、ああ。わかった!」
孝次と呼ばれた青年は、弾かれたように走って坂を下っていく。その姿をちらりと見やった後、伽彦はミカヅチとあらためて向き合った。
「君が何者かは知らないが、虫たちを追い払う手助けをしてくれた事、感謝するよ」
「いえ。他の虫たちは?」
「ほとんどは潰した。残りは逃げ出したし、もう安心だ」
「兄ちゃん。そんな事より先に確認することがあるだろ?」
二人が話している間に気持ちを取り戻したか、しかめっ面をした瀧彦が会話に割り込んだ。ミカヅチを上から下まで睨むように眺めると、
「一体何者なんだよ、てめェ。そのふざけた格好、村で作れるもんじゃない。マレビトか?」
と、不審げに尋ねた。それも当然の反応ではあった。この村にはいわゆるヒーローはいない。二人は見慣れない衣装に身を包んだ、異邦人でしかない。
「俺は偉大なる巨神。この服は偉大なる巨神から授かったものだよ」
「たい……? なんだよ、そりゃア」
「私達の祖国で崇められる神の名よ」
背後から声がして、瀧彦達は一斉に振り向いた。村人達に遠巻きに囲まれながら、ティターニアがこちらへと歩いてくるところだった。
誰もティターニアに近寄ろうとはしなかった。凛とした佇まいの彼女の周囲に、近寄りがたい磁場のようなものが張られているかのようだ。
「この世に邪悪が蔓延る時、偉大なる巨神を崇める者が悩み苦しむ時、私達は現れる」
ティターニアはミカヅチの隣にまで来ると、歩を止めた。赤と青、対照的な色合いの衣装に身を包んだ二人を、村人は皆、無遠慮に眺めていた。
ミカヅチもティターニアも、彼らにとって謎の存在である。妖虫を追い払う手助けはしてくれたが、その真意は何なのか。巨神の子を名乗る二人をどう扱ったものか、皆悩んでいるようだった。
伽彦は二人を観察するように眺めると、考え込むように軽く首をかしげた。
「面白いね。神を崇める人間など、久しぶりに聞いたよ」
伽彦はつぶやくように言った。
「マレビトの中に、その巨神の信徒がいたから、君たちが現れたのかな。それとも君たちは、マレビトの中の誰かなのかな?」
「さあね。答える気はないよ」
「そうか。顔を隠しているんだから、当然かな」
相変わらず、伽彦の口調からも、表情からも、何を考えているのか見当はつかなかった。
あるいはただそれらしく話しているだけで、何も考えていないのかもしれない。伽彦と話していると、精巧に動く人形を相手にしている気分になった。
「悪いけど、もう行くよ」
会話を打ち切り、ミカヅチはティターニアの腰に手を回した。妖虫は既に姿を消したようだった。ならばここに居続ける意味はない。それに下手に正体を明かして、いらぬ騒ぎを起こしたくなかった。
ミカヅチは軽く集中すると、二人の周囲に幻の力場を産み出した。次の瞬間、村人達から驚きの声が上がった。彼らの目には、二人が煙のようにかき消えた、と見えた事だろう。
姿を消している間に、二人は村人の間をすり抜けた。音もなく駆け抜け、村の出入り口の方に向かう。真尋達と合流し、何食わぬ顔で村に戻る為だ。
村から出て、水田のあぜ道を二人は走った。その先にあった木立の陰に隠れ、周囲に人がいない事を確認して、二人は変身を解いた。巨神の加護が消えた事による脱力感を覚えながら、体に異常がないか確認する。
「お疲れ、大ちゃん」
軽く体をストレッチするように動かしながら、綾が声をかけた。
「真尋さん達、今どのあたりかしら」
「そろそろ姿が見えるんじゃない? 俺はもう早く村に戻って、一度休みたいよ」
大は我知らず、大きな溜息をついていた。朝起きてから今までずっと、奇妙な事件に遭遇しっぱなしだった。寺の裏で見つけた穴と妖虫の巣。今まで見たことがないという虫人間。仁斎の具合に、村の被害。そして……。
「どうしたの、大ちゃん?」
心配そうな顔で、綾が声をかけた。
「さっきから険しい顔して。屋敷でなにかあったの?」
「険しい? そんな顔してた?」
思わず顔に触れて確かめる。自分でも気づかない内に、不安が表情に出ていたようだった。
「仁斎さんが心配?」
「うん。それもあるけど、ちょっと他にも気になる事があって」
「気になる事?」
「さっき、村の人達の前で、俺達の姿を消しただろ。逃げる時も、みんな俺達がどこにいるのか分かってなかった」
「ええ」
「それなのに、伽彦さんだけが、俺達が逃げるのを目で追ってたんだ」
綾が目をみはった。大の力の長所も短所も、綾はよく知っている。いつもどおりに力を使ったならば、常人にまず気づかれる心配はない。
「まさか」
「本当だよ。どうもあの人には、俺達の知らない何かがあるのかもね」
次回は14日(水)21時頃予定です。
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