エンディング『許し許され』②
霊夢は通路へ向けて飛び出そうとする。しかし丁度その時、霊夢は視界の中、通路の先に見覚えのある舟を見た。
「あれって……」
植物の茎か何かで編まれた舟。そしてその舟は、その全容を泡で包まれている。まだ視界の中の舟は小さく、誰が乗っているのかはっきりとしない。しかしどうやら、舟はこちらに向かってきているらしい。舟はすぐに視界の中で大きくなり、それに乗る者の姿もはっきりとした。今にも崩れそうな体、その危なげな身体とは裏腹の、真っ直ぐと前を見つめる芯の強い瞳。
舟に乗っていたのは深宵園の住民たちの長子、淡子だった。彼女は広い空間まで辿り着くと、霊夢の姿を見て大声をあげる。
「いたーっ! 巫女さん、乗ってください! なんかここ危ないので!」
そして叫んだ直後、淡子は周囲を慌てた様子で見回し始める。そして何かを見つけたのか、ある一方向を見て顔の動きをとめた。霊夢が淡子と同じ方を見ると、その視線の先には阿闍世がいた。
淡子は霊夢のことが頭から吹き飛んでしまったのか、霊夢が舟に乗っていないにも関わらず阿闍世の元へ飛び寄っていく。霊夢も再び阿闍世と淡子の元へ飛んでいった。そうして途中で淡子の間近に迫ると、泡を通って舟の中に乗る。淡子と霊夢を乗せた舟は阿闍世の元に着くと、泡の範囲に阿闍世を包み込んだ。降り注ぐ瓦礫は泡を避けるように落下していく。
「末っ子ちゃん、寝てないで早く乗って! このままじゃ危ないから!」
阿闍世は淡子の声が聞こえたからか、驚いたように目を開いた。
「淡子……? なんでここに、その体で……!?」
阿闍世の体は動かない。その様子に何かを察したのか、淡子は舟から降り、阿闍世の横に立った。着地の際の振動で不安定な淡子の肉体が揺れる。肉体が崩れるのではないか。その様子を見て霊夢の胸に不安が過ぎる。
「やめろ、そんなことはしなくていい。私は、あの人に対して、ここまでやったんだぞ! 今更どうしたって……」
嘆願するような阿闍世の声を聞いて尚、淡子は彼女のことを真っ直ぐ見つめる。そうして阿闍世の傍でしゃがむと、彼女の腕を手に取って、自分の肩に回した。苦しそうに踏ん張りながら、脚に力を込めて自分と阿闍世の体を立たせようとしている。しかし、不安定な肉体だ。生まれてから長い時間を水槽の中で過ごしてきたのだ。二人分の体重を持ち上げようと震える脚はか細く、阿闍世の体を支えようとする肩は今にも地面へ崩れ落ちそうだった。
「立って、末っ子ちゃん! 一緒に舟に乗って!」
淡子が叫ぶ。淡子を阿闍世から引き離すべきか、共に阿闍世の体を支えるべきか。霊夢は思いめぐらせ、どちらとも決められず動くことができなかった。
「もう体が動かないんだ……。もういい、はやく舟に乗ってくれ……」
阿闍世が顔をくしゃくしゃにして淡子に頼む。しかし淡子は力を緩めない。阿闍世の体は僅かにしか持ち上がっていなかったが、それを支える淡子の体は震えながらも崩れ落ちる気配はなかった。
「お母様が、言ったんです……!」
苦しそうに声を震わせながらも、淡子は阿闍世に語りかける。
「末っ子ちゃんが危ないって……。だから、私の舟で、助けてほしいって……! ここまで迎えに行ってほしいって!」
阿闍世の顔に驚きの色が広がる。目を大きく見開き、淡子の横顔を見る。
「お母様が……!? そんな、どうして!」
「そんなの、末っ子ちゃんが大事だからでしょ!」
淡子の叫び声に、阿闍世の表情が一瞬固まる。そして阿闍世は歯を食いしばったかと思うと、大きな叫び声をあげた。阿闍世の脚に力が込められたのか、阿闍世と淡子の体がゆっくりと起き上がっていく。
もう迷うことは無い。霊夢は舟から空へ浮くと、淡子と阿闍世の体を片手でそれぞれ掴み、力を込めて持ち上げた。重い。しかしそれでも二人の体少しずつ立ち上がっていった。そして舟へ近づき、その中へ乗る。
三人を乗せた舟は瓦礫の中を飛び、広い空間から通路へ入った。そうして通路の中の業火さえ物ともせず、先へ先へと進んでいく。
「お母様がそう言ったと……本当、なのか……?」
淡子と霊夢がぜえぜえと苦しげに息を整える中、真っ先に阿闍世が尋ねる。淡子は息も絶え絶えな中、はっきりと答える。
「うん。そうじゃなきゃ、私は水槽の外に出てないよ」
阿闍世は「そうか……」と答えると、そのまま横になった。今も全身の痛みに耐えているからか、呼吸は苦しげだ。霊夢はその様子を慮って彼女に話しかけることを避けた。淡子も霊夢と同じ考えのようだった。しかし沈黙の中でふと、淡子は語り掛ける。
「ねえ、末っ子ちゃん。ここを壊したこと……それはきっと、私たち深宵園の住民全員が、少なからずこうしたかったんだと思う」
阿闍世は意外そうな顔をして淡子の顔を見返す。
「私が末っ子ちゃんに迫られて舟を作った時……本当は舟を作らないこともできた。ずっと考えてたの。どうして私は末っ子ちゃんに舟を作ったんだろうって。それで、ここにきて火の中を走っているとき気づいたんだ。すごく胸が熱くなってる、満たされてる気がするって。あ、私この状態を喜んでいるかもしれないって……」
そう語る淡子は顔を伏せていて、瞳はどこか一点を見つめているようだった。
「それはきっと、猿さんたちも一緒かなって気がするんだ。末っ子ちゃんや、末っ子ちゃんに味方した皆は、きっと私たちよりも少し素直なだけだったんだと思う。末っ子ちゃんたちは、私たちの悪いところを引き受けてくれたんだよ」
淡子は笑みを阿闍世に向けたが、霊夢はその笑顔の裏に罪悪感が隠されているように感じた。阿闍世も霊夢と同じことを感じたのだろうか、「馬鹿なことを……」と言ったきり、何も言わなくなってしまった。
舟は通路を進んでいく。やがて燃え盛る火炎が続いていた行先に、静かな暗闇が見えてきた。舟がその暗黒の中へ入ったかと思うと、一瞬視界が黒く染まった後、黄の柔らかい光が暗闇の中に浮かび上がってきた。
「……さあ、深宵園に戻ってきましたよ」
淡子の言葉に霊夢が下の方へ目をやると、確かに草原が見えた。船首の先へ視線を移すと、そこには宮殿があった。どうやらあそこに降りるらしい。霊夢は宮殿の最上階にあるものを見つけ、ふと阿闍世に尋ねたいことができた。
「ねえ、あんた母親に不満があったみたいだけど、今はどうなの?」
阿闍世は今まで沈黙していたが、その問いかけに瞼を一度閉じると、すぐに霊夢の方を見て答えた。
「どうだろうな。けれども、あの人は私のやったことを許した……。私は、どうなんだろう……」
きっとすぐに答えは出ないのだろう。霊夢はそう思いそれ以上尋ねなかった。しかし、きっといつか答えは出るのだろう。霊夢はそのようにも思った。
霊夢は宮殿の最上階へ視線を戻す。霊夢の視線の先では、猿をはじめとした深宵園の住民たちが舟の到着を待っていた。会ったことも、話したこともない、霊夢にとっては初めて会う相手ばかりだ。どのような相手なのかまるで分らない。しかしそれでも霊夢には何となく分かることがあった。
深宵園の住民たちは、不安げ、心配げな顔をしている者もいたが、穏やかな面持ちの者もいれば、心待ちにしているという顔の者もいた。少なくとも、怒りの様相で舟の帰りを待つ者はいなかった。
きっと、誰もが淡子と阿闍世の帰りを少なからず祝福するのだろう。もう間もなく到着する場所を前に、霊夢はそう思った。




