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Stage5『この身を授かった大恩』②

 九つの階を通り抜けただろうか。霊夢は視界の先に螺旋階段が終わるのが見えた。宮殿の最上階に着くのだろう。今まで霊夢が通り抜けてきた階に人の気配はなかった。幻想郷に舟を送ってきた人物は最上階にいるはずだ。霊夢はそう確信する。

 妖精の追撃を避けて螺旋階段を昇りきった。すると、壁一面が水槽になった部屋が目の前に現れる。水槽は天井まで続いていて、床を除く全面が水槽に囲まれていた。水槽の中は僅かに乳白色の色が混ざった透明な液体で満たされている。部屋の広さはそれほどない。目測で判断したところ、広さは博麗神社の本殿と同じ程度だろうか。一方で天井は高く、むしろ頭上にこそ広大な空間が存在しているようだった。きっと壁と壁の間より、床と天井の間の方が離れているのだろう。屋根は円形になっていた。

 最上階は水槽の向う側の壁もガラス張りのようになっていて、深宵園の空を一望することができた。ちょうど二つの月と重なる部分だけ壁が繰り抜いてある。その穴から月光が直接注ぎ込むようになっていた。

 先ほどまで執拗に霊夢を追っていた妖精たちがやって来ない。階段の下を見ると、妖精たちは階下で留まっていた。この階まで及ぶことができないのだろうか。

 ここだ、不思議な安堵感の源泉は。霊夢の感覚がそう告げる。そして周囲の気配を注意深く探ると、ちょうど霊夢自身の頭上、宮殿の天辺に人影があった。はじめ霊夢は人影が宙にいるのかと思った。しかしよく目を凝らすと、その人影は水槽の中にいるように見えた。

「あんたが幻想郷に異邦人を送ってきたのね!」

 霊夢が叫ぶと、人影はにこりと笑ったようだった。遠すぎてその姿ははっきりとしない。

「はじめまして! あなたはどこから来たんですか?」

 宮殿全体から声が聞こえた。あまりの声量に霊夢は耳を塞いでしまう。

「ああ、ごめんなさい。ちょっとうるさかったですよね」

 今度は適度な声量で聞こえてくる。天井にいた人影は空を飛ぶように水槽の中を泳ぎ、霊夢の正面まで降りてきた。西方の黄色い光を湛える月を背にして、東方の紅い月の光に正面から照らされて、その姿が明確になる。霊夢はその人影の姿を見て目を見開いた。

「あんた、その体……。そんなんで本当に生きてるの?」

 水槽の中の人物の身体は、泥で作った塊のように崩れかけていた。一部の体表は液体へ溶けて消えそうだ。

「ええ、随分ましになりました。これでも安定してきた方なんです」

 水槽の中の人物はにこりと笑う。

「どうしてそんな体なのよ? なんの妖怪?」

「いえいえ。こう見えても私は人間ですよ。ただ、お母様も造るのが初めてだったから、不完全な体で生まれてきたんです。それだけのことですよ」

 その言葉を聞いて霊夢は眉をひそめる。

「造る……。ただ産む……って訳じゃなさそうね」

「あれ、ご存じなかったんですね。この深宵園は、お母様が魔法で人間を造るための世界です。まあ、私はその唯一の未完成品ってところですかね」

 水槽の中の少女は両腕を広げてくるくると回る。全身を霊夢に見せるようにしているようだ。彼女の名前は水流(つる)淡子(あわこ)。深宵園で最初に生み出された人造人間だ。

 霊夢は淡子にずいずいと近づいていく。淡子はそんな霊夢の顔をじっくりと見て、興味深そうに目を輝かせていた。そうして霊夢が距離を詰めて何事か言うよりも早く、淡子が口を開く。

「ね、ね、あなたはどこから来たんですか? どんなオイシイものがあるところですか?」

 霊夢はつっけんどんに言い返す。

「幻想郷よ! あんたが舟でここの住民を送り付けてきたところ!」

「げんそーきょー! そっか、皆は舟でそこに行ったんですねえ」

「そうよ! そのせいで騒ぎが……」

 しかし霊夢がすべて言い終わらないうちに、淡子は次の言葉を続けてしまう。

「いいなあ、私も行ってみたいなあ……。ね、ね、何がオイシイですか? どんなメーショ?がありますか?」

 霊夢は額に青筋を立てつつも、しばらくは黙って淡子の質問攻めを聞いていた。幻想郷に住む鳥の種類だとか、流行りの言葉だとか、空の色だとか……。どうやら淡子には話が通じないようだ。霊夢は少しも経たないうちに限界が来たのか、大口を開けて怒声を上げる。

「だァー、もう! うっとうしい!」

 霊夢はお祓い棒を淡子に思いっきり叩き付けた。だが当然水槽の壁に阻まれる。霊夢は手に強烈な痺れを覚え、言葉にならない呻き声をあげてしまった。

「おー……? 急にどうしました?」

 淡子はきょとんとした顔で霊夢を見つめる。霊夢はぎろりと淡子を睨み返し、犬歯を鋭く光らせた。

「いまは癇癪小僧をぶちのめしに行くんだ! どうやって行くの、さっさと教えなさい!」

 淡子は益々きょとんとした顔で霊夢のことを見つめる。今でも霊夢の憤怒の意味を捉えあぐねているらしい。

「あー、末っ子ちゃんのことだね。そっかあ、そんなことまでやってくれるんですね」

 霊夢はこくりとうなずいて見せる。しかし淡子は不意に表情を固めて、考え込む様子になった。そのまましばらく黙り続ける。そして少しの時間が経った後に口を開いた。その面持ちからは好奇心に満ちた光が消え、物静かに微笑んでいた。

「月に行きたいなら、ここで腕試しと行きましょう。末っ子ちゃんに返り討ちにされても申し訳ないので」

 淡子がにこりと笑うと、彼女の足元に舟が現れた。そして舟は淡子を乗せ、水槽を透過して霊夢の前に出てくる。

「あなたも知ってますよね? この舟に包まれたなら、どんな荒波だろうと安心安全! さあ、あなたも安心して送り返されなさい!」

 霊夢もお祓い棒を構え淡子に相対する。鬱憤が晴らせるからか笑顔を浮かべ、乗り気な様子だった。

「じゃあ、あんたは精々弾幕にのまれないように注意しなさい!」

 深宵園の空に最も近い場所で、二人の弾幕が重なり合う。


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