第十二話
エミリーとジョセフを祝うために集まっていたのがみんなとても明るい人たちだったのでレイチェルは久しぶりに心の底から笑った。ジョセフとも、最初は探り探り接していたけれど、徐々に勘を取り戻してきた。そういえばこの人の唇はこんな色だったなとか離れている間にぼやけたものたちが元に戻っていく。それがとても嬉しかった。やっぱり、会いたかったのだ。美しくて変な人、でもとても優しい人、レイチェルの愛する人。馬車の中でもずっとレイチェルの手の甲を撫でさすってジョセフはとても幸せそうだった。
レイチェルが屋敷に戻るとマーサが泣きながら抱きついてきた。家令や侍女や料理人もどこからかレイチェルを取り囲むように集まってきた。
「ああ、奥様!良く帰ってきてくれました!ずっとこの日をお待ちしておりました」
「マーサ、ごめんなさい。勝手に出て行って、心配をかけてしまって」
「ええ、ええ!でも、またここに戻ってきてくれたので私はこれ以上何も言いません。奥様、お帰りなさいませ。さぁ、お疲れでしょう。お風呂の準備はできていますからこちらへどうぞ」
初めて会った時のようにレイチェルはマーサにするすると服を脱がされ薬湯に浸かった。香油を塗り込んで櫛けずり、それをさらに薬湯で流すとレイチェルの髪は艶々になった。マーサは得意げにその髪を見せてくれた。
「そういえば、マーサはどうしてわたしのことがわかったの?」
「それは、旦那様がお連れになるのは奥様だけですし、その美しい手は初めて会った時から変わりませんよ。旦那様の好みにドンピシャの美しい手です」
「この家の人たちはみんな変わっているのね」
「まぁ、後できっとわかりますよ。旦那様のお気持ちが。さて、そろそろ上がりましょうね。今日はレイチェル様のお好きな白身魚がメインの料理だそうですよ。料理長もとても張り切っています」
「わぁ、それは楽しみね。料理長の料理、懐かしいわ」
湯浴みを終えて髪を綺麗に乾かし、真新しい服に着替えた。見たことがないものなので不思議に思っているとマーサがジョセフの指示で季節ごとにクローゼットの中身を新調していると教えてくれた。ジョセフはレイチェルが戻ってくるというのを信じて待っていたのだ。それが嬉しくて、泣きそうになった。
レイチェルが支度を終えると扉の前でジョセフが待っていた。彼は手に持っていた書類を家令に預けるとレイチェルの手にキスをした。
「私の女神、また一緒に暮らせることがとても嬉しいよ。解決すべきことはいくつかあるけど、大丈夫。私に任せて欲しい」
「あ、はい。あの、北の街の職場に連絡をしたいんですが」
「ああ、あのパン屋なら新しい店員を手配したし謝礼金も渡しておいた。あの店のブールとエピは美味しいね。何度か食べたよ」
「わあ、さすがジョセフ様。抜かりないですね」
こういうやりとりを前にもしたなとレイチェルは思い出した。それにパンを何度か食べたことがあるという発言もちょっと怖いなと思った。そして、夕食を食べ終えてジョセフの部屋へと向かった。そのまま入るのかと思ったがジョセフがポケットから鍵束を取り出して立ち入り禁止の部屋の扉を開けた。
ジョセフが灯りを付けるとそこにはたくさんの像があった。石膏や粘土、木材や銅など様々な素材で作られた手の像たちはどれもレイチェルの手に酷似していた。そしてその奥にはレイチェルの鏡像があった。美しいときのレイチェル、元のレイチェル両方の像は控えめに微笑んでいた。ジョセフは恥ずかしそうにそれらの説明をしてくれた。
「昔から、手に惹かれて、自分で少しずつ作ったんだ。君は私の理想そのもので、初めて見たときはとても驚いた。君に触れてから創作意欲が湧いてたくさん作った。でも、君に見せるのは気恥ずかしくて隠していたんだ。これを知っていれば君は逃げ出さなかったのかな?」
「あ、あの、左はわかるんですが右の像って今のわたしですよね?」
「ああ、遠くから何度か眺めてスケッチをしたんだ。それを見ながら作った。我ながら良くできていると思う。レイチェル、私のことを気持ち悪いと思うかい?」
「あ、えっと気持ち悪くはないです。変わってるなとは思いますが、それってわたしのことが好きだからこんなにたくさん作っちゃったんですよね?」
「ああ、そうだ。君と出会うまでは30体くらいしかなかった像が君と出会ってから100体まで増えた。でも、何度作っても君の手にはかなわないんだ。君の手が世界で1番美しいよ。今日は朝までその手に触れていて良いかい?」
「……触れるだけで良いんですか?」
その言葉を聞くとジョセフは破顔してレイチェルを横抱きにして隣の寝室に連れて行った。今までレイチェルが見た中でも一番の早歩きだった。一晩かけてジョセフの想いを思い知らされてぐったりとしたレイチェルはそのまま昼過ぎまで眠った。目を覚ますとジョセフがスケッチブックに何かを描いていた。
「何を描いているんですか?」
「この状況で君以外だったら驚きだよ。見たいかい?」
はい、と答えるとそこには幸せそうに眠るレイチェルの姿が描かれていた。像を見た時から思っていたけれど、ジョセフにはレイチェルのことが実物よりも良く見えているようだった。それでも嬉しくて彼の頬にキスをすると彼はにっこりと美しく笑ってこう言った。
「おはよう。私の宝石。今日も愛しているよ」
◇◇◇◇
3年後の春の日、レイチェルとジョセフの元にルナが訪れていた。生まれたばかりの彼らの子どもためにシンシアの雫を染めに来たのだ。エミリーとゴドリーと彼らの双子の娘もお祝いに来ていた。皆、生まれたての赤ん坊を見て目尻を下げていた。
「綺麗な子だね。瞳は紫、強い運命に出会うよ。彼の幸せに無事に辿り着きますように」
ルナは金色の杖で魔法をかけた。紫色の光がふわふわと舞って瓶の中の液体に色をつけた。ジョセフはそれを恭しく受け取ると礼を言った。
「ありがとう。善き魔女よ」
「良いのよ、レイチェルはわたしの娘みたいなものだからね」
そう言ったルナの後ろにはエドが真剣な顔をして立っていた。その手には前にルナが使っていた銀色の杖が握られていた。
「師匠、俺も何かお祝いをしても良いでしょうか?」
「まだ駄目だよ。杖をしまいなさい」
エドはしゅんとしてからローブの下に杖をしまった。あの後、紆余曲折あって呪いが解けたエドはルナに弟子入りし、偉大な魔法使いになるための修行をしているらしい。そんな兄をゴドリーは生温かい目で見守っていた。
「次にお前のところの子が生まれたら俺が絶対に祝福をかけるからな」とエドはゴドリーに言った。ちょっと飽きてきたらしい双子が魔法使いらしからぬ巨体のエドに登り始めた。彼が片腕で2人を抱えて揺らすと彼女たちは大喜びしてもっともっとと強請った。ジョセフは揺り籠の中の赤ん坊を一生懸命あやしていた。
レイチェルはそんな光景を眺めて、幸せを噛み締めた。その美しい指には青い指輪が輝いていた。
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