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Feb.4(冬の終わり)

 先生の許可を得て、帰りの会で席を立ち、みんなの視線が集まるのを感じながら、どこへ向けたか困った視線を教室の隅に向け、「如月さんは、本当に怖い」ちっとも援護にならぬ言葉で始めた。「ごめんなさい、なんか本音が出ちゃいました」


 笑い声。汗をかきかき。味方撃ちにも程がある。なのに、「真顔でデコピンしてくるし」

 重ねて何をいっているのだ。落ち着け。何を話すか、準備したでしょ、脳内で。


 咳払いで仕切り直し。「今、作っているのは学級文集です。卒業文集じゃない。予備も含めてたった四〇部程度の小冊子。


「過去の分を見たひとなら知っていると思いますけど、中身は自由です。呼び名は文集だけれども、漫画もイラストも、挿し絵のついたコントの台本もある。


「年度ごとに違いはあっても、中身は本当に好き勝手。だから、あれは駄目で、これはいいってことはないです。強いて言うなら全員提出。これが絶対条件です。罰則はないけれども、たったのひとりでも欠けたら、学級文集の根幹、屋台骨が折れたことと同じです。だって、一ページ目の前書き、先生が書いてくれるんですよ。なんだかタイムカプセルみたいだなって思いました。この一年を封じ込めたもので、たとえ同じひとたちで一年後、あるいは一年前に作ったとしても、絶対に同じものにはならない。


「原稿の出来不出来の判断を自分に委ねられるっていうのなら、どんなに非難されるとしても、役目、降ります。文集係、辞めます。だって無理だから」


 わたしはメモを手に取り、続ける。「憲法に、出版の自由ってあります。第二十一条、集会……うんぬん、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない──以下、略。これが文集に当てはまらないわけがない。だからOKです。保障されます。


「この条文は、憲法第三章、国民の権利と義務にあります。自由には責任があり、だから今、作っているのは学級文集なので、この屋台骨が揺らぐようなこと、すなわち責任のないことはNGだと、自分は考えます」


 あたしは自然とクラス全体を見渡していた。


「なにが駄目で、なにが無責任なのか。いや、駄目でなくて、何が問題となるのか。それはさほど難しいことでないはずです。たとえば将来、クラスの中から、ちょっと有名になったり、悪いことして目立っちゃったりした時。自分のページが、どこからか流れるかも、っていう視点で見れば各々で判断ができると思います。


「予備を含めても四〇部。卒業とか引っ越しとか、捨てたのに拾われたり、どうなるかは分かりません。そう考えると、文集って先生の仕掛けた時限爆弾だって思いました」


 みんなが笑った。先生もにやにやと笑ってて、どう捉えていいのか分かりません。


「そもそも表現を誰かが判定することすらおかしいのかもしれません。だから、責任の所在は、自主規制と言う曖昧で良く分からない基準に委ねられるのではないでしょうか。


「出版の自由は校則と同じで、そこに所属する皆で上手にやっていくための方便で、だから、絶対的に正しいことに、直結しない。


「この原稿は適切だろうか。掲載していいだろうか。学級文集に相応しいのだろうか? 迷ったら信頼しているひとに相談してください。文集係も便利に使ってやってください。


「学級文集だから、できることは幅広い。これが卒業文集だったら、きっと誰も、おかしなものを提出しないと思う。度胸試しをするよりも、日和ることを選ぶはず。内申点を賭けてまで、波風を立てることもない。


「対して学級文集は? 内容に対する明確な線引きは、やはりないし、境界もない。表現は自由だし、侵害もしない、させない、してはいけない──でも、自主的な規制をすることは、あります。


「それは日和ったことでもあるかもしれないし、自由の対価である責任の在り方なのかもしれません。


「なんでもアリ、は、なんでも良い、でなく、公序良俗とか公共の福祉とか、人の善意を信じて、皆でそれなりに世界を回していこうよ、ってことじゃあないかって思います」


 あたしは続けた。立板に水というわけにはいかなかったけれども、長広舌を振るい続けた。


「目標があります。いいものを作る。

「いいものの定義は、それぞれにあると思います。学級文集なのだから、面白い方がいいに決まっている。おふざけも全然アリです、むしろ歓迎だと考えます。


「だから、権利を侵害したのでも、検閲したのでもありません。おふざけを怒ったんじゃなくて、態度、姿勢を怒ったのだと思います」


 なんであたしはこんなことを話しているのだろう?


「如月さんと話したひとは分かっていると思います。いつでも相談に乗ってくれるし、過去の文集もいつだって貸し出しをしているし、参考になっているはずで、とにかく熱意がすごい」


 そして、あたしもその熱意に当てられたクチなのです。


「いくつかの下書きを見せてもらっています。面白い原稿が集まる予感がします。だから、そんなひとたちの気持ちを大切にしたいと思ったんだと思います。


「いいものを作りたい。それこそ、いま作っている学級文集の屋台骨だと思います」


 あたしは、まっすぐクラスの皆の顔を見ていた。


「よくないものを作るのは、いいものを作るよりもずっと手間です。わざわざ悪くしてやろうって考えて動くものだから。だからって、いいものが作れるわけでもありません。いいものとは、結果として顕現する概念なので。


「原稿を集めて揃えて、印刷、製本、配布されて、やっと、良いか悪いか、どちらでもないか、それでも確定する保証がなくて、ひとによっても、善し悪しの基準は異なる。だったら、精一杯、やるしかないじゃないですか。


「どうして自分が指名されたのか。図書委員が文集の編集の何の役に立つのでしょうか。あたしには分かりません。でも、いいものになるって言われました。その一言で不相応にも、応えなきゃって思っちゃって、つまり、あたしは如月さんに呪われたんです」


 みんなが笑った。鏡見くんも笑ってるのが見えた。


「面倒くさいし、実際、すんごく面倒です。締め切りの前には期末テストもある。だから無理にと言えない。けれどもひとつだけ、文集のために少し、時間を割いていただけませんか」


 あたしは息を吐いて、最後に、「お願いは、それだけです」頭を下げて、締めた。


 帰りの会が終わって、皆が引け、あたしは荷物をまとめて、保健室へ向かった。ちょうど出てきた吉川先生に、にっこり笑顔で呼び止められ、廊下で少し立ち話をした。


 如月さんはお布団をすっぽり被ってて、さらさらの髪のてっぺんしか見えない。

「鞄、持ってきました」あたしは声をかけた。「帰りませんか」


 如月さんは、小さく身じろぎしただけで、構うなオーラを発散させた。


「たぶんみんな分かってくれたと思います」


 当て付けのような太いため息を吐いて、如月さんは「何を」と、訊ねた。


「午後、授業をサボったこと」


「サボってない」


「そうですね」あたしは荷物を抱え直して、「如月さん」呼びかけた。「帰りませんか」


 もぞりと、如月さんは、あたしに背を向ける恰好で起き上がった。


 髪がはねてた。手櫛で直した。でも、今まで寝てたってのが丸分かりで、なんだかおかしかった。


「なに?」如月さんはむすっとしてた。むすっとしながらベッドから下りて上履きを履いた。


「なんでも」ないです、ってあたしは如月さんの荷物を差し出した。


 如月さんは制服のスカートをはたき、コートを着て、ボタンを留めて、鞄を持った。


 校門を出たとことで、不意に、如月さんが口を開いた。「梅は忍耐」


 視線の先、学校のフェンスを越えて枝を伸ばした梅が、白い花をつけている。


「冬の終わりに咲いて、春を前にこぼれる」如月さんは小さく息を吐く。「わたしには、たりない」


「ねえ、如月さん」あたしは言った。「文集、いいものになると思うんだ」


 如月さんは目を、あたしに向けた。あたしは続けた。「だからきっと、大丈夫」


 如月さんはむう、とばかりに唇を尖らせる。


「クラスのみんなで思い出、作ろう」


 それでも如月さんは口を尖らせたまま。


「梅の盛りは二月だよね?」あたしは答えを待たずに言い添える。「文集は修了式の後に配られる──ねえ、如月さん。梅はもう散っている」


「それで?」


「忍耐も散ってるってこと」


 如月さんは首を振って、「そうかあ」苦笑した。そして、「そうくるかあ」急に糸が切れたみたいに声を上げて笑い出した。


 二月は逃げ月。あたしはしっかと、つかまえた。


   了


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